2023.09.03の日記

この2時間ほど絵筆を持ってキャンバスに向かって色々と描いてみたけれど、結局何を描きたいのかはっきりしなくて、色々なイメージを描いては消し、描いては消しを繰り返した。そのうち油絵の具がベトベトになってしまったので、筆を洗って、猫の餌を皿に出して、布団に入ってこれを書いている。Mさんの絵本を読み、朗読を聴いて、僕も何かを物語りたいという気持ちがむくむくと湧いてきた。絵を描きたいと思って、色々描いては見ても、最後まで描きあげることができないのは、僕が描きたい物語を持っていないからなのではないかと思った。

少年は屋根裏部屋にいる。少年は屋根裏部屋の低い天井に頭を打たないように慎重に、心をワクワクさせながら進んだ。屋根裏部屋はもので満ちていた。本、ノート、時計、服、何かの機械とその断片。うず高く積まれたダンボール箱はその一つ一つが少年に取っては1つの宇宙だった。一つ一つ、ダンボールを開ける。大抵はガラクタだった。古い食器、古いカバン、古い花瓶、なにかのメモ。

気持ちの良い窓辺が必要だ。この頃の絵の迷走ぶりは今までにない。いや、いつもそんなものだった気もする。夏の間、寝室として使っているあの部屋の窓辺で絵を描きたい。窓を開けると風が体を通り抜ける。光は清らかで何でも美しく見える。今の僕にはそういう窓辺が必要だ。

アクリルガッシュを久しぶりに使ってみている。だいぶ使っていなかったから、チューブに入ったままカチカチに固まってしまったのもあった。なかなか絵がうまくいかない。自分の絵を評価しない、という原則を忘れてはいけない。このごろずっとやっている暮らしの実景の編集作業でどうも僕は自分の過去の絵を見すぎているみたいだ。編集の作業とは常に評価し続けることだと思う。この絵はどういう絵か、どちらのほうがより優れているか、その場所に適しているか。そういうことにはもうくたびれた。ただ、ただ、良いとか悪いとかそういうことは抜きにして、ただ絵を描きたい。良い絵よりもむしろ、悪い絵を描きたいとさえ、この頃は思っている。誰にもわからないような絵を。だれにも評価されないような絵を。今日の絵はだいぶ酷い。酷いということは、僕の目標が達されたということだ。いや、もっと酷いものがたぶん掛ける。もうしばらくはそういう絵を描いてみようと思う。それをしないと、表面的に良い感じの絵だけが工業製品的に量産されるだけになる気がしている。それに意味がないとは思わないけれど、いまは、あんまし、そういう気分ではない。

「未明の人」
夜中に絵を描くようになった。
気づくと絵の中に彼らが現れて僕を見詰めてくる。
誰なのか。
自分のような気がする。
きのう会った人かもしれない。
そういえばあの人に似ている。
昔の友人か。
こんな人は知らない。
毎夜毎夜、未明の頃に
彼らはアトリエを訪ねてくる。

今日、中津川の歌人だった方の家から本を運び出すというアルバイトをした。Tさんとその妻さんが箱詰めして、僕がひたすらに車に積み込んでいく。もらった梨をあげたら、トマトとメロンをくれた。赤瀬川原平の本3冊と村上春樹を1冊、あと短編集のアンソロジーを一冊もらった。

配達。くたびれた。

疲れていたので、午前中は寝て過ごす。午後、MはJAのアルバイトへ行っている間に展示の準備を色々進めた。夕方には草刈り。

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