どこから読んでも、どこで終えても。

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ということで、どこから読んでも、どこで終えてもいいような一つながりの文章を書いてみようということになって、書いてみています。もともと、携帯のメモ帳につらつらとその日あったことを書き連ねていたものを書いていました。それは普通の日記とは違って、日付も書いていないし、どこからどこまでが一日の出来事なのかが明記されて言いません。そういうのを僕は書いていたのですが、それを後から読み返してみると、これが結構面白い、自分のことだからかもしれないけれど、少なくとも僕は結構楽しんで読むことができました。皆さんぜひテキトーな位置にひょいっと移動して楽しんでみてください。もちろん上から順番に読んでいただいても大丈夫です。即興的に思いついたことを思いついたままに、なるべく修正しないで書いていっているので、わかりにくいところとか、意味の通じない部分があるかもしれませんが、それはまぁご愛嬌ということで。目が覚めた。文章を書きたい、とずっと思っていたのだけれど、なかなか書く時間がない、なんて言い訳してきた。なんか最近の僕の気づきとしてあるのが、あんまり気負わない方がいいよね、みたいなのがあって、絵にしても文章にしても何度も修正して修正して修正してーーとやっていくよりも、えいやっと一発でできるかできないか、みたいな方法を選択した方が結果的に出来が良いものが生まれてくる確率が高いような感じがする。少なくとも絵ではそう。文章でもそうなんじゃないかと思ったので、このメモにつらつらとなるべく一気に、なるべく書くのを止めないで、なるべく一定のスピードで書き続けてみたら、どんな風な文章が出来上がるのかなという実験をしてみることにしました。だから、改行もしないし、段落も分けない、全てがつながったものにしたい。なるべくバックスペースのキーも押さないようにしたいけど、タイプミスもあって、ここまで書くにも何度も削除ボタンを押してしまっている。ケルアックはオン・ザ・ロードしか読んでないけど、そんな感じになるんじゃないかな。坂口恭平の影響もあるかもしれない。とにかく毎日毎日思い付いたことを文章として書くことが自分の心の平穏を保つために有効なんだそうなので、真似してみる。さて、書くぞ、ということだけを決めて書き始めたわけだけど、何を書こう。昔の日記を読んだ。だいたい、毎日つけていたわけではないけれど、何かこう、記憶に残しておきたいと思ったことがあった日に、つらつらと、ノートにボールペンで書いていた。だいたい途中で手がいたくなって書きたいと思ったことを最後まで書けずにいるのだけれど、なんか、そういうことをしていた高校、大学の頃を思い出す。そのノートに書いたいくつかの文章も、たいていは何かを書こうと思ってペンを片手にノートを広げてみたけれど、さて、何を書こうか、というような文言で始まっていたような記憶がある。さて、何を書こうか、それらのノートはいま、長野の森の中の小屋にある。そのうち持って帰ってきたいけど、いつ長野に行けるかわからない。ついこの間まで、寒い寒い、いつ暖かくなるんだ、と文句を言っていたけれど、いつの間にか春になって、緑が鮮やかになってきた。もう夏も近い。草刈りの時期だ。畑にまいたいつくかの種ももうだいぶ芽を出している。ジャガイモなんてもう結構大きい。去年とれた米から、今年は自分達で苗を作ってみよう、ということで、始めてみたけど、うまく行くかは分からない。なんでもそうだけど。にんじん、なす、トマト、こまつな、トウモロコシみんな順調に育ってきている。駐車場の隅に一本だけ、柚子の木を植えた。これから何年、何十年とかけて大きくなってほしいけど、あんまし元気がなさそう。葉っぱの色つやが悪い。柚子丸なんていう風に名前をつけた。そうそう、こんど店をやることになった。近所の鯛焼き屋さんを借りて、週末に「パンと木工の店」を美香ちゃんとやるのだ。昨日は、お店に行って、掃除をしたり、レイアウトを変更したりした。美香ちゃんはお店でパンをこねた。わくわくしている。このところ、その関係でバタバタと忙しい日が続いている。けど、睡眠はしっかりとっていて、10時台には寝ちゃう。日付が変わるような頃まで起きてることは少ない。今日は柚子の配達だ。僕らが住んでいる町の特産品は柚子だ。縁があって、ゆず組合、という地域の団体のお手伝いをしていて、週に一度、柚子の商品を道の駅やらいくつかのお店やらに配達に行くことになっている。黄色いジャンパーを着て、帽子をかぶって、カーゴに乗り込んで方々へ商品を届けに行く。そういう仕事は結構好きだ。さて、そろそろ美香ちゃんが目覚める頃なので、今日はこの辺で、なんだかまとまりのない文章だけど、とりあえずこれでいい。次からはひとつひとつのテーマについてもっと深く、細かく、書いていきたいなと思う。面白いのは細かいところだから、深く詳しく書いた文章は面白いから。さて起きて粉コーヒーを飲む。柚子商品の配達だ。朝、時間がなかったので具だくさん味噌汁と米という、軽めの朝食をとり、ビジターセンターに向かう。家を出る前、畳の上に寝そべったつぐはるに両手で足をガシッと捕まれた。このところ忙しく動き回っているせいでたぶんつぐはるも寂しいのだろう。でも行かないわけに行かないので、ひと撫でして深緑色のミラジーノに乗り込む。着くと、遠藤さんも小川さんももう来ていた。「もう二人でいける?」と小川さんが言うので、僕らは二人とも、それを「もう配達は慣れた?」的な意味だと受け取って、まぁまぁ、ですね。だんだん慣れてきました的に曖昧な返事をしたのだけれど、「今日用事ができたので、できれば、二人で行ってほしい」という意味だったらしく、それなら、もちろん、二人で全然いけます!ということになり、今日の配達は初めて二人だけで回ってくることになった。ムジカピッコリーノの音楽を流しながら、フローラの声やっぱりいいなぁ、とか言いながら、半分デート気分で配達がスタート。天気が良かった。深緑色の木曽川に新緑が鮮やかだ。岩村の醸造所へ行き、柚子のジュース三箱を受け取る。かめやへいき、カステラ10本を仕入れる。そのまま更に南へ車を走らせて上矢作へ。途中、すごくトイレにいきたくなったので、着いたらトイレに直行。間に合って良かった。柚子の果汁が結構売れているみたいで、補充して帰る。カステラとか、羊羮よりも、柚子玉だったり、果汁だったり、柚子そのものを売った方が良いんじゃないかという気がする。あとはゆずペーストとか、皮とかね。お菓子屋とか、パン屋さんとかに素材を卸すようなイメージ。さて、そして次は山岡のおばあちゃん市だ。このところ、あんまり売れていないみたい。それでも他の店よりはやっぱり売れ行きが良いみたいで、色々と追加。果汁も少なくなってたので補充。商品取ろうと思って車の扉を開けたとたん、積んでいた段ボールが崩れて来た、あっ、と思って支えようとしたのだけれど、段ボールはあえなく角から地面に落下。かちゃん、と高い音がして、内容物がじわぁ・・・と漏れだしてくる。さっき仕入れた柚子ジュースだ。やってしまった。4本くらい割ってしまった。あーあ、と言いながら片付けをして時間を食う。気を取り直して今度は北上していく、その他、あと5.6箇所回ったけど、記憶に残るようなことは特になかったように思う。昼御飯はなか卯でカツ丼(並)を食べた。美香ちゃんは親子丼。肉自体はおいしくなかったけど、味付けはまぁまぁ、良かったらしい。しばらく、美香ちゃんからおいしい親子丼とはどんなものか、という話を聞いた。中津川の店に品物を置き、恵那に戻る。最後は笠置コミセンに品物を下ろす。今週末からお店を始めると事務所のみんなに言うと、おー、となった。チラシあるの?と聞かれたけどまだできていない。なかなかあの場所じゃ難しいのでは?的な話もされた。とにかくまぁ、恵那をぐるっと一周回って、配達を終えた。今度、僕らがお店をやることになっている「かわいや」さんに向かい、遠藤さんと落ち合う。この後、三人で飯地のテント村に品物を届けることになっているのだ。ぐねぐねと山道を上り、商品を届ける。その後猫にご飯をあげに一度家に戻る。午後3時。これから店の仕込みだ。色々と持って店へ。パンを捏ねる。昨日、中種を仕込もうと思っていたのにイーストを持って帰り忘れて、柚子の元だねで代用していた中だねだったけど、まぁ、問題なさそうに膨らんでくれていた。粉を量り、捏ね始める。緊張しているのか、いつもと、環境が違うからか、はたまた配達で疲れているからか、何度か量り間違えたりした。まぁ捏ねるの自体はいつもと変わらずできたけど。その後、きんぴらごぼうを仕込む。ごぼうを細切りにして、水にさらす。にんじんを切り始めた頃、柘植さんが覗きにきた。ちょっと話して、じゃあ、後ゆっくり~と言って帰っていった。きんぴらを完成させ、茹で玉子を作っておいた。コジケイの卵なのだけれど、味の違いはあんまし分からなかった。美香ちゃんは二度パンをこねた。配達もあったし、もう疲れきって、早く家に帰りたいと言い出す。僕も、もう無理って、感じだったので、洗い物をして掃除をして家に帰った。外はもう真っ暗。たしか20時を少し回ったくらいだったと思う。家に帰ると「どこ行ってたんだよー!」というような感じで猫がすり寄ってくる。ご飯をあげる。米をたき、食器を洗う。美香ちゃんは布団に直行。僕はチラシを印刷してから布団に向かう。ピートさんとおすしさんがお店頑張ってと、言ってくれたけど、もう、ぐったり。無理無理無理と言いながら布団に向かう。そんな長い長い1日が終わった。さて、明日は初営業日だ。目が覚める。疲れているはずなのだけれど、ぱっちり目が覚めるのはどうしてだろう。昨日は風呂に入らないまま寝てしまったので、朝、湯を張ってシャワーを浴びる。昨日の、仕込みの時に水の配分を間違えてしまったパン種を使って、ホットケーキというか、パンというか、みたいな何かを作って食べた。二日目は8時頃に店に到着し、準備をする。とりあえず美香ちゃんの天然酵母のパンをオーブンに入れておいて、イーストのパンの成形をする。1日目は前日に成形をしていたのだけれど、それだとやっぱりちょっと過発酵の感があったので、やり方を変えてみたら、結構いい感じ。あと、今日の気づきは、焼く前に牛乳を塗るのだけれど、それを塗るタイミングというか、塗ってから焼くまでの時間をしっかり長く取っておくと、おなじ温度、おなじ時間で焼いても焼き上がりの色が格段に良くなるということ。あさ、電話があって阿知波さんがまた全種類、イーストと柚子酵母を頼んでくれた。あとは、中学校のバレー部の人がハムレタトマトを12個注文してくれた。予約は時間までに数を揃えておかないといけないという緊張感があるので、慣れるまではあまり受けたくないな、という感じ。でも、無事にできてよかった。あとはポツポツ売れていって、今日も作った66個がほぼ完売した。美味しかったとコメントを結構もらえていて一安心。今日は1日バタバタしていて、お客さんとゆっくりお話をする時間が取れていなかったので、そのあたりは改善していきたい。木工品を売りたい、というか、木工品を売らなければ、いまの形のお店はなかなか厳しいところがあるので、お客さんとお話して、木工の方に興味をもってもらわないとね、みたいな話を家に帰ってから梅酒をのみながら美香ちゃんと話した。そしてぐっすり、深く眠る。朝、疲れがたまっていたのか、なかなか起きられない。大きなごみ袋を2つ抱えて、散歩がてら美香ちゃんと二人、ごみを出しに行く。今日は小学校のバイトがなかったのでよかった。あったらちょっと早起きが辛かったのではないかなと思う。朝ごはんはずっと前から気になっていた、石窯パン工房というパン屋さんのパンを色々買って食べた。あんパン、クリームパン、食パン、レーズンパン、まぁ、美味しくないわけではないけれど、僕らが作るパンの方が美味しいんじゃないかなという気がする。なんていうか、パンに特徴がないというか、パンの味も風味も感じられないパンという印象。それを車内でぱくつき、そのまま駅前の方に出て、買い物やら、店の合鍵づくり、美香ちゃんの親知らずの抜糸やらなんやらをやった。コンビニでナスの苗をひとつ買って、畑に植えた。後は昼寝して、起きてから家の前を少しだけ草刈りした。道端に美香ちゃんのブラパットが落ちてたので、拾って、ポケットに入れたまま草刈りをした。そのあと、ゆず組合の役員会へ。次回からゆず商品の配達は美香ちゃんと二人で行くことになった。帰ってきて、店のポイントカードを作った。店の看板用に書いた絵と文字をイラレに取り込んで、なんか言い良い感じのものができた。レイアウトは今日、石窯パン工房でもらったものをそのままパクって使った。さて、きょうはもうねる。この頃、食生活が乱れているので、明日はちゃんと食べたい。部屋も散らかり放題なのでお掃除する。あとは、週末の営業に向けての準備、田おこし、木工品の製作。いろいろやらなきゃならないことはあるけど、まぁボチボチやっていきたい。2日間の営業を終えて、お金の計算をしてみた。まずは売上、初日が9520円、2日目が16710円、2日間の合計で26230円だった。材料費等々の計算がまだしっかりできていないけど、食材で5000円、場所代で2000円、その他消耗品で2000円くらいすると、経費は合計で9000円となる、差し引きすると、17230円の利益ということになる。まぁ、悪くない。いやかなりいい感じである。さて、寝よう。久々の日記だ。今日は代かきをした。昨日、水路を整備して田んぼに水が入るようにしたのだけれど、水量が少なかったからか、朝になっても土が見えているような状態だった。朝から美香ちゃんと二人で水路の詰りを直したり、そこに溜まった砂利をさらったりなんかしてみたのだけれど、水量は変わらず。水の源の方まで歩いていって、水を流し直してみるとだいぶ水量が増えて、田んぼにも水がどんどん溜まっていく。耕運機で土と水とをまぜる。荒起こしが不十分だったのか、耕運機がなかなか前に進まない。縦横二回かけて、さらに土が硬い所を重点的にかけた。水を少し減らしてみると、地面の高いところと低いところとがわかった。高いところの泥を低い所へと運んでいく。桶に入れて運んでいく。運んでも運んでもなかなか変化しているように感じられないので、途中でやめて、お昼休みに作った即席トンボで泥を平らに均した。美香ちゃんは午前中で疲れたみたいで、お昼寝してたけど、午後、ひとりで後半戦を頑張った。なんとか、1日かかって、代かきが終わった。あとは田植えだけだけど、苗が間に合うかどうか、というところ。ゆずの配達。満島ひかりのラジオを聴きながら美香ちゃんと二人、市内とちょろっと中津川をまわる。彼女の朗読は良い。すごく良い。演技も良いけど、朗読が良いと僕は思う。歌は僕にはあんましよくわからない。ラジオの中で二つの詩を音楽にのせて読んでいた。尾崎翠の詩が僕にはすごく響いた。ミスタ・シャープ。何てことはない、ロンドンの霧の中の詩人さ。ミスタ・シャープ。ハロー木星。ロンドンの霧の中の詩人さ。もうちょっと探し疲れたみたい。木星の匂い。火星ではどんな言葉が話されている?ハロー木星。ハローミスタ、シャープ。ロンドンの霧の中の詩人。すごくいい。尾崎翠、そのうちに読んでみたい作家だ。その詩を聴きながら、恵那市を南下していく。道端になにか小動物が車に轢かれ死んでいた。それをカラスがついばむ。嘴でそれをつつき、肉を引きちぎる。何てことはない。配達を終え、疲れた体に鞭を打って週末の店の準備。具をつくり、生地を三回こねる。家に帰り寝る。起きる。疲れていたのか目覚ましで起きられず、起き上がったのが5時を過ぎてしまった。店に行き、パンの切り分けと成形。そしてどんどん焼いていく。イーストは今回はかなり量を減らしてみた。中種の膨らみはいまいちだったけど、一次発酵のあとの膨らみは十分。焼き上がりの感じも結構いいかんじ。こんな感じでいきたい。柚子の天然酵母パンも良いけれど、イーストはイーストなりの良さを引き出していきたいものだ。ゆずを引き立たせるための噛ませ犬ではなくて、ちゃんと一個のパンとしてファンを獲得していけたら良いなと思う。今日のパンは中種(粉200グラム)にイーストを0.5g、ほんごねの時に0.7グラム入れた。今日はあんまし人が来なかった。天気がよくなりそうだったので、柚子ジュースを仕入れたけど、結局曇りだったので、一本しか売れなかった。ゆず果汁も買ったので明日はサイダーで割って売ってみようかなと思う。結果、売上は11000円くらい。最低ラインはクリアしてるかなと言う気がするけれど、もうすこし頑張りたい。安田さんがいっぱい買ってくれた。あちはさんも来てくれた。前に来てくれた人も何人か。中学生くらいの男の子をつれた女性。赤い車に乗ったいつも来てくれる男の人。そして、はじめて来てくれた庭文庫めあてのお客さん。営業五日目だけど、何度も来てくれる人がいるのはとてもいい。肉じゃが、ハムレタチーズ、ほしいと言われた。たい焼きないの?と何人かに言われた。焼けるようになりたい。明日はお客さんが増えるのを期待。つかれた。寝る。一週間がバタバタと過ぎ去った。先週の営業を終えて、翌日は藤村さんちに呼ばれて夜ご飯を頂いた。はじめにでてきたトマトのスープが絶品。鰹の叩きも良い。炊き込みご飯も良かった。笠置の移住定住の話から柚子の商品まで、色んな話をしたけれど僕ら二人はあんまし話せなかった。火曜日、店の契約書を出しに行く。店は半年間だけにしてほしいと言われた。なんだかなぁ、という感じ。これから頑張ろうとしてた所なのに残念だ。その時にはそんな風に思ったけれど、いま考えればその方がいいのかもしれない。どうもこのごろ僕らは多忙だ。色んな事をやりすぎていて、からだがきつい。ちょっと暮らしを見直さないとなんのために生きているのか分からなくなってくる。六月からは日曜日だけの営業にしようと決めた。土曜日はイベントをポツポツとやってみるようにしたい。高野先生の家で木のスプーンを削る会のようなものをやる感じになった。もうすこし具体的に話をまとめて先生に相談。もう水曜日は何をしたか覚えていない。小学校に掃除に行って、その後何をしたかな。たぶん製材をして、ワークショップ用のスプーン素材を切り出したりなんなりしたんだと思う。そう、あと火曜日に美香ちゃんが怪我をした。僕が移住定住の何か雑務的な仕事をしている間、美香ちゃんがカレーを作ってくれるということになって、玉ねぎをみじん切りにする時にザクッと指を切った。タオルで止血して。ぎゅっと握る。しばらくそのままにしてから、晒をぐるぐるまいて、輪ゴムで縛っておいた。傷口を見た感じ、ザクッと切れているけれど、まぁ、大丈夫そうなのでしばらく様子見。夜、いたがるので、親知らずを抜いたときに医者から貰った痛み止の薬を飲むように言った。しばらく木工はできないかもしれない。柘植さんに店は半年間だけ、と言われたあと、木工やろう!と美香ちゃんが言っていたのに、その矢先に怪我してしまう。なんかなぁ、、、、店をやっていて思うのは、僕らは店をやったり、人と関わったりするのがやっぱりあんまり得意でなくて、たしかに、一瞬楽しいかなとも思うのだけど、だんだん辛くなってくる。お店をやってると、お客さん来なければ良いのに、とか思ってしまう。なにか、家でコツコツと作って売っていくのが良いのだと思う。どうにかして、自分達にあった活動のしかたを見いだしていきたいものだ。まぁ、いろいろやってみるというのは良いことだと思う。来週はパンの数を減らして、マフィンを出してみる。マフィンの方が作る手間が掛からない。金曜日はゆず組合の配達。その後に店の仕込み。あと、今週あったこととしては、自分達のまいた籾が芽を出した。まだまだ小さいので植えられるかは不明。安田さんのお父さんが苗をくれた。栗、ツバキ、サカキの製材をした。ツバキはブドウの皮みたいな匂いがした。まぁ、そんな感じ。今週の店は、もうなんか疲れちゃってあんまし上手くいかなかなかった。天気が悪かったこともたぶん関係してるけどお客さんがあんましきてくれなかった。準備して開店するまでが大変すぎて、店を開けたあとにぐったりしてる。それがあんまし良くないんだろうと思う。お客を呼ぶための努力をするほどの体力がない。日曜日、美香ちゃんは1、2時間だけ家に帰って寝た。僕も店の机に突っ伏して二時間くらい寝てた。なんかいまのやり方は間違ってるんだと思う。帰ってきて、美香ちゃんと少し遊んで、寝る。起きたので先週一週間の事を書いてみた。これから小学校に行く。寝息、寝息。車が家の前を通りすぎる。雨が降っていて、猫はどこかに行っている。静かな朝だ。いや、川が流れ続けている。僕らがこの家に住み始めて、一年とどれだけ経ったか、良く分からないけど、まぁ一年以上住んで、川の音に慣れすぎてしまっている。このごろ、人の家にお邪魔する時、自分達の家が静かではなかったのだということに気がつく。マリさんの家。デッキから眺める風景。いいなぁ、と思う。静かに、穏やかに暮らしていきたい。でもそれがなかなか難しい。特に経済的理由によってそれが難しくなっている。どうすれば自分達が好きに暮らしていけるだけのお金が手にはいるのだろう。自分達がやりたいと思うことがお金に結びついていかない。ずっと、それで悩んでいて、結局やりたいことをできずにいる。今日は小学校へ行き、帰ってくると部屋が片付いていた。勝野さんがくるらしい。なんだか、移住定住の仕事が大変で悩んでいるそうな。家に帰ったとき、橋の下の辺りを安彦さんが草刈りしていた。ちょっと話した。今日は仕事サボったといってたのが面白かった。稲の苗をみて貰った。6月半ばくらいになっても大丈夫なんだそうです。もうすこし苗を育ててみようかなと思う。今日は草刈りの一日。川向こうの畑が草だらけになっていたので、まとめていっぺんに刈る。しばらく天気が悪いそうなので、今日できてよかった。真澄さんが田んぼの草抜きをしていた。帰ってくると勝野さんがきた。美香ちゃんはマフィンを作る材料を生協に買いに行ってる。しばらく武平さんちで、勝野さんと美香ちゃんと武平さんとで話してた。この間、店の営業の終わったあとで、畑にいた大きなかたつむりを拾ってきた。美香ちゃんがタッパーの中で育てている。まいちゃんと名付けた。レタスがお気に入りらしく、結構な量をパクパク食べている。うんちの量もすごい。たまごの殻をたべたり、水を飲んだりして暮らしている。家族が一人増えた感じ。ぼくはあんましお世話しないけど、ちょくちょく様子を見たい。つぐはると昼寝をした。今日はそんな感じ。もう梅雨入りするらしい(もしかしてもうした?)。まぁボチボチやっていきたい。では。朝起きる。つぐはるが掛け布団を引っ張っていくので僕らふたりの布団が少ない。いや、三等分ではある、みたいな感じになってる。でもつぐはるの体の大きさを考えたら贅沢すぎる布団の量だ。朝から公平性と平等性について考える(考えない)。さて、今日は1日かけてパソコン作業。オンラインショップとブログ記事の作成、一通り終わったような終わっていないような感じ。パソコンをやると目がさえて、夜眠れない。美香ちゃんは横でぐっすりねむっている。さっきオイラーの定理ですか?足首が痒いんです・・・と寝言を言っていた。僕ももう寝る。おやすみなさい。僕は草刈り機で雑草を刈っていく。美香ちゃんは裏の畑のジャガイモが雑草に覆われていたので、それらを引っこ抜きつつ、土寄せをしてあげていた。僕は小学校に行き、帰ってくる。これから僕らが力を入れて売っていこうとしている木工キットのことを進める。リットリンクとかいう、LPを作るようなサービスを使っていろいろやってる何枚かイラストを描いた。夜、映画を二本みた。なんとなく映画を流し始めたら、見始めてしまった。一つ目は草薙君が出てる「台風家族」もう一本は「愛がなんだ」というやつ。どっちもそんなに面白くない。けど、よる梅酒を飲みながらゆっくりする時間があるのはとても良いことだと思う。何日か前のことを思い出しながら書こうと思うと、なかなかうまくいかない。毎日この文章をかいていきたい。さて、気をとりなおしてきょうのことを書くことにしよう。頭が痛い。このところずっと、締め付けられるような痛さ。原因がよくわからなかったのだけど、美香ちゃんが調べてくれたところによると、ストレス性なんとからしい。要するに肩とか首の周りの血行が悪くなって、筋肉が固まっているから頭が痛くなるらしい。ということなので、こまめに肩を回したり、首をぐるぐるしたりしながら今日の午後を過ごしてみたら、これが効果てきめんでもう今は頭痛しなくなった。肩のぐるぐるを習慣にしようと思う。リットリンクできた。いい感じ。あとブログの記事も頑張って描いてる。しっかり完成させるのが僕は苦手なので60パーセントくらいの完成度で終わらせてあとは美香ちゃんに投げる。たぶんこの感じがいいんじゃないかなと僕は思っているのだけれど、たぶんブログの書き方に関してはやり方は今後も随分変わってくると思う。当分こんな感じでやっていきたい。コシヒカリ化成2.5畝に半袋は巻きすぎといわれたけど、袋の裏面にはそういうふうに書いてある。早く田植えしろといわれた。来週の月曜日にもう一度代掻きして、水曜日に田植え予定。天気がいいといいな・・・。今年は稲の後に裏作として麦をやりたい。それを考えると、来年の麦の収穫をおえた後に田植えになるような、タイムスケジュールで今年もやっておきたいとうようなことを考えて、6月に田植えをすることにした。周りのみんなはもう植えているので、なんか、焦るような気分になるけど、まぁ、あせらずやりたい。去年自分たちで育てた稲からそだてた、ナエもだんだん大きくなってきている。失敗してもいいから半分は自分たちのナエを伝ってみることにした。夕方草刈りをした。部屋の片づけをした。恵那に来て、片付けができるようになった気がする。たんたんとあるべき場所に返していってあげれば、気づいた時には部屋は片付いている、ということが分かってきた。しばらくいそがしくて部屋が散らかり放題だったので、このとこと少しずつ時間をとって家を整えている。来年のカレンダーに味噌づくりと、稲苗づくり開始と、梅干しの予定日を書きこんだ。今年は味噌を作れなかった。このところ冷蔵庫にマフィンがあふれている。このあいだ、パンをこねることができなかった日のこと、パンができないなら今日はマフィンデーにしよう!ということでマフィンをいっぱい作ったのだけれど、開店間際で美香ちゃんが過労でダウンしたので、結局店を開けずにおうちにもって帰ってきたマフィンが冷蔵庫を占拠しているのだ。その数、50個近く。体調悪い人が作ったものなので、ご近所さんに配ることもできず、とりあえず冷蔵庫に放りこんだ。冷凍庫はもうすでにいっぱい。いつかつくったパンもまだ残っている。作ったマフィンは2種類。バナナナッツとチョコチップだ。バナナの方は、シナモンを利かせすぎて味がくどいような気がしたので、次回作る時にはシナモンはなしにしてもいいかもしてない。チョコチップの方がおいしかった。もうなんか冷蔵庫の中がマフィンだらけで、自然、僕らはマフィンをいっぱい食べることになるわけだけど、もうなんか結構しんどい。食べても食べても減らないような感じがする。いや、むしろ増えてるんじゃないかという気さえしてくる。実際、僕らはバナナマフィンと、チョコチップという2種類しか作っていないはずなのに、「チョコバナナ」マフィンが誕生したりしているので、おそらく冷蔵庫のなかで交尾して、、マフィンが増えているんじゃないかと僕は思っている。そして、いつか、納豆マフィンとか、味噌バナナマフィンとかいう新種のマフィンたちが生まれてくるんじゃないかと恐れている。もう僕ら二人はマフィン恐怖症だ。マフィンが怖い。けど、今日のろうほうとして、チョコチップマフィンは全部食べ切ったらしい。猫がプリンターの上に乗っかってこちらを見ている。先日もらってきたプリンターだ。僕らの家には3つのプリンターがある。すべて貰い物だが、小さいのから順に、エプソン、キャノン、ブラザーときれいにメーカーがバラバラだ。一番大きいブラザーのプリンターは最近入った新入りだ。A3サイズの印刷スキャンができる。なかなか状態がよさそう、ということで、一応もらってきた。その他にも最近いろんなものをもらってきている。物を減らして家を整えようとしているのに、なぜか物が増えてしまう。しかも、いるのか要らないのかわかんないけど、なんとなく面白そう、みたいなばくぜんとした理由でもらってきてしまう。最近もらってきたものといえば、たとえばこんな感じ。小学校の椅子4脚、身体測定用の体重計(100キロまで計れる)これでつぐはるの重さをはかってみたらちょうど5キロだった。大きくなったもんだなと思う。これで、つぐはるに何グラムご飯を上げればいいかがはっきりした。あとは、背筋を測定する器具。これは、この機械がほしかったわけじゃなくて、それが入ってた木箱がなんかかっこよかったからもらってきた。あとはマリさんにオーブンをもらった。このごろだとそんなところだ。歯が痛い。どのくらい前からそう思っていたのかもうよくわからない。よくわからないくらい前から、なんか歯がいたいなぁと思っていたのだけれど、歯医者に行くのが億劫で、ずっと放置してきた。さかのぼって考えれば、あれは確か2年前の夏、僕が長野の森の中でリンゴを食べていると、ぽろっと詰め物が取れてしまった。そのときすぐに病院に行けばよかったのだけど、やっぱりその時にも歯医者に行くのが億劫で行かないまま2年がすぎた。そして今日病院に行ってきた。麻酔を打たれ、ゴリゴリ削られ型をとった。恵那の病院は真っ白い感じだった。幼いころから僕がずっと通っていた歯医者とは少し違う。記憶のなかにある歯医者は、もっと暗い感じ。暖色系の照明、もこもこした椅子。観賞用の水槽に無数の小さな魚が泳いでる。いま考えれば、病院だし、真っ白で無機質なのが普通なんだろうけれど、僕の記憶の中にある歯医者はそんなちょっと怪しい雰囲気の場所だ。なんだったんだろうかあの歯医者は。仮の詰め物を入れてもらった、来週、完成版の銀の詰め物を被せてもらう。かえってきて、作業部屋の片づけをする。どこに何を置くか、抜本的な変更が必要な気がする。このところ、散らかりすぎて、作業部屋があまりうまく機能していない。小学校からの帰りの車の中で、美香ちゃんと毎日ちゃんと作りたいものを作る時間を設けようという話をした。そこで、帰宅後、今作りたいものって何だろうみたいな話をしたら、ランプシェード欲しいよね、みたいな話になったので、風船に半紙と麻ひもを巻き付けて固めてランプシェードを作った。今はまだ乾燥中で、目の前に二つぶら下がっている。そういえば、大学院のころ、住んでいた部屋のランプシェードもおんなじようにして、自分で作ったものだった。売ることを考えずに、自分の作りたいもの、使いたいものを作っていこうという話になった。しばらくはそういうことで続けていきたい。その方がモノづくりを楽しめる。そうそう。このごろの我々猫の皿の方針としては木のモノづくりの楽しさを伝えていくような活動だったり、みんなに木にふれるきっかけを作る活動をしていこうみたいな感じ。木の何かを作って売るのってやっぱり結構難しいよね、みたいなことはもうずっと前から分かっていたのだけれど、なかなかそういう方向性を変更できずにいた。なんかちょこちょこといろんなものを頼んでくれるひとがいたりとかするからだけど、やっぱりそれらに答えるたびにやっぱりこういう方向性は厳しいよね、という風に感じてきていた。ということで、そもそも、僕らが最初に話していたような、木工の体験を売ろう、気でモノを作ることの楽しさを売ろうというような方向性にまた戻ることにした。それで最近スプーンの制作キットを作ってる。もうだいぶできていて、あとは三木章に注文したナイフが届くのを待つばかり。三木章からナイフが届かないので、確認のメールを送ってみた。対応してくれるだろうか。あと、クリーマから箱の注文が来た。簡単そうなので、適当に見積もりを出して返信してみた。水を吸った半紙って意外と乾くのに時間がかかるんだな。小学校から帰ってくる。田んぼの水が減っているので、水のおおもとを見に行く。水門の高さを調節する板が新しくなっていた。もう古かったから、誰かが新しくしてくれたのだろう。一度門を大きくあけて、つまりを解消してから、元の高さに戻す。お隣のおばあちゃんが庭の草をむしっていた。いつもだったらそのまま家に戻ってくるところだけど、今日はなんとなく、そのまま道を山の方へ進んでいった。そこから上は山の中、というような道を美香ちゃんと歩く。普段見る風景をちょっと上から眺めるとなんか見え方が全然違う。山の影に入って、明るい向こう側の景色を見る。朴の木のシルエットが面白い。その先に田植えして間もない田んぼの風景があり、さらにその先に山がある。そういうレイヤー構造の風景が面白い。ぐるっと一回りして家に帰った。歯が痛い。麻酔が切れてきたみたいだ。美香ちゃんがお米を炊いてくれている音がする。くしゃみが止まらないので、アレグラを飲んだ。肩こりは血行が悪いからだとわかったので、今度はくしゃみの原因を知りたい。やっぱりアレルギーなんだろうか。アレルギーの原因は何だろう。睡眠が不足しているとくしゃみが出るという風に僕はなんとなく感じているのだけれど、実際のところはどうなんだろうか。花粉か雨の日にはあまりとばないから花粉症の症状は雨の日にはあまりでないみたいな話をよく聞くけど僕はあれがあまりピンとこない。むしろ雨の日にこそくしゃみがよく出る気がする。すべてのものに原因があるという風に考えるのを基本にしていきたいと思う。このくしゃみの原因は何だろう。猫が文庫本のひもをかみ切って飲み込んだ。つぐはるはひもをよく飲み込む。おなかの中がひもだらけなんじゃないかと心配。ひもを放置しないように気を付けているのだけれど、油断するとすぐにやられる。もう、基本的にひもはすぐに切って捨ててしまった方がいいね、という話になった。本当に心配。外を自由に歩き回っている猫は外で飼い主が見てないところで何かいけないものを飲み込んだりするんだろうか、それとも飼い猫だけの行動なんだろうか、とりあえず猫が心配。猫のごはんを少し良いやつにすることにした。月のご飯代が5000円ほどになるらしい。美香ちゃんがいろいろ調べてくれて、なんかよさげな奴になった。僕も一粒食べてみたら、なんか、風味がゆたかで僕が食べても結構おいしい感じだった。前にカルカンも食べたけど、それとは全然ちがう。おいしい。つぐはるも残さず食べるので猫にもわかるおいしさ何だろう。いや、人間にもわかる味の違いなんだろう。猫には長生きしてほしい。美香ちゃんの携帯がなる。図書館からだ。ずっと田んぼの本をかりたままにしていたので、いい加減返せと連絡がきたらしい。あした返しにいくとのこと。おとなりのシゲコさんに野菜をもらった。昼寝をしているとピンポンと音が鳴り、でると野菜をくれたのだった。そういえば、今日、玄関先に気が置いてあった。大き目の丸太がポンと置かれている。メッセンジャーがはいっていて、開くと藤村さんが置いてくれていたらしい。ツゲの木とのこと。美香ちゃんがツゲ櫛をつくることになった。最近椅子をすごく作りたいなと思ってる。いままで、売れるもの、売れそうなもの、と考えて何を作るか決めていたけれど、制作に関してはもう好きなものつくろうよ、ということになったので、じゃあ僕は椅子を作りたいなと思ってる。チェロとかも作りたいなと思うけど、なかなか難しそうなので、順番にやっていこうと思う。とりあえず椅子から始める。どんな椅子がいいかなぁなんて、想像しながら掃除をする。家の前に積まれている木々を使って。半分生木でやろうかなと思う。座面はまた、自分の稲わらで縄をなって、それを編んで座面にしようかなと思う。ワクワクする。図面を書いて、正確に加工する、みたいなつくるかたでなくて、その場その場で考えながら、即興的に作ってみようかなと思う。うまくいかなくてもまあそれはそれで、ということで、さっそく明日から少しでも椅子づくりの時間を設けることにした。今日は原稿用紙換算で8ページ分書いたらしい。昨日今日とパソコンで書き始めたけど、やっぱり文章はパソコンの方が書きやすい、ほとんどしゃべるのと同じくらいの時間でかけているかもしれない。音声入力も試したけど、とりあえず、キーボードを叩いた方が速そうだ。一つのファイルに文章を書き続けるというのは結構おもしろい。継続することが苦手な僕だけど、これは続けられそうな気がする。日々の積み重ねが結果として、視覚的に残るからだ。毎日書こう。雨が降っている。雨の中、ごみを捨てに行く。可燃も不燃も出せる日だ。美香ちゃんは生理が重いらしく今日は寝て過ごすことにした。小学校へ行き、帰ってくる。肩をぐるぐるさせる運動のおかげか頭痛はない。かえってきて、部屋に立てかけてあった、ツバキの細い木を使って椅子を作り始めた。木の曲がりを生かしたものにしようと思って、ちょうどいいところをトリミングした。それをバンドソーで盾に半分にパカリと切った。途中、太いところでバンドソーの最大切断厚さを超えてしまったので、手ノコで切った。こっち側からと、あっちがわと、木の両端から刃をいれてしまたので、真ん中で切り口が合わなかった。なので、最後はバール二本をつかってパカリと割った。机に立てかけてどんな風な椅子になるのか想像を膨らませる。うまくいくだろうか、図面も書いていないし、完成形のイメージスケッチさえもしていない、うまく組みあがるだろうか、わからないけど、とりあえず作業を進めてみるつもりだ。うまくいかなかったとして、どうなるわけでもない。でもいまのところ結構いい感じだなと思う。半紙のランプシェードはまだ乾燥していない。結構時間がかかるもんだな。坂口恭平の昔の文章を読んだ。2004年くらいの文章だ。それによると、名刺を作っていろんな人に渡してるけど、リンク先は日本語だから、みんな読めない、だからグーグル翻訳にぶっこんで英訳して公開した、みたいなことが書いてあった。これ、おもしろいなと思って、ぼくも試した。そしてさらに僕が面白いなと思ったのは、その英語をもう一度日本語に翻訳しなおした文章だ。意味が変わっていたり、主語が変わっていたりといろいろあるけど、面白い文章だ。たとえばこんな感じだ、――目覚める。彼女は文章を書きたいと思っていたのだが、そのための十分な時間がないと言い訳をしてきた――なんか小説みたいな文章になってる。その他にも、全体としてはおかしな文章なんだけど、ところどころ、面白い表現が出てくる。例えば、「真理さんの家」と僕が書いたところを変換に変換を重ねると「マリの家」となる。なんかこの字面かっこいい、この人単語だけで何か物語を書き出せそうだ。小学校からの帰り道、僕は一匹のおかしな猫に誘われるようにして、ある一軒の家にたどりついた。いつも曲がる道を曲がらずに行った先、車が通れないような細い道を少しいったところだ。そんなところに家があるなんて知らなかった。一階建ての古いのか新しいのかわからないような家だ。全体の雰囲気としては古いのだけれど、外壁はおしゃれな緑色に塗られ、入り口のドアは鮮やかな赤色で塗られている。けれど、その赤はけばけばしさはなくて、なんだかとても落ち着いた感じの色だ。家が見え、僕は足を止める。誰の家だろう。よその人の冷えに勝手に入っていったら、怒られるんじゃないかと思った。立ち止まり、どうしようかと考えていると、猫はぴたと歩くのをやめ、僕の方を向いて、みゃあと鳴いた。すぐに向き追って2、3歩進んだかと思うと、もう一度、立ち止まり、そしてまた、みゃあ、と鳴いた。「ついておいで、大丈夫だから」そんな風にその猫は言っているような気がした。ざ、ざ、ざ、と庭に敷かれた砂利の上を歩く。家の周りは木々に囲まれている。お山の真ん中にぽっかりと穴みたいに空き地ができてその中に家があるみたいだった。家の前にはだんだん畑が広がっている。けど今は何も作っていないみたいだった。背丈の長くなった草が風に揺れている。静かだった。こんなに静かな場所にはいったことがないような気がした。木に囲まれ、その中に立っている自分はこの世に一人きりなんじゃないか、という感じさえした。もしかしたら、この森に囲まれた家の回りはなにもないのかもしれないそんな想像が頭の中で膨らむ。その空想の広がりを遮るように、また、みゃあ、と猫の鳴く声が聞こえた。「さぁ、早く、何しているの?」そんな感じだ。簿kはまた、猫の後について、歩き始めようとすると、今度はまた別の声がした。今度は人間の声だった。「あら、こんにちは、どうしたの?」僕はどきっとして振り返る。心臓を針でちくっと突然刺されたのかと思った。肩がすくみ、おなかが引っ込んだ気がした。振り返るとそこには女の人がいた。僕のお母さんよりはだいぶん年上みたいだ。「えっと、あの。」僕は自分がどうしてここにいるのかわからなかった。ここがどこなのかもよくわからず「猫が」という言葉だけがろうじて口からでてきた。猫はどこかへ行ってしまっていた。まったく無責任な猫だと思う。とにかくまぁ、僕とマリとが初めて会ったのはこんな風にしてだった―――。みたいな感じだろうか。なんかいい物語が描けるかもしれない。いつかこんな物語を書くかもしれない。なんてことを思う。その他にも気になる一言というか、キーワードみたいなのがぽつぽつと目に残ったので、なんか、今くらいの精度の翻訳機能は創造の力を喚起する何かがあるのかもしれない。自分の書いたものだけど、自分の書いたものとはちがう現れ方をするというのは結構面白い体験。なんかうまく説明できていない感じがするのだけど、なんて書いたらいいんだろう。書いていることの根本は、自分の中にあるものなのに違う言葉として目の前に現れているという感覚?またよくわかんないことを書いている気がする。近い体験としては、本を読んでいて、自分が考えていたようなことが別の言葉で表現されてるみたいなのと同じかもしれない。「わかる!そうだよね」みたいな。すべては自分が書いた文章なのだけれど、翻訳を二回とおすことで、なんかもう他人の文章として読める。僕のものづくりは何かの模倣でしかないと思っている。僕に限らず、世の中のほとんどはそうなのかもしれないし、もっと言えば、この世のすべての創造物は何かの模倣なのかもしれないけど。まぁ、それはいいとして、僕が何かものを作ろうという気になるとき、それには何か手本となるような何かが必ず存在する。これみたいなの作りたいとか、これをまねて作ってみようとか、そういうものだ。それが風景だったり、ものだったり、誰かの文章だったりするわけだけど、今回の翻訳二回によって生まれた文章も、結構そういう何かとして機能しているような気がする。自分が書いたものに刺激されて何かを作るというのはなんか自分の中では結構新鮮な体験なような気がする。これはもしかしたら、結構いいかもしれない。結構いいって何が何に結構いいのかよくわかんないけど笑。ゆず商品の配達をしてきた。変わったことは特にない。美香ちゃんを隣に乗せて、100キロちょっとのドライブ。5/30に賞味期限が切れるカステラをいっぱい引き下げてきた。かえってきてから少し寝る。また頭が痛いような気がしたので、肩をぐるぐるする。少し良くなる。先日作ったリットリンクのリンクヲQRコードにして、木工キットの同封物を完成させる。このごろ、この記事でとにかくもj費をたくさん書いているからか、ちょっとした文章なら、すぐ書ける感じになった。いいことが書けているかはわからないけど、いい悪いの判断は美香ちゃんにまかせて僕はとにかく書くことにしよう。三木章から返信があった。ナイフ、送ってくれるとのこと。これで木工キットを売り始められる。夕方、草刈りをする。田んぼの方の草が伸びていたのでそっちを刈る。結構大変。お隣畑の草がきれいに駆られていた。獣害対策の柵がなくなっていた。草を刈り、水路をきれいにする。田んぼの水が少なくなっていたので、上流に行ってつまりを解消する。ったぶん明日には元の水位に戻っているはずだ。そのあと即興椅子で使う材をチェンソーで製材した。ツバキを細長く製材する。それなりにうまくできたんじゃないかなと思う。かえって来る。疲れた。今日はちょっと頑張りすぎたかもしてない。そのあと、昨日か一昨日かに作った卵黄シェードが乾燥したみたいだったので続きの工程をする。なんとなく完成して、取り付けてみた。悪くない。半紙を重ねすぎたのか、ちょっと暗くなりすぎるかなという感じもするけれど、まか雰囲気があっていい感じ。僕のつくったのは、パソコン室に。美香ちゃんが作ったのは寝室に取り付けた。今日はいろいろやりすぎ。くたびれてちょっとくらくらする。牛丼を作った。卵とマヨネーズをトッピングして食べた。猫がご飯を食べてくれない。体調が悪いとかではなくて、このあいだ、高級なごはんを食べさせたら、それがかなりおいしかったらしく、元のご飯にもどしたとたん食べなくなった。「違うのよこせ」とイライラして恨めしそうに睨んでくる。新しいご飯は明日の午前中に届くはずなので、今日と明日の朝ご飯は我慢して食べてもらうしかない。チャウチュールを上からかけで混ぜてやったら食べてくれた。明日の朝もそれぜ我慢してもらうことになると思う。なんか申し訳ない気持ち。やっぱり高いご飯はおいしいのね。明日は自治会の初寄合の日だ。明日は午前中に猫のご飯を受け取って、そのあと、日曜の店の準備、そして寄合。そして早く寝る。ほかに何かすることはあるだろうか。買い出しにいかないといけないかもしれない。美香ちゃんはもうねただろうか。小学生のころ、僕は文章を書くのが苦手だった。何をどう書いていいかわからなかった。ここでいう文章というのは、主に「読書感想文」を想定しながら書いている。読書感想文が僕は苦手だった。夏休み、読書感想文は最後の最後まで手をつけられなかった。感想、というのは結構難しいないようだよなと思う。自分がどう感じるのか、なんてもしかしたら一番書くのが難しい題材なんじゃないかという気がする。たしか、それの文章りょって、原稿用紙5枚とかだったきがする。原稿用紙5枚なんてちゃちゃっとかけるでしょうと今なら思うのだけれど、当時はなんかつらかった。書いても書いてもマスは埋まらず、もう何を書けばいいのか、と困り果てながら、読んだ物語のあらすじを書いていたように思う。あらすじを書いて、このとき僕はかわいそうだなとおもったとか、すごいなと思ったとか一言付け加える。それが僕の作戦だった。なんで、こんなことを書き始めたのかというと、今、この一連の文章の文字数を試しに数えてみたのですが、それがなんと、現時点で約2万字だ。結構なボリュームの文章だ。原稿用に換算すると、50枚分だ。あんなに書くのが大変と思っていた分量の10倍だ。結構すごいなぁなんて。内容はいまの僕にはどうでもいいことで、文章を書くという行為自体、画面を文字で埋めていくという行為自体を楽しめているような気がする。そのうち、長い文章をかくことになれ、毎日書くことになれたら、何かすごい文章が書けるようになるかもしれない。そのうち小説も書いてみたい。社会から切り離された箱の中の物語、聖域(アジール)の中の美しい物語みたいなのとか描きたいな、と思ったりする。まぁいつになるかわからない。もしかしたら、この文章のなかで時々そういう物語の断片が書かれるかもしれない。明日の午前中はツバキの即興椅子の制作をしようかなと思う。うまくいくか、どうかわからないけど、楽しんで制作できている。昨日夜中まで作業していたら、二階で寝てる美香ちゃんから電話かがあって、ゴンゴンうるさいと注意された。おとなしく風呂に入って寝ることにした。ゴンちゃん、うるさいよって言われた。次からはおとなしく作業します。昼に梅のおにぎりを食べた。歯を磨いて寝る。起きる。目覚めは良い。朝ご飯として、納豆たまごかけごはんを食べる。その後、明日の店の営業のためにパンの中種を仕込みに行く。30分もあれば終わってしまう作業だけど、前日の早い時間にこれだけは準備しておかないとごご捏ねられないので、一人で店に行って、仕込んでかえって来た。土曜日はやめて、日曜日だけ営業しますという張り紙をしてきた。家に帰ってから、何か政策をするつもりだったけど、なんか、急にやる気がなくなって、なにもする気にならなかったので、昼間で布団で寝る。なんでかわからないけど、そういう日がある。ぐっすり寝たのか、眠りが浅いのかよくわからない感じ。何か夢をみた。よく覚えていないけど、同じシーンが何度もリピートされて、ちょっと嫌な夢だった気がする。午前中に猫の新しいご飯が届くはずだったのだけれど、来なかったらしい。昨日の午前中に電話して、今日の午前に届けるといっていたのに何かの手違いだろうか、届かない。宅配の時間に行動を制限されている。置いといてもらえればいいなと思うのだけれど、運ぶ側としてはそうもいかないのだろう。静岡にいたときには、玄関先においておいて、ということができたのに、地域性があるのだろうか、それとも最近変わったのだろうか。まぁ、とにかく面倒臭い。もちろん買いに行くよりは全然便利なのだけれど、、、。もうそういうのが嫌なので、ということで、美香ちゃんがいろいろ調べて、「オキッパ」というサービスを使ってみることにした。玄関先に袋を置いておくと、宅配の業者がそこに荷物を入れておいてくれるらしい。日本郵便がそういう風に置き配してくれるのは基本、そのオキッパというサービスだけとのこと。(なんか、申請の書類をださないと普通は置き配してくれないらしい。よく知らないけどとにかく、そのオキッパというのが月々300円で使えるらしいので、やってみることにした。300円で時間が自由になるなら安いものだと思う。あと、そのオキッパのあぷりが結構便利で、書く運搬業者が運んでいる荷物のそれぞれの運搬状況が横断的に一覧で見られる。これはオキッパのサービスを使わないひとでもインストールしてみる価値があるように思う。結構便利。猫のごはんんは結局5時ごろについた。何とか、猫の夜ご飯は新しい、おいしい方のご飯を挙げられた。午前中寝て過ごしたけど、午後はブログの記事を書きながら猫のご飯が届くのを待つ。オキッパのアプリを見ると「配達中」になっている。いつ来るんだろうと思いながら待つ。美香ちゃんもつぐはるもまだかまだかと待っている。14時頃になって、そろそろ、店の買い出しに行きたいなと思いはじめ、美香ちゃんだけ、一人で買い出しへ行き、僕とつぐはる二人で荷物が届くのを待つ。しばらくして、ピロロンと携帯が鳴り、何だろうと思って、見るとアキッパのアプリで「不在でした」みたいな通知が来てる。慌ててポストを見に行くけど、不在届は入っていない。ぜったいいたもん!来てないもん!って感じだ。慌てて業者に電話すると、やはり手違いだったようで日にちが31日のままになっていたとのこと、「配達中」になっていたのはなぜなのかよくわからないけど、まぁしかたないね。5時ごろにまた配達に来てくれることになったので、美香ちゃんと二人で店に行き、パンをこねる。18個分のパンをそれぞれ一回ずつ捏ねた。全部で36個のパンになる計算。イーストのパンはもう少しグラムを減らしてみてもいいかもしれないな、とずっと思っていたので、明日は少し試してみるつもりだ。何個になるかは分からない。明日はマフィンもやる予定。チョコチップとバナナ。あとは木工キットの販売も始めた。僕が午前中寝ているあいだに美香ちゃんが販売を開始してくれていた。ありがたい。三木章に頼んでいたナイフ右も10本届いた。やっとキットの販売を開始できる。売れるといいな、という感じ。なぜかクリーマで売れたレトロのトレーを発送する。薄羽くん兄弟にも木工キットの乾燥聞きたいなと思って、栗のスプーンを郵送した。どのくらい時間がかかったとか、やりにくいところはあったかとか、そういうのを聞く予定。いろんな種類の材料を用意したい。夜、今年度初めての寄合、7時開始だけど、6時半ごろに家を出て、6時40分ごろに集会所についた。3、4人がきてた。去年は7時ちょうどに行って、僕ら以外はみんな揃ってて僕ら二人を待ってる感じだったので今年は早くいってよかった。おじさんたちと話す。町内でもコロナがでたらしい。話が回るのが速い。僕らは知らなかった。みんなワクチンの話とかもしていた。かえってきて風呂に入る。おいしいご飯を食べたからか、猫がおとなしい。品のあるような表情をしてる。家にずっといたのに、不在になった、という話に戻るけど、そういう体験を僕は以前したことがある、そんな風に感じていつつ、思い出せずにいたのだけれどさっきこれを書いていたらおもいだした。2016年の秋ごろ、僕はイギリスを旅行した。ひとりで鉄道に乗ってイングランドをスコットランドをぐるっと一周してきた。地名を思い出せなかったので、イギリスの地図を見る。ロンドン、バース、バーミンガム、マンチェスター、リーズ、それからコッツウォルズにも行った。ヨーク、ダーリントン、ダラムへと進み、カーライルへと進み、そして、グラスゴーと、エディンバラ。いまになって思えば、結構な距離を移動したものだ。懐かしい。それで、いま、書こうかなと思ったのは、コッツォルズでの出来事だ。うろ覚えだけど、思い出せる限り細かく書いてみようかなと思う。その日、僕はバーミンガムのコンドミニマムに泊まっていた。一回がバーになっていて、二階に12個のベットがある部屋だ。12個もベットがあると、いつも誰かしらが寝ているので、部屋はいつも薄暗い。もっとも僕はほとんど外出して過ごしていて、夜寝に帰るだけだったので全く問題はなかった。安宿だった。とにかく宿泊費を節約したかったので、いろいろとネットで調べながら一泊1000円とか2000円とかの安いところを選んでいた。その日はコッツォルズから、それよりももっと北の方のはちみつ色の民家が残っている風景をみて回るつもりだった。その日の最初の目的地はコッツォルズだった。そこへはバスで行った。バーミンガムから、確かバスを乗り継いだかな?いや、もう少し近くの駅まで電車で行った気もする。でも最終的にコッツォルズへはバスだったように記憶している。観光脚も乗ってるけど、地元の人たちも乗っているようなかわいらしいバス。景色はどんどん田舎になっていく。畑の風景が続く。途中幼稚園児くらいの小さな子供立ちが、にんじんだのジャガイモだのと言ったやさいを抱えて乗ってきた。農業体験の日だったのだろうか、遠足だったのだろうか、そんなこんなでコッツォルズへ着く。こっつこるずは小さな村だった。はちみつのような、黄白色の石でできたかわいらしい民家だ。石ころを広い、手をのばして、家に重ねてみると、まったく同じ色をしているということが分かる。家が大地からできているのだ。木の家よりもずっと、ダイレクトに自然とのつながりを感じられた。家も教会も、みんな大地と同じ色をしている。一通り見て回って、バスを待つ。観光案内所のようなところでもらったバスの時刻表をみながら、橋のたもとの塀のような場所に腰掛け、皮を泳ぐ無数のマス(?)をぼんやりと眺めながら時間をつぶす。そこはバス停だ。コッツォルズには一時間ほドいて午前中にはそこを出るつもりだった。まだまだその日乙津れる村はいくつもあった。バスの時間が近づく。隣に僕よりも一つか二つか若いくらいの女の子が腰を掛けた。バスを待っているのだろう。話していないので分からないけど、たぶん日本人だった。バスの時間になる。バスや電車が遅れることは頻繁にあるようだったので、それほど気にしなかったけど、時間がたつにつれ、不安になってくる。本当にこの場所であっているのだろうか、時間はあっているのだろうか、、、僕もそのそんなの子もきょろきょろしだす。おそらく日本人であろうその子に話しかけてみようかな、とか思ったりもしたけど、そのうちに遠くからバスが来るのが見えた。でもそれは僕が乗ろうとしているバスの反対方向のバスだった。あぁ、反対側か、と僕は思って、特に動かないでいたのだけれど、その女の子はそちら側に乗るようで荷物を手にして、立ち上がった。彼女は乗れたらしい、僕は無事に乗れるだろうか・・・と思っていたら、あれ、なんかおかしい。あっと思った時には遅かった。バスはスピードを緩めずそのまま通りすぎてしまったのだった。彼女はバス停に取り残され、「いてたのに!いてたのに!」と関西弁で悔しがった。「いてたのに何でなん!」どうやら、立ち上がって「いるよ!、バス待ってるよ!」とアピールしないといけないらしかった。もしかしたら道路の反対側で待っていたのが失敗だったのかもしれない。そこでやっと話しかけてみた。「あの、大丈夫ですか?」「バス行っちゃった。」「ですね」「いてたのに・・・次のバスいつだろう。」「あ、僕時刻表持ってる」見ると次のバスはなんと3時間後だった。「こんなトコに4時間もいられない笑」僕が乗るバスまではあと30分くらいあったので、少しのあいだ雑談した。大阪の大学生で。ポーランドとかルクセンブルクとかの方から、ドイツ、フランスときて、今イギリスにいるとのことだった。どうしよっかな、となっている。バス停のそばに宿があったので、そこの人に言えば、タクシー呼んでもらえるんじゃない?と言ってみたりした。んー、タクシー使うのかーお金かかるなぁ・・・でもここに3時間はないなぁと悩んでいた。そしてそろそろ僕のバスがくるよって頃に、彼女はタクシーを呼ぶことに決めたらしく、そいじゃ、と言ってホテルの方へ歩いて行った。そして僕のバスが到着し、僕は、バスにのって次の村へ向かう――そうなると思っていた。バスの時間だ。もう来るはずだ。少し、遅れているのだろう。と気楽に構える。川のマスともだいぶ仲良くなった。バスを待つ。バスが来るはずの時間から、さらに30分ほど経った。あれ、いくら何でも遅すぎないか?しばらくして、先ほどの彼女が呼んだと思われるタクシーが目の前を通り過ぎた。そのタクシーは宿に泊まり、そしてロンドンに戻っていくそのタクシーには彼女が乗っているのが見えた。あれ?バス乗ってないの?と彼女がときょんとした表情でこちらを見ている。通りすぎたあとも、バックウィンドウから彼女の顔がコチラを向いてるのが見えた。僕はここでまよった。ロンドンへ、つまり僕が行きたい方向と逆向きへ、その子と乗って帰ってしまおうか、あるいはバスをそのまま待とうか、僕は待つことにした。そして結局、僕の待っていたバスは来なかった。なんでだろう。いてたのに。結局、僕はその大阪の女の子が「ないわ」と言っていたバス(例の3時間後のバス、しかもロンドン行き)に乗ってロンドンへ戻ることになり、行こうと思っていた村のうちの一つしか回れないまま、バッキンガムの宿にもどることになったのだった。なんか途中の部分をうまく表現できたないけど、なんか、そういう感じのことがあった。バスを待つ間、もっていっていた小田実の「なんでも見てやろう」をずっと読んでいた。まぁ、結構いい時間の過ごし方だったのかもしれない、そんな風に今では思う。バッキンガムに早めに戻り、もうなんか面倒臭かったので、マクドナルドへ行ってなんか食べて宿に帰った気がする。イギリスのマクドナルドはやっぱり東京で食べるマクドナルドと同じ味がした。何日日記を書くのをさぼっただろう。ハウリン・ウルフのBacK Door Man を聴きながら書いている。パンと木工の店を開ける。イーストのパンの調子が悪く、味はそれほど悪くないのふぁけれど、焼き目がうまく付かなかったので、その日はイーストのパンの販売はやめておくことにした。マフィンを焼いて販売した。パンはゆずの天然酵母だけ。具は、こしあんバター、はちみつナッツ、プレーンの3種類だけにしてみたけど、やっぱりしょっぱい系のパンもあったらいいなと思いつつ準備が大変だからなかなかな・・・という感じ。なんか店をやるモチベーションが結構急激に下がってしまって、その日の営業中からどうする?もうやめる?なんて話をしてた。話していると、なんだかもう全然やりたくなくなってしまって、その日の営業終了後にオーブンやら、冷蔵庫の中の食材やら、粉やらをいろいろと車に積み込んで帰ってきてしまった。家に帰って今の床に「はらぺこあおむし」のトランプが落ちていたので、美香ちゃんと「スピード」をバトルをして遊んだ。美香ちゃんはスピードが強い。どんどんカードを出していって、僕は全然出せない。僕がカードを置こうとするところに置いていくから、僕はあ、あ、あ、と言いながら同じカードを手にもったままになってしまったりする。何度かやって、ほとんど僕が負けた。一回くらいは勝てたかな。そういえば、エリック・カール死んじゃったみたいね。というか、まだ生きてたのか、というのが逆に驚きだったりする。失礼な話だけど。お店屋さんは向いてないよねと本気で思ったのだけど、翌日、考え直して、やっぱり半年間はやってみようかということになった。やっぱりやめるにしても急すぎる感じがするし、僕が店で嫌だな、つらいな、苦手だなと感じていたことももしかしたら改善のちょちがあるんじゃないかという気がしたので、もうしばらく試してみる。店からいろんなものをいっぱい持って帰ってきたので、家がめっちゃ散らかっている。翌日小学校に行くときに財布が見つからなかったので、美香ちゃんの運転で送ってもらった。財布どこに置いたかな・・・と思いつつ、ま、部屋を片付ければ出てくるだろう、と気楽に考えていた。けれど、部屋を掃除しても出てこない。お店を見に行ってもやっぱりない。あれぇ、おかしいな、どこにやったんだろうと思いながら、家をごそごそと探しまわているとポケットの中に小学校のカギが入っていることに気づく。カギを返しに行くついでに店をもう一度見に行く。僕は財布を持っていないので、もちろん美香ちゃんの運転だ。もう一度お店を見に行くも、やっぱりない。おかしいおかしい、と言いながら家に帰ったら今の座布団の下にあった。たぶんつぐはるが隠したんだと思う。いや、そんなことないか笑。たぶん、スピードをしてる時に邪魔になって、床においてしまって、何かの拍子に座布団の下敷きになったんだと思う。代掻きをした。2回目だ。この間やったのはいつだっただろう。確か5月の前半のことだ。去年自分たちが作った米の籾から、芽だしをして、ナエにしていたのだけど、それがなかなか大きくならなかったので、田植えのタイミングがずれた。でも、もうさすがにそろそろ植えた方がいいんじゃないかというきがしてきたので、もう一度代掻きをして、水曜日に植えることにした。逆算して、今日は代掻きの日になる。午前中宇小学校にいって、掃除をして、ご飯を食べて、と色々したので、午後から農作業をスタート。水が抜けてしまっていたので、水路の改良作業を最初にすることにした。なんか、田んぼのしもての方で、田んぼの水がおおきな水路に放流される部分で、直径10センチくらいの黒い管を使って排水していたのだけど、それだと排水の量が間に合わず、水門のあたりから水があふれてきてしまっていたので、その管を掘り起こし、水路の幅をひろげて、護岸を石で固める、みたいな作業をした。そのうちに田んぼに水が溜まってきたので、代掻きをする。途中、武平さんが通りかかり、耕運機の設定違う、と教えてくれた。ロータリー変則は高速にして、ギアは1速。ロータリーの刃はあんまり出さずに、土の表面5センチくらいを混ぜるくらいに浅く浅くかき混ぜる。ちゃんと覚えておくためにここに書いておくことにした。小学校は用事ができたといって休んだ。店を続けてみることにした。買い出しに行った。駅の方のドン・キホーテでアイスを仕入れてきた。郵便局でお金を口座に入れたり、ナイフの代金を支払ったりした。かえってきて、アイスを食べる。そのあと、木工キットの材料を切り出した。オンラインショップのことで美香ちゃんと言い合いになる。午前中、小学校へ。こう書いていると、結構小学校に行ってるな・・・。ゆず組合の検便を出しにビジターへ行く。帰ってきて、田植え用の線を引く道具をつくった。作ったといっても、代掻きで使ったトンボに30センチ間隔でビスを打っただけだけど、、、それでもちゃんと使いものになったのでよかった。その場で間に合わせのものをつくる能力はこの一年でだいぶ向上したように思う。田んぼに行き、線を引いていると知さんが声をかけてくれた。「苗あるか?」自分でも去年の籾から苗を作っているのだけど、まだ小さいから、半分だけ、自分たちの小さいのを植えて、もう半分はもらった苗にしようかなと思っていると言うと、自分のでやってみなよ、たぶん大丈夫だから、と言ってくれたので、今年は失敗覚悟で全部自分たちの苗でチャレンジすることにした。植える間隔は畝間30センチで、株間20センチくらいでいいとアドバイスしてくれた。上の田んぼでは30センチ角のマス目の交点に植え、下の田んぼは言われた通り、20センチ間隔くらいで植えていった。どんな違いがでるか観察したい。優しいおじさんたちに囲まれていて、本当にありがたいことだと思う。初めに線を引いていたので、去年よりもだいぶ短時間で植えられた。天気は曇りで気温もそんなにあがらなかったので、作業しやすかった。苗が足りるか足りないか結構微妙な感じだった。あれ、たりないかな、と思ったら、植える本数をすくなくして、株の感覚も気持ち広めにして、あ、いけるいける足りるね、となったら、感覚を気持ちせまめにして、、、みたいなことを何回か繰り返した。結局、ごまかしごまかしで何とか、田んぼ全体を自分たちの苗で埋めることができた。だいぶ小さいので、ちゃんと育つか心配だけど、なんとか、田植えを終わらせたので、ちょっと人安心。ツイッターで「田植えした。極小苗。」と投稿しようとして、この間、お店で「極上こしあんバター」ってメニューをやったせいで、「ごくしょう」と入力したときに「極上」で変換されて。「極上苗を植えた」みたいな投稿になってしまった。全然極上の苗なんかじゃない笑。ともあれ、何とか田植えを終えた。水の高さを調整して帰宅。お風呂に入る。つぐはると久々に激しめに遊んだ。そういえば最近つぐはるとこんな感じに激しめの運動をしてないなと思った。革のベルトを追いかけるつぐはるに後頭部を膝蹴りされた。居間が片付いていて、床が広いので嗣治と遊ぶのにちょうどいい。あやみさんがキムチをつけるセットをくれた。つぐはるのトイレに敷いている木くずががそろそろ古くなっているので、新しい木くずを生み出さなきゃということで、少しだけろくろをやる。あやみさんにもらったケヤキだ。もらったとき、サクラだと聞いていて、あれ、なんかおかしいなとは思っていたけど、割ってみるとやっぱりケヤキだった。外側だけ削った。続きは明日にする。そうそう、アキッパの袋が今日届いた。結構大きな袋だ。美香ちゃんと二人で設置した。早速、先日ヨドバシで買ったプリンターの詰め替えインクがとどいて、ちゃんと、それを郵便屋さんはその袋に入れていってくれた。これは便利だなとおもうのだけれど、一回品物を入れてしまうと、そのあとに届いた品物はそのふくろに入れられなくなってしまうのは、ちょっと厄介なんじゃないかなと思ったりした。まあ、使ってみてどうかなという感じ。もしかしたら、そんなに気にならないかもしれないし。「大豆田とわ子と3人の元夫」というドラマを美香ちゃんが見ているので、僕も便乗して見ている。今回がもう第八回だということに驚いていた。あっというまだ、本当に、最近。美香ちゃんは昨日放送されたものをGYAOで今日の朝に一度、日中に一度、夜に一度、で今日一日で3回も見たらしい。会話劇として面白いので、何かしながら流すのにもちょうどいい感じなのかもしれない。柚子丸は最近元気になっているみたいだ。新しい葉っぱがたくさん出てきているし、小さなトゲが出てきている。ひまわりの種をまいた。目が出るのが楽しみ。畑の際に埋めたので、草刈りのときに一緒に刈ってしまわないように気を付けないといけない。起きる。田んぼの水を見に行く。ちょうどいい感じの水の高さだが、やはり苗が小さい。去年の苗の様子の写真を見たけど、やっぱり比べ物にならないくらい小さい。相談して、あと2週間様子を見てダメそうならもらった苗に植え替えてもいいんじゃないかという話になった。けど、たぶんダメそうでも植え替えないんじゃないかなと思う。小学校から帰ってきて、美香ちゃんを迎えに行く。手伝いに行っている事務の仕事が終わらないとのことなので、美香ちゃんが作業している隣で、昨日の田植えの動画を編集したり、ネットショップの体裁を整えたりしていた。家に帰ってから1時間くらいツバキの即興椅子の制作をした。うまくいくかはまだ分からない。すこしずつ進めることにしようと思う。僕の作業の音がうるさくて美香ちゃんは昼寝ができなかったらしいので、13時半くらいから2階で寝た。美香ちゃんが寝ているあいだ、椅子の制作はやめてネットショップを修正していた。商品説明のところを、なんかいつもと違う感じで書いたら見やすくなった気がする。仮の画像をはめ込んだ状態で美香ちゃんに見てもらったら、いいじゃんとのことなのでこんな感じで進めたい。柚子丸の枝にあおむしがいたので、家に連れて帰って、切り開いたペットボトルの中に入れた。土と木の枝と、ゆずの木の枝と、レタスを一緒に入れて、ラップをした。ラップには爪楊枝で小さな穴をあけておいたのでたぶん苦しくはないんじゃないかなと思う。人間二人に猫一匹、カタツムリが一匹にあおむしがいっぴき。随分大所帯になってしまった。あおむしはゆずの葉っぱが好きらしく、パクパク食べている。レタスは食べていない様子。つつくと、頭から黄色い角みたいなのが出てくる。そしてなんか懐かしいようなあのあおむし特有のにおいがした。幼いころに嗅いだ匂いだ。坂口恭平の「生きのびるための事務」という連載を読んでいる。当たり前のことしか書いてないわけだけど、面白いので続けて読んでみる。10年後、僕はどんな一日を送っていたいのか、ちょっと書いてみることにしようかなと思う。(生き延びる~では、ノートにしか書けないと書いてあったけど、まぁ、ここで書いても行けるんじゃないかなという気がするので、ちょっと書いてみる。その前に僕も「ジム」をひとり雇ってみようかな、なんて思う。なぁ、ジム僕は10年後、どうなってるかな?「どうでしょうね、それは分かりません」それはそうだよね。「肝心なことは自分がどうなっていたいかを明確にイメージすることですね。」そっか、そうね。サカグチキョウヘイの文章にもそんな感じのことが書いてあったよ。そうだなぁ、10年後、僕は39歳だ。どんな暮らしを送っていたいんだろう。多分今とそんなに変わってないんじゃないかな。でも、お金の心配は今よりなくて、というか、お金を得るために使う時間を極限まで減らしていたいというか、何もしなくても生活に困らないだけのお金が入ってくるような状態にできたらいいなと思う。「違う違う、そういうことじゃない」そっか、そうね、これは、「将来の夢」でしかない。ここに描かなくちゃいけないのは、「将来の現実」だ。気を取り直して考える。朝は6時に起きる。それからとりあえず一時間くらい、文章でも書こうかな。今は文章を夜書いてるけど、夜だと眠くなったときに描きたいこと書くのをあきらめちゃったりするから、朝がいいと思う。それに、文章を書くと目が冴えてしまって、眠れなくなったりもするから、文章を書くのは朝がいいと思う。そんで、そのあと、朝ご飯を作って食べる。米は土鍋で炊きたいな。あとは目玉焼きとウィンナーと、みそ汁とかでいい。米は自分で作ったやつを一年中食べられたらいいな、現状では半年くらいで食べつくしちゃうから。えーご飯を食べ終わるのは8時くらいになるかな、そのあと1時間くらい読書をする。それで、9時になる。9時から20分くらい畑に行ったり田んぼを見たりする。そんで家に帰ってきたら9時半だ。10時までの間に前日仕込んでおいたパンを切り分け成形しておく。それが終わったら昼まで2時間絵を描いて過ごす。長い期間かけて描く絵と、その日その日に完成させる絵とを同時並行してたい。昼ごはんはパンを焼いて食べる。具はなんでもいい。昨日の夜ご飯を挟んで食べるみたいな感じ。帆がんを食べ終わって1時になる。そこから1時間くらいゆっくり昼寝したい。できれば、20分ですっきり目覚めたい。理想なんだから、13時20分に起床する。そのあと、午後は木工の制作かな、椅子とか、机とか。とりあえず、自分の使いたいものをどんどん作っていって、そのうち家とかも自分でいじったりして、みたいな。誰かのためのものづくりじゃなくて、自分の暮らしのためのものづくりをして過ごしたい。あるいは生き物の彫刻とか、そういうのでもいいなと思う。木という素材にこだわらなくてもいいかなという気もするけど、まぁ、今のところ木に興味があるから、木の制作をしたい。何か一連のテーマのあるれんさくを作りたい。1年だったり、1カ月だったり、期間はまちまちだけど、とにかく期間を決めて、その期間はそのテーマに沿った制作をする。それを展示にしたりとかもしたい。あんまし人と会ったりはしたくないけど、作ったものを人に見せたりはしたい。だから年に一回はその年の制作物をまとめた展示会とかできたら面白いかもしれない。それが大体1時間くらい。とすると今は何時何だろう。13時にご飯食べ終わり、13時20分昼寝終わり、とすると、大体14時半とかになるのかな。おやつを食べてから、チェロの練習。ピアノの練習をする。あるいは映画を見たりする。ねてもいいみたいな自由時間を2時間を過ごす。それで16時半そのあと、畑と田んぼに行って、帰ってきて17時。畑の野菜を積んできて夜食べる。夜は唐揚げとかハンバーグとか割とがっつり目のものを食べたい。ご飯食べ終わって18時半、そのあと、日記を書く。朝に文章を書くといったけど、日記はやっぱり夜に書きたいような気がする。だから朝の1時間は何か物語を綴ってみるのがいいかもしれない。日記はだらだらかいてると、なんだかんだ結構時間がかかるから長めに予定しておきたい。とにかくおもいついたことをどんどん書いていくような文章をだらだらとかいていたい。一年分の本が、1冊の本になって一冊だけ製本したのを本棚に置いておくとか面白いかもしれない。いまのペースで毎日書いたらどのくらいの分厚さの本になるんだろう。今調べたら、文庫版のカラマーゾフの兄弟が(上)(中)(下)の3冊で2550ページなんだそうな。1ページが38文字16行詰めだから、608文字。ということは608×2550=1,550,400文字ということになる。150万字だ。結構すごい文章量だ。3冊で150万時ってことは、1冊なら50万字だ。1年間で50万字ということは、計算すると一日では1370文字でいけるらしい。一日平均1400文字を積み重ねていけば、毎年カラマーゾフの兄弟的な暑さの本を一冊作れることになるわけだ。これならいける気がする。なるほど、いい感じ。ちなみに、今日はどれだけ書いてるのかというと、現時点で2961文字だ。結構いい感じも目標かもしれない。一日1400文字の日記を書くという目標は。とすると今は少し書きすぎているのかもしれない。なるべく面白い1400文字の日記をつくるように文章を磨いた方がいいかもしれないけど、とりあえず、今の段階では毎日毎日1400文字書くような習慣にしてみようかなと思う。話がだいぶそれたけど、いま何時なんだろう。18時半にご飯を食べ終わって20時か20時半くらいだ。日記を書き終わったら風呂に入ってすぐに寝る。21時には布団に入って寝る。一日のスケジュールはそんな感じが理想かもしれない。美香ちゃんのことが全然書いてないけど、田んぼとか、畑とか、自由時間とか、夜とかを一緒に過ごしたい感じ。で収入はどのくらいか、というと年収で113万円以下で楽しく暮らせればいいかなとか思ってたりする。113万以下なら所得税かからないし、それでたぶん貯金もしていけるくらいの感じなんじゃないかな。わかんないけど、あんまし金のために働くというよりも、自分の制作とか趣味に時間を使いたいなという感じ。ということで、10年後の僕はそんな感じがいいなと思ったりする。収入はどこからどのように得るのか考えないといけないけど、113万ってことは12カ月で割るとまぁ月に10万くらいってことだ。文章書いたり、絵を描いたりはお金になるのかな?でもお金を書くための制作にはしたくないなとか思ったりもしてるから、何か仕事的な位置づけのものも必要かもしれない。というような感じ。今日も結構長く書いてしまった。まぁ、これまで、文章を書きたい書きたいといいながら何かと理由をつけて書いてこなかったのに比べればいい兆候だ。とに書くことを習慣にするようにしようと思う。明日の朝からは10年後の僕の理想に少しでも近づけるように行動してみようか。いけない、いけない、翌日のパンをしこんでない・・・。17時に畑から帰ってきたら30分くらいでパンを仕込むことにする。雨。結構降っている中、ゆずの配達。なんか、配達の日は雨が多い気がするのは気のせいだろうか。特に変わったこともなく、配達終了。引き下げが多い。あとゆずジュースを仕入れすぎな気が知り。ソおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオr54x©猫がパソコンを踏んだ。へんな文字が入力されたけど、とりあえず消さずに残しておくことにする。ゆずジュースを仕入れすぎてる気がする。30本も売れるんだろうか・・・。配達中、美香ちゃんとゆず組合の売り上げを上げるにはどうすればいいか会議をする。オンラインでの販売を進めてみたいねという話になった。その他にも、ゆずの生産は続いていくのかとか、僕らの町は将来どうなるんだろうね、みたいな話をした。オンラインで売れる体制を作れば、次の展開も見えてくるように思う。委託販売は結構きびしいやり方だなと思う。たくさん売れるか、一つ一つの商品が高額なら話は別かもしれないけど、一個売って100円とか50円とか入ってきても、なかなか厳しい。自分たちで作って、利益率の高いものを自分たちでうる体制にしないと利益はなかなか上がらないんじゃないかなという気がする。そのための第一歩でオンラインショップ。管理も運営も僕らがやるから、ということで提案してみたいと思う。あとはパッケージの変更とか、売る量の変更とか(小分け化)とかが次のステップとしてできればいいかなという気がするあとは商品ラインナップを絞ることもいいんじゃないかとか、色々僕らにもできそうなことはある。まぁ、ゆっくり取り組んでいきたいなという感じ。雨の日の配達は結構めんどくさい。商品が濡れるといけないし、伝票も濡れるし、服も靴も濡れる。車のガラスは曇るし、本当にいいことない。上矢作の道の駅でミニトマトの苗を買った。250円。帰宅後、雨もだいぶ小雨になっていたのですぐに畑に植えた。育ってほしい。来年はビニールハウスを作ってみようかという話をした。トマトやナスの苗、コメの苗もそこで育てられるくらいの広さのがいい。配達の途中、田んぼがいくつもあったけど、みんなの苗はやっぱり大きい。見た中では僕らの苗が一番小さい・・・。かえってきて、田んぼを見に行くと、雨のせいか水位が高く、水没しかけてて、植えてないみたいだった。水位をすこし下げておいた。明日の朝にまた様子を見に行くつもりだ。あおむしはゆずの葉っぱをみんな食べつくしてしまいそうなくらい、パクパクパクパクとゆずの葉を食べている。今朝、入れておいた、レタスも、お茶の葉も興味を示していない。何か食べものを入れてあげないと・・・。なんか今調べたら、あおむしは最初に食べた餌を好んで食べ続けるらしい、ということはゆずの葉っぱを上げ続けないといけないんだろうか・・・柚子丸の葉っぱはまだそんなにあげられないし、どこかからかもらってこないといけない。庭文庫でもらってこようかな。振興事務所で美香ちゃんはほかのいろんな仕事の話をしていたので、僕はひとり車のなかで、サカグチキョウヘイの「生きのびるための事務」の第四回を読んだ。なんか機能僕が書いたようなことが書いてあった。今日はそのことについてもう少し書いてみようかな。月十万円の収入と書いたけど、その内訳はなんだろう。昨日書いた一日のスケジュールで書いたことをもう一どまとめて書くとやってることは10個ある。①物語を書く②食事③読書④田畑⑤パン⑥絵⑦昼寝⑧木工制作⑨日記⑩楽器の10個だ。そのうちお金を生む可能性が少しでもありそうなのは、物語、田畑、パン、絵、木工の5個だろうか。物語はノートとかで連載して、1回更新につき一人誰かが500円サポートしてくれるようになったらいいなと思う。毎日更新して、500円×30日=15000円。一年で考えれば15000×12=18万。絵と木工品展覧会を半年に一回開きたい。自分の家のギャラリースペースで展示をする感じだろうか。会期は2週間にしようかな。30組くらい来て、一組5000円くらい使ってくれたらいいな。30組×5000円で15万。こういう会を年に二回くらいやる。物語で18万。絵と木工の展示会で30万。田畑に関してはどうだろう。売るほどたくさん作るのは大変そうで嫌なので、これは収入源としてはかんがえないことにする。パンはどうだろう。毎日パンをこねる感じでスケジュールしたんだけど、毎日捏ねればパンは余るので、余った分はだれかに売ってもいいかもしれない。一回捏ねれば18個できる。一回で僕と美香ちゃんは3こずつくらい食べれば十分だから、残りの12個は売ろうかな。1日限定12個のパン屋さん。一戸当たりの製造原価は30円とかだから、一個130円とかで売って、利益は一戸当たり100円。ということは、1日1200円の利益が出る。月に25日やれば3万だ。1年で36万になる。意外と金額的に大きい笑。毎日売るって結構すごいことなんだと改めて思う。えっと、文章で18万。絵と木工の展示会で30万。パンで36万合計すると84万になる。目標は120万だから、残り36万をどうにかしたい。ひと月に3万くいらいの売り上げだ。展覧会やらなくても、月に3万くらいは何かしら売れてくれたらいいなという気がする。月に1回競り的なことをやってもいいかもしれない。僕が作ったものを代わりに売ってくれる人向けに僕の作ったものを売る会だ。僕が作ったものをその人たちに卸値で買ってもらう。その会を月に1回やって3万円稼ぐ。そういう会のことって何か言い方があるんだろうか。卸売り即売会みたいな感じだろうか。見本市?なんかわかんないけど、そんな感じ。ということで、まとめると、文章で18万(1日500円×30日×12カ月)、制作物の展覧会で30万15万×年に2回)、パン36万(1200円×25日×12カ月)、卸売り販売会36万(月に1回3万円×12カ月)合計で120万になる。なるほどなるほど。文章について、1日に1人誰かがサポートしてくれるのって、どのくらいの人数に読まれればいいんだろう。確率的にどのくらいそういう人はいるのか、まず100人にそういう記事があるということが認知されて1人が読む感じかなという気がする。サポートをするのはどのくらいの確立だろう。200人が読んでくれて1人とかだろうか。ということは、記事を書いて公開したら、2万人くらいにはその告知が目に入る感じにすれば、200人がそれを読みそのうちの一人くらいはサポートしてくれるかも知れない。今の僕投稿のインプレッションは、大体、2000~4000。よくて5000とかだから、ざっと考えると、フォロワーが4~10倍くらい。ということは、1、2万~3万人くらい必要な感じになるわけだ。まぁ、確率的な計算がどのくらい正しいかわかんないけど、このくらいの人に認知される必要がとりあえずあるわけだ。どうすればいいんだろう・・・。その方法はまた今度考えたい。今日はなんかこんな感じでたらたらと考えてしまった。多分明日の「生きのびるための事務」はこんな感じの展開なんじゃないかなという予想。少し早いけど猫にご飯を上げた。パクパク食べてる。なんか、今日は長く書いた気がしたけど、数えるとあんまし書いてないみたいだ。さて、昨日ツイッターの投稿した、木のスプーン制作キット、の販売ページをその投稿にぶら下げてみた。反応はどのくらいあるだろう・・・。今その投稿がどのくらい反応があるのかのデータ的なものを見ながらこれを書いてるのだけど、面白いのは、やっぱりインプレッション10に対してエンゲージメントが1あるという比率が変わらないというところ。いつもと比べると、結構クリック率高い。ページに飛んでもらえてるみたい。今気づいたけど、商品ページのリンクを貼る投稿を間違えた。ので、いま修正した。売れるといいな・・・。さて、今日は何を食べようかな。今週は買い物に行ってないので、あんまし食材がない。キムチの元をもらったからキムチ鍋にしてもいいかもしれない。キムチの辛味成分は好きなんだけど、漬物としての発酵臭が苦手なので、キムチにするよりもチゲ鍋の元的な使い方をするのがいいんじゃないかなという気がする。そうだチゲ鍋にしよう。白菜ももらったし、ジャガイモあるし、豚肉もある。油揚げも入れたらいいかもしれない。昨日の夜、美香ちゃんは「疲れているけど、眠れない」みたいな感じだったらしい。何かお話をして、と言われたので即興的にお話を作って話した。トランプの国には13の家族と2人のジョーカーが住んでいました。家族はそれぞれ4人家族です。トランプの国の人たちはみんな仲良しなので、みんなで海に遊びに行くことにしました。水に濡れるのが嫌だ、という人がいたのでその 遠足に参加したのは6家族だけでした。つまり、6×4で24枚のカードたちです。岐阜県には海がないので、みんなでかなりの距離をあるいて移動します。とりあえず静岡の海を目指すことになりました。途中、いろんなことがありましたが何とかみんな無事に到着しました。泳いだり、砂浜でビーチバレーをしたり、砂山に棒を立てて、棒を倒さないように砂をかきとるゲームをしたりして過ごしました。そうそう、ジョーカーのふたりはいたずら好きでみんなに嫌われているので、その遠足には呼ばれませんでした。でもジョーカーは本当はすごく寂しがり屋で本当はみんなと仲良くしたかったので、こっそりついてきていました。遠くから見ていたのですが、突然、ピュッと突風がふいてトランプのみんなは飛ばされ、みんな砂浜に裏向きにぺったり張り付いてしまいました。これは、トランプの国のルールなのですが、裏向きに地面に張り付いたカードは勝手に起き上がってはいけません。必ず誰かにめくってもらわないといけないのです。なぜかって?トランプが自分勝手に表にかえってしまったらゲームが成立しなくなってしまうからです。そこで、離れたところにいて、無事だったジョーカーのふたりはここぞとばかりに立ち上がり、みんなをめくって回りました。みんなにいいことをして、1枚めくるとハートの3、次はクローバーの2、、次はスペードの9、そんな感じです。めくっていくと、どんどんペアができていきます。家族ごとに集合して、みんなそろっているのかを確認します。まるでシチナラベです。ジョーカーのふたりは頑張りました。めくりにめくり、やっと浜辺のカードをみんなめくり終えました。ほっと一息ついていると、あれ、大変、「12」の家族だけ、1枚足りません。ほかの家族はみんな、4まいちゃんとそろったのに「12」の家族だけは1枚足りません。「ハートの12」のカードだけどこかへ行ったしまったのです。みんな慌てました。あわてて探したけれど見つかりません。どこを探しても出てこない。どのくらい、時間がたったでしょう。そのまま夕方になりました。「もう無理だよ」どこかのだれかがそうつぶやきました。みんなそんな気持ちだったのかもしれません。海辺には沈黙が広がりました。ざぱーん、ざぱーんと寄せては返す波の音だけが続きます。そして、ジョーカーのうちの1枚ががその「12」の家族の一員になり、カードたちはみな、トランプの国に歩いて帰っていきました。「12」の家族に入れてもらえなかった方のジョーカーはひとり海辺に取り残されました。おしまい。あらすじを書くとそんな感じの物語。美香ちゃんが釈然としない感じだったので続きの話をした。海辺で1枚、目に涙を浮かべながら夕日が沈むのを眺めていたジョーカーですが、あることに気が付きます。遠くにぷかぷか1枚のカードが浮かんでいます。きっと、風で飛ばされ絵しまったのでしょう。時間が経って、皮膚がぶよぶよになってしまっています。ジョーカーは慌てて海に飛び込み、そのカードを助けました。それは、ハートの7でした。あれ、何かがおかしい、と思いながら、「どこいったんだ、ハートの12」と思いながら、ジョーカーはそのカードを背負って浜辺まで泳ぎました。無事に砂浜にたどり着きました。もう夕日は沈みかけています。このことがあって、ハートの7とジョーカーは仲良くなり、そのあとずっと幸せに二人で暮らしました。めでたしめでたし。僕はそんなお話を語りました。美香ちゃんは、ハートの12がどこへ行ったのか、そして、7番の家族には代わりに誰が入っていたのか、なんのために?みたいなことを考えながらぐっすりと眠りました。夜9時に眠り、1時半に起きる。眠くないのでそのまま起きて書き始めた。このところ眠りが浅い。9時から1時半だから、4時間半睡眠だ。昼間ねむくなったら寝ることにする。そういうことができるのが勤めにいかないことの良いところだ。川沿いの草刈りがあった。あさ7時から自治会のみんなで木曽川沿いの草を刈る行事?だ。日曜日なので、パン屋の準備もあるし、結構朝からバタバタしていた。でも美香ちゃんがパンを切り分けて成形してくれていたので、なんとか開店できた。河合神社からすこし、行ったところの土手をずっと刈っていった。新しい刃を付けていったけど、石にあて過ぎたか土を切りすぎたかで途中から全然切れなくなった。車があれば、刃を替えに帰りたかったけど、そう思ったときにはタイミング的に今更感があったし、車もなかったので切れない刃で刈り続けていた。でもやっぱり、もう今更かなと思っても刃は替えたほうがよかったなと思う。その方が早く仕事が終わったんじゃないかなという気がする。最後の方、僕が全然刈り進まないのを見かねて、安彦さんや、たこ焼き屋さんが僕の担当エリアも勝手くれた。9時半過ぎに終了となり、武平さんが家まで送ってくれた。流れ解散らしい。斜面の草刈りったので結構もうくたくた。雨はそんなに降らなかったのでよかった。美香ちゃんに電話して、家のカギを開けてもらい、シャワーを浴びてから二人で実出に向かった。その後、店で開店の準備。前回から、パンの焼き上がりがいまいち。なんでかわからないけれどイーストのパンに焼き色がつかない。オーブンの温度が上がらなくなったのか、設定温度を上げてみたけど、ほんのり茶色くなった程度だ。ふわふわ系のパンですよ的な感じ。美香ちゃんのゆずパンも焼き上がり直後はいい感じに膨らんでいそうなのに、時間が経つとミイラ化する。ミイラ化、というのはどんな感じかというと、パンの表面がぶよっとして、余ってる感じ。オーブン内で一度膨らんでから縮んでるからそんなことになるんだろ思う。縮んだ分だけ表面の皮が余って、よれてしまっているんだと思う。そしてそうなる原因は多分水分が多いからだと思う。これまで、レシピよりも水をだいぶん少なくしていたのをレシピ通りの水分量に変えたらそんな現象が起きるようになった。次はもとに戻そう。表面がぼよぼよと波打ってごつごつしたパンを美香ちゃんが「ミイラ」とよんだので、そういう現象をミイラ化と呼んでる。味は悪くないけど見た目が悪いので今回ゆずパンはお休みすることにした。イーストの方はなんで、焼き色がつかないのかよくわからない。調べると、理由は次の3つのうちのどれかである場合が多いらしい。①オーブン庫内の温度が低い②発酵しすぎ③砂糖が少ない。②と③とは別々に書いてあるけど、要するに砂糖が少ないということだと理解してよさそうだ。発酵しすぎると、砂糖が分解されてしまうということなんだと思う。と考えると、砂糖が少ない訳じゃないと思うので、原因はオーブンの温度が十分に上がっていないのだろうか・・・。家に持ち帰ったり、店にもって帰ったりしてて、移動させてるからどこかでぶつけたりなんかしただろうか。真理さんにもらったガスオーブンを早く試したい。今週掃除して、練習して、次回はそれを使えたらいいなと思う。ガスオーブンなら、火力が強いので①による焼き色の問題はほとんど起きないらしい。早く試したい。店にあのオーブンが置けるかどうかも問題。配置をもう一度考えないといけないと思う。今日は開店前のタイミングが一番気持ちてきにつらかった。自分の自信作でないものを店に並べるのは結構テン下げだ。僕は先週それで戦意喪失(?)だったし、今回美香ちゃんはそれで辛そうだった。ゆずパンに関しては根本的に美香ちゃんがおいしいと思えていないのは結構大きな問題で、どうにかしないといけない気がする。店をやりながら、どうにかして自分でもおいしいと思えるものに変えていかないと続けるのがつらいだろうと思う。11時に準備が終わってるはずだったけど、少し遅れて準備が整う。午前中はだれもこない。暇なので、美香ちゃんは洗濯をしに家に帰る。午前中、曇ったり、小雨が降ったりしたけど、晴れた。日差しの感じ、空の色味、山の葉の色、すべて夏のようだけれどもまだそれほど暑くは感じない。ひとり店でのんびり過ごす。今回から店内の配置をすこし変えたので、少しだけ店の居心地がよくなった。僕はこれなら続けられそうだなという気がした。使おうと思っていら冷蔵庫はしばらく使ってなかったせいかカビくさかったので、今回は気温もそんなに高くないことだし使わないことにした。来週までに脱臭炭を用意して置きたい。美香ちゃんがいない間にお客さんが3人来た。お客さんが来たら、いらっしゃいませと言って、手を消毒して、お好きなものをトレーにお取りください、と言えばいいのだということが分かった。この店の配置なら、そんなに人としゃべらずに済んで買ってもらってじゃあねって感じになるから気楽だ。つぐはるの写真が何枚か送られてきた。元気そうでよかった。しばらく、本を読んで過ごす。庭文庫で買った安部公房の「密会」だ。彼の小説は結構すき。描写が建築的だという気がする。まぁ、建築的ってなんなのかはよくわかんないけど。単純に建築にかんする描写が多いというだけのことかもしれないけれど、そういう単純なことではない気もする。僕にとって建築的ということは、空間やそれを生み出している構成物自身が何らかのニュアンスを醸しているという感じ。単に3次元的な情報ではなくて、そこに何かしらの雰囲気というか、気配のようなものが備わっている状態のことなんじゃないかなと思う。大事なのはその気配であって、それがないと建物という風に僕は思ってる。建築的か建物的かということはたぶんそれを鑑賞する人間の感受性次第っていうことなんだろう。安部公房の小説はすごく建築的な感覚があるような気がする。空間描写、建物の描写に僕の思う気配のようなものが表現されている。窓の配置、空間の明るさ、広さ、音、そんな情報の積み重ねでその場の気配が感じられる。美香ちゃんからライン。「寝落ちしてた、今から洗濯もの干して行く」とのこと。もう帰ってこないんじゃないかと思っていたので安心。美香ちゃんが店にくるまでの間にキットの梱包作業とか、仕上げセット(オイル・やすり)のセット組作業をしたり、ポップを描いたりして過ごした。天気がいい。そういえば、今日は昼ご飯を食べていないことに気づき、没になった美香ちゃんのゆずパンを食べる。今日のはゆずの酸味がちょうどよくて食べやすい。毎回味が違うのも気になる点ではある。今日は5時まで開けた。閉店間際、遠藤さんが来てくれた。ありがたい。今度「しゃく」を直してもらいたいと言われた。美香ちゃんも僕も「しゃく?」となってきょとん。僕は「車庫」かな?と思ったし、美香ちゃんは「尺八」かなとも思ったらしいけど、「しゃく」というのは本当に「しゃく」だった。感じで書くと「笏」なんだそうな。要するにおじゃる丸が持ってるアレ。なるほど、遠藤さんは神官さんだ。手が小さいらしく、しゃくを持つのが大変なんだそうなので、すこし削ってほしいとのこと。面白いなと思う。しゃくなんて触ったことないし、ぜひやってみたい。オーブンを持って帰ってきた。マフィン用の型に記事を入れてパンを焼いてみたらどうかなと思って実験する為だ。ハウリンウルフの”Moanin in the moonlight”を聴いてる。最近、この文章を書いてるときにはこれをローテーションしてる。せっかく、ピートさんにもらったギターがあるので、ギター弾きたいなと思うのだけれど、いまいちどんな曲を弾けるようになりたのかはっきりしてなくて、弾き始めてなかったけど、こういうギターが弾けたらいいなと思う。よくわかんないけど、ブルースギターってことでいいんだろうか。起きたら最近売り始めたスプーンキットが売れていた。夜寝る前にツイッターで告知していたのが良かったのかもしれない。なんかサンタさんが来てくれたみたいですごく嬉しい。ほかには金曜の夜に1セット。土曜の日中に2セット売れた。けっこういい感じだ。こんな感じで売れ続けてくれたら本当に助かる。今後いろんな樹種を増やして、ブログの記事も書いて、オンラインショップの修正を続けながら継続的に情報発信をしていく予定。とりあえず樹種を増やしたい。あとは、彫刻刀も三木章から仕入れて、すくい面も自分で削れるようにしたらいいかなと思う。作業台も売ればいいかななんて考えている。まぁ、一つずつ進めていきたい。ここまで、いろんな遠回りをしてきたなと思う。木工キット自体は去年の4月くらいに第1作を出していたわけだけど、あんましやる気になってなくて、というのはテキスト作りに力を入れすぎていたからだ。あんましやりたくないなって思ってたけど、何もしなてもたびたび売れていたので、なんかの拍子にちょっとキットをもういちどやってみようかという話になって、リニューアルしたのが良かった。でも、去年の他のいろんな取り組みは無駄じゃなかったなという気がしてる。いろんなことができるようになったし、それらのことがなかったらたぶん今回のキットも売れてなかったんじゃないかという気がする。3時だ。起きてから1時間半で10枚書いたようだ。今日も目標達成。内容はなんでもいいからとにかくその日その日のことを書き続けること。書くこと自体を楽しめているので続けていこうと思う。文章を書いたあと、絵を描く。何を書こうかなと思ったけれど、書くものはなんでもいいので、とりあえず今日は高野先生にもらったナツツバキの原木をかいてみることにした。絵を描いていると、必ずつぐはるが近寄ってきて、絵筆の運びを眺める。つぐはる、なんて名前を付けたからだろうか。油絵でも水彩でもそう。一時間ほどで書き終え、ツイッターに投稿した。絵は反応が多いなと思う。そのあと読書をする。ずっと読むのを止めていた「ローマ人の物語」を読む。何度か頭から読んだのだけれど、なぜか毎回オクタヴィアヌスのところでなぜか毎度とまってしまう。パックスロマーナ、平和の時代の歴史は面白くないのか。ところどころ、オクラヴィアヌスのやったことは面白いと感じるのだけれど、全体の「流れ」みたいな、ものがあんましないような気がするのが釈然としないのかもしれない。例えば昨日は、オクタヴィアヌスがやった少子化対策の個所を読んだけれど、グラックス兄弟のころには10人くらい子供を産み育てるのが上流階級の女性の普通だったところが、カエサルの時代には2、3人、オクタヴィアヌスの時代には生んだり生まなかったりというような状態になる。少子化が進んだのは、経済的な不安のせいではなくて、逆に豊かな社会で、個人の楽しみが増え、独身でいても不利になることは特になかったからということだった。今とおんなじ感じだ。で、オクタヴィアヌスは何をしたのか、①正式な結婚をしていない間柄での性交を禁止②結婚していない人には税制的な不利がある。(結婚していても子どもがいないと独身と同じ扱い)みたいな感じのことをした。離婚も7人のローマ市民の証人をあつめないといけないとか、離婚したことを公表しなきゃいけないとかして離婚しにくくする。あとは結婚してることにいろんなメリットをつけた。例えば、選挙の時に得票数が同じで、立候補者が独身者と既婚者だったら、既婚者が選ばれるとか、まぁ、なんかそんな感じだったように記憶してる。いま思い出しながら書いてるのでなんか違うことが書いてあるかもしれないけど、書き進めることにする。ここで、僕の関心は「その結果人口は増えたの?」ということになるのだけど、そこがいまいちよくわからなかった。ところどころ、直面している問題とかそれへの対策とか、興味あるのだけどなんとなくその歴史を面白がり切れないところがある。それがオクタヴィアヌスの巻という気がする。その点カエサルは人生の物語としての完成度が高い気がする。まぁ人生は物語ではないんだけど。そんなセリフが大豆田のなかにあったなと思いつつ。美香ちゃんが起床。昨日のスープを温め、たまごかけごはんを食べる。田んぼを見に行き、ごみを捨てる。小学校へ行き、帰ってくる。帰宅後、スプーンその材料を切り出す。栗の木はまだ生っぽい感じ。ケヤキとスギにした。注文に備えて、材料を準備しとかないといけない。そのあと、午後からサツマイモを植える予定だったけど、さすがに動き回りすぎて疲れたので一日延期することにした。代わりに買い出しに行く。カーマへ行き、紙やすりとか、絵筆とか、梅酒の材料とかを買った。今日アクリルガッシュが届くはずなので楽しみに待っている。帰ってから少し草を刈る。武平さんにやり方を少し教わる。そんなに吹かさなくて大丈夫とのこと。ナイロンのテープの草刈り刃もためしたけどあんまし切れない感じがした。やりかたが良くなかったのかもしれない。そのあと餃子を作った。それが結構大変で、少なくともこんな疲れてるときにやることじゃなかったと少し後悔(笑)。まず皮を作る。薄力粉(ドルチェ)と強力粉(春よ恋)を混ぜて皮を作った。具もゲンキーで買ったものだけど、一応国産豚ののひき肉。にらを買いに行くのが面倒で入れなかったけど、ニンニクを利かせた具にした。包むのだけど、皮がなぜかうまくくっつかずパカパカと開いてしまうのは何だったのだろう。皮が乾燥してしまったのだろうか。「やっぱり猫が好き」とか小林聡美がインドでインド映画を撮ってくる動画とかを見ながらひたすらに包んだ。見栄えの悪い餃子を30個くらいできた。個性的すぎる餃子たちをみて、美香ちゃんと笑う。焼いて食べると形は悪いが味は良かった。10個くらい残ったので冷凍して置いた。皮がくっつかない問題をどうにかしたい。あとは時間がかかるということも見込んで餃子パーティーはやらないといけない。次やるときは午後いっぱい使って晩御飯の準備をする感じにしたい。風呂も入らず寝る。起きるのがつらくて小学校へは夕方行くことにした。先週も火曜日は朝起きるのがつらかった。何か理由があるんだろうか。この文章は、はじめは携帯のメモ帳に書いていたものだけど、やっぱり携帯だと書くスピードが出ないということで、パソコンでのメモ帳に書き始めた。公開するようになったのでメモ帳からHPの方へコピペするのも面倒と感じるようになって、ブログの方で直接書き進めていたのだけど、今日からnote の方で書き進めてみることにした。書くツールによって書かれる文章も変わってくる。あとはWi-Fiの状況とかによっても全然書き心地が違うという気づきもあった。いつもポケットWi-Fiにつないで書いているのを、昨日はその端末が見当たらなくて、仕方ないので携帯からテザリングして書き進めていたのだけど、遅くて思うように書けなかった。結局、5枚しか書けなかった。朝、確か5時ごろに目が覚めた。この文章を30分くらい書いたら眠くなったので、2回に戻り二度寝する。7時のアラームで起きられず、小学校へは夕方に行くことにした。朝ご飯として、昨日の餃子を食べる。あとは美香ちゃんが作ってくれた野菜のスープだ。家の畑でとれたにんじんの葉っぱを入れてみたらしいのだけど、美香ちゃんは香草的な味というか香りがして、なんかヤダと言って残していた。餃子はやっぱりおいしい。朝からがっつり食べた。美香ちゃんはちょっと胃もたれしたらしく、つらいと言っていた。「10年後どんな暮らしをしていたいか」ということがこの頃の僕らのテーマなので、美香ちゃんにもノートに円を書いて一日のスケジュールを書いてもらった。二人のスケジュールを照らし合わせて少し調整する。そんなに大きくはずれていなかったので、ちょっとした修正で済んだ。修正後の僕のスケジュールはこんな感じだ。朝、6時に起きる。朝起きたらこの文章を1時間くらいかけて10枚書く。7時、美香ちゃんが起床したら1時間ほど畑に行く。かえってきて8時から9時まで朝ご飯。そのあと30分間読書した後、30分かけて翌日のパンの仕込みをする。10時から2時間絵を描く。12時昼ごはん。昨日捏ねたパンを食べる。13時から14時まで昼寝をする。14時から2時間木工の制作。16時から17時田んぼと畑を見に行く。17時に帰ってきて風呂に入る。18時から19時に夜ご飯。19時から一時間半、また文章を書く。朝の文章は毎日のルーティーンとして10枚コンスタントに書いて、内容とかはどうでもいいなと思っているけど、夜に書く文章はもう少しこだわって創作的な文章にしたい。枚数も気にせず、かけてもかけなくてもいいかなと思いながらパソコンに向かってみるつもりだ。そのあと、1時間半チェロの練習をして22時に寝る。ざっくりとそんな生活を描いた。やっぱりnote でもなんか書きにくかったので、ブログに戻ってきた。このフォーマットが一番僕に向いているのかもしれない。この無機質でとにかくシンプルなのがいい。一番面倒だなと思ったのが、コントロール+Sで書いた文章を保存できないところだ。ここで書いてnoteの方にコピペするのがいいかもしれないと思った。どうして、noteにこだわるのかというと、僕はこの文章をお金にしたいと思っているからだ。そう思っていなければそもそも公開なんてしないだろうと思う。読んでもらっておもしろがってもらって、お金が欲しいということだ。どのくらいのお金になったらなと考えているのかというと、1回更新したら、500円になるくらいになったらいいなと思う。毎日更新して、毎回500円集まったら年間で18万になる。一回当たりは10枚を目安に書こうかなと思っているので、一文字0.12円の計算だ。まぁ、そのくらいでいいなと思う。で、どうしてnoteにこだわっているのかというと、noteで書くと、お金につながるからだ。正直に言うと。ブログの方でもcodocというサービスでサポート機能をつつけて見たけど、たぶんこの方法だとお金につながっていかない。訪れる人数的な問題は今後、成長していく可能性はあるけど、今の僕のスキルでは文章を読んでサポートにつながるまでの同線のデザインがうまくできない。そのスキルを身につけるという道もあるのだろうけれど、あんまし乗り気にはなれない。その点、noteはうまくできていて、文章を書くことがお金を得ることと直結しているツールで、読み手もちょっとサポートしてみようかなという気になる。どこどこの性質上、ひとつのながーい文章になってしまうのが「お金に換える」ということを考えた時にはデメリットになってしまうような気がする。なんか、書いていてあんまし面白くない話題になってしまったのでこの辺でやめとくことにする。どこまで書いたっけ?そうそう、小学校へいく時間を遅くして、10年後の将来の現実について美香ちゃんと話したところまでだ。そのあと、絵を描いた。透明水彩の絵具で台所を描いた。初めは昨日もらった梅の実を描いていたのだけれど、うまくいかなくて断念。僕の中のイメージとしては小磯良平の水彩の植物がなんだけど、なかなかあんな風には描けない。しばらく、参考にしながら梅の実と向き合っていたけれど、結局うまくいかなかった。多分植物の絵とかは向いてない。また書くフォーマットを替えてみた。今度はwindowsにもともと入っているメモ帳だ。最初にここで書いていた感じが一番良かったかもしれない。なぜかというとこれが一番早いからだ。キーボードを打つとこのソフトが一番早く文字が表示され、変換される。最後にコピペする必要は生まれていますけれど、書くときのストレスがない方が絶対にいい。ほかのフォーマットで書くと、なんか文字が表示されるのを僕の帆具が待ってる時間が生まれていまい。やきもきする。このフォーマットで書くと、まだ、全然パソコンの方が早くて僕がどんなに早く文字を入力しても 追いつけないなという感じがして頼もしい。C+Sで文章を保存できるのもよい。さて、今日はいろいろ試した。けど、しばらくはこの方式で行くことにする。絵を描いた。水彩の絵具で大富所を書いた。今日はいつにもまして変な文章だなと思うけど、それでいい。とにかく10枚毎日書き続けてみる。とにかく×ようになれば、そのあとはどんな文章だってたぶん×そんな気がする。描き終わったら2階へいき、赤いヨギボーに寄りかかって昼寝をする。今日はずいぶん暑い。寝ていて汗をかいてるのが分かる。14時半くらいまで寝た。途中、美香ちゃんが近寄ってきて「なんかパーフェクトヒューマンみたいな恰好で寝てる」と言ってた。僕はそれがなんなのかわからなかった。起きて小学校へ行く前に田んぼを見に行く。水が随分と減っていたので、水量を調整する。ちょっとしたことで水位がかわるので難しいなと感じる。小学校へ行き、帰ってくる。工事してることの影響かわからないけど3階の男子トイレが臭い。小バエがたくさん飛んでいる。はやく工事終わってほしい。関係ないのかもしれないけど。工事は和式の便器を様式に帰る工事なんだそうな。こんなに児童数少ないのに、そんなとこにお金かけるのが正解なんだろうかとすこし思ったりする。かえって来ると先日頼んだアクリルガッシュが届いていたので、さっそく書いてみることにした、今度は台所の換気扇のある片隅を書いてみた。もしかしたらアクリルは僕にとても向いている画材かもしれない。まず乾くの早いということ。そして何度でも上書きできるというところがいい。ちょうど1時間くらいで一枚描いた。毎日描いて、一枚2000円で売っていくことにした。今朝起きてから、その出品作業をしてみた。プリンターでスキャンしてみたら結構いい感じ。ギャラリーのページとほとんど変わらないような出来栄えなんじゃないかと思う。僕はたぶん一生一枚2000円とかそのくらいの金額で絵を打っていけたらいいんだと思う。毎日2枚描いて、毎日売れれば、それで140万だ。絵だけでそれだけ手に入れば十分すぎる金額だ。まぁ、売れなくて描き続けることにしようと思う。絵もどこどこと同じだ。内容は問わず、とにかく一日2枚仕上げる、ということに集中して、淡々と淡々と描き続けるようにしたい。さて、そのあとは、何をしたかな。なんか美香ちゃんがたこ焼き屋さんにようがあるとかなんとかで一緒に車でたこ焼き屋さんへいった。美香ちゃんがその話をしてるよこで、僕はいろんな写真を撮った。笠置の風景も絵にしていきたい。あと、そうそう、さっき出品の作業をしてておもったんだけど、画集みたいなのも作りたいなという風に思った。BASEの商品画像をダウンロードして、レイアウトすればたぶん立派な画集になる。やってみたい。そうすれば僕は一年に2冊の本をだすことになる。一冊はこのどこどこだ。そしてもう一冊は絵の画集。一年分の制作すべてを載せられるかどうかはわからないけど、できたらいいな。それにプラスで夜に書く文章も本みたいな形式にして置けたらいいなと思う。なんか僕はやっぱり本という形式が好きなんだよなという風に最近つよく思う。手持ちの本はだいぶん減ってしまったけどまた、少しずつ増やしていけたらいいなと思う。今日もなんとか10枚に達したらしい。外も明るくなってきた。今日はこの辺にしておこうかな。風呂に入りながらパーフェクトフューマンの動画を見る。なるほど、って感じ。美香ちゃんが髪を切ってほしいというので切る。椎名林檎みたいにしてほしいというので、写真を参考に頑張ったけど、うまくいったのかは分からない。なんとなくで切ってるけど、基本的なことだけでも学んでから切ったほうがいいかもしれない。朝起きられなかったので小学校から帰ってきたあと少し書くことにした。またアクリル画を描く。田んぼと猫の二枚を描き、ツイッターに投稿するnoteの方にもアップしてBASEへのリンクを貼った。けど、改めて見ると絵のスキャンデータの色味が気に入らない。緑味が強く出てしまう。スキャナーの設定をいじって実際の色味に近い感じでパソコンに取り込めたらいいなと思う。昼寝をして、歯医者へ行く。痛かった。銀の詰め物が少し多きすぎたらしく、何度もはめてみて詰め物を削り、はめてみては削りを繰り返した。その度に詰め物が神経にあたってビビッと痛みが走る。歯医者のあの痛みが僕は苦手だ。右の奥歯を直してもらったのだけど、反対側にも虫歯があるらしいのでまた直さなきゃいけない。歯医者さんやだなぁ・・・・。帰ってきて、晩御飯を食べる。このあいだ買った冷凍塩サバが冷凍庫に眠ったままになっていたので、食べることにした。料理酒を少し欠けてご芸路が付くまで焼いた。それを畑でとれたレタスの上に置いて出したら「なんか、民族料理みたい」と美香ちゃんに言われた。朝、パンを食べ、昼はチャーハンだった。一日あんまりちゃんとした食事をしていなかったので、晩ごはんくらいはしっかり食べたいなと思ったので、ピーマンとウィンナーと玉ねぎとを炒めたのと小松菜と油揚げのお味噌汁も作った。塩サバやっぱりおいしい。あと2匹残っている。さて、きょうは何について書こうか、毎日毎日その日にあったことを書いていってもいいけど、今日はなんとなく、テーマを決めてそのことについて書きたいな、なんて思う。テーマは何がいいだろう。高校生の頃、カール・セーガンの「COSMOS」という本を読んだ。カールセーガンは宇宙人へ向けたメッセージを刻み込んだ金属の板を宇宙船に乗せて宇宙を旅させる、なんてちょっとロマンチックなことをしてる天文学者。彼の本が結構面白くて、記憶に残っている。確か高校では朝に10分間だけ読書の時間があって、その時間に僕はそれを読んでいた。宇宙のこと、生命のこと、化学と非科学の境目のような呪術的なことも書いてあった気がする。生命の歴史がそこに書いてあった。覚えているのはヘイケガニについての文章。ヘイケガニというカニがる。それは瀬戸内海にいるカニで、甲羅に人間の顔みたいな模様がついているらしい。どうしてそんなものが瀬戸内海に見られるのか。たまたま人間の顔のように見えるカニがいて、それが生き残る可能性が高かったから、そういう模様をもったカニの遺伝子が受け継がれていった結果であるよいうような話だった。そして、その選択を促したのは平家物語とのことだ。平家物語の最後に瀬戸内海で死んだ平家の一族がカニに姿を変えて現れたようにその周辺の人々は気味悪がって、捕まえてカニを海に戻したため、人間の顔のように見える模様を持ったカニが多くなり、ヘイケガニと呼ばれるようになったということらしい。人間が生物の選択に関与している例の紹介だった。あとは、中世ヨーロッパで人間が死ぬ原因をリスト化し、それぞれの全体におけるパーセンテージを紹介したページとかに、たしか、星のめぐりのため、みたいなのが割合としては少ないけど、数パーセントあって面白かった。星のめぐりのために人間は死ぬんだろうか。もしかしたらそういうこともあるのかもしれない。あとは地球史的な話題としては、最初の花は最後の恐竜が死ぬちょっと前に登場した。みたいなフレーズが記憶に残っている。なんか、てーあとして「宇宙」と頭に浮かんだので、思いつくままに書いてみた。とりとめのない文章になってしまったけど、まあ、それでいいかなという気がする。COSMOS2も買ったけど結局読んでない。なんか、2ってあんまし読まないっていうのが、僕の癖らしい。あんなに好きなロビンソン・クルーソーも2は読んでないまぁあれは2というか下巻なんだろうけど。島からかえってきたロビンソン・クルーソーは何をするのだろうか。高校時代の読書ということでいえば、部活が始まる前に30分くらい図書館へ行って本を読んでた。アンネの日記とか黒柳徹子の「小さいころから考えてきたころ」とか呼んだ気がする。ほかにも読んだんだろうけど忘れてしまった。遠藤周作の「イエスの生涯」とか三浦綾子とかも読んでた気がする。ほかに何を読んでたんだろう。本を結構読んでいたような記憶があるけど、何を読んでいたのか全然覚えていない。コルビュジェについて書かれた新書版の本を読んだのも覚えてる。岩波の赤帯の小説も結構読んでた気がする。あと意外と物理とかの本を読んでた。授業では全然好きじゃなかったけど、なぜか、ニュートンの本とか、まぁ、物理とか科学の本というよりも伝記的なものだったのだろうか。卒業してからは星野道夫とか、梨木果歩とか、あるいはアンドレ・ジッド、ヘルマン・ヘッセ、トーマス・マン、あとなんだろう。サルトルとかなんかそういう昔の小説とかを結構読んでた。安部公房とかもそのころに読んでた気がする。大学に入ってからは建築のほんと歴史の本が多くなった。就職してからはあんまし本を読まなくなってしまったけど、本当は本を読むのが好きなはずなのでそういう時間を取り戻していきたいと思う。最近はあさ、塩野七海のローマ人の物語を読んでるオクタヴィアヌスの巻で何度も躓いているのだけど、なんとか読み進められそうだ。あと、店の暇な時間に安部公房の「密会」を読んでる。庭文庫で500円で買ったものだ。これは結構面白い。小説を読みたい気分だ。パソコンが壊れたので、しばらく文章を書けずにいたのだけれど、今日はスマホにパソコンのキーボードを繋いで書いてみることにした。最後に書いたのはいつだっただろう、だいぶ長いこと書いていないような気がしたけれど、実際には2日か3日くらいのことのようだ。それくらい文章を書くことが日常的な行為になっていたということだろうと思う。文章が書けずにいた間、絵の方は筆がすいすい進んで、何枚も描いている。彫刻家のはしもとみおがyoutubeにスケッチの動画をあげてくれていて、それがとても勉強になる。もともとこんな風に日々文章を書いたり、絵を描いたりするのは坂口恭平の物真似的な感じで始めていたのだけれど、実際、こうやって日々気楽にアウトプットすることは心の平穏につながるような気がしている。毎日繰り返すことで、文章の方はよくわからないけど、少なくとも絵の方は多少コツをつかんで来ているような気がする。コツをつかんだというか、どういう絵を描きたいかがわかってきたような感じ。今のところ動物を描くのが楽しい。もともと僕が動物園が好きだった。基本的にいま僕の住んでいる場所をすごく僕は気に入っているのだけれど近くに動物園がないのがすこし残念だ。動物を描く画家について調べていて、気になった画家がいる。ジョセフ・クローホール(1861-1913)はイギリスの画家。グラスゴー・ボーイズと呼ばれる画家の集団のひとりとのこと。動物の絵が抜群によいと感じた。彼とはしもとみおが当分のあいだの僕の絵の先生になるんじゃないかなと思う。ここ数日でいろんなものを描いた。室内、風景、植物、動物、人物などなど。風景と植物はやってみて、すぐこれは苦手だなという風に感じた。たぶん僕は緑系統の色をどんな風に扱っていいかわかってないんだろうと思う。室内の一角を描いたり、人物、動物は楽しみながら描けている。絵のなかで緑色をどう扱っていいかわからない、というのはだいぶ前から意識の中にあった。いつからそんな風に感じていたのかは、はっきりとはしないけど、それでもたぶん、僕が意識的に絵を描き始めた当初からのことだったろうと思う。絵を見るときにも緑がみどりみどりしい絵が苦手だったりする。このごろ描いているのはアクリル画だけど、その絵の具を買う時にも緑系は買わなかった。どうしてそんなに緑色を避けるのかはよくわからない。そういえば、メキシコの建築家ルイス・バラガンもいろんな色彩を建築の中に取り込んでいるけど、緑だけは建築の中に入れていなかった。それはなんでだろう。もしかしたら窓の外には緑があるからかもしれない。その類推で言えば、僕が絵のなかに緑を入れたくないのは自然の中にみどりがあるから、ということになるんだろうか。いや、すべての色は自然の中にあるはずだから緑だけを別にとらえる理由にはならない気もする。書いていて、もしかしたら僕は緑系統の色が好きなのかもしれないと思い始めてきた。この手の話題は書いていても、話がぐるぐる回って結局なんにもならないことが多いからこの変でやめてしまおうかなと思う。最近のこと、最近は何をしていただろうか。昨日は紅いもタルトを作った。タルト生地がぼろぼろくずれるのは何が原因だろう。おとといは久しぶりに家でパンを焼いた。シンプルな丸パンだ。そうそう、そういえば、店をやめることにした。結局のところ、決まった時間、決まった場所に居続けるのが向いてなかったのだと思う。僕も美香ちゃんも。嫌なことはやらない、というスタイルでいきたいのに、どうしてか嫌なことをやり続けてしまう性分の二人だから、今回はもう、すっきりやめちゃうことにした。僕はやだなと思っていたことをやらなくてよくなったわけだからすっきりしたけど、美香ちゃんは違ったみたい。なんか、落ち込んでいた。けど、昨日くらいに何か吹っ切れたらしく、元気になったようななっていないようなかんじだ。スプーンのキットがまたいくつか売れ、ナイフが少なくなってきたので、また追加で仕入れた。インスタ広告を試しているけど、効果はぜんぜんない。やめた方がいいかもしれない。図書館で本を何冊か借りてきた。トーベヤンソンの「誠実な詐欺師」が面白そう。今日は自治会の役の交通安全の街頭指導をしないといけないので、今日はこれくらいで。朝の交通安全街頭指導を終え、その足で小学校へ向かう。街頭指導と言っても特に何かするわけではなく、蛍光黄緑色のベストに黄色い帽子、手には交通安全と大きく書かれた黄色い旗を持って交差点に立っているだけだ。相方であるもうひとりの当番のおじさんと30分くらいおしゃべりしながら時間をやり過ごす。中学高校と野球を結構頑張ってやってて、社会人になっても野球を続け、仕事終わりとかにも練習、練習、社会人の全国大会に行くくらいのチームだったらしい。選手でなくなったあとも監督をしたりとか、息子の野球の応援とかでずっと野球と関わってきたらしい。名古屋が近いから、周りの人はみんな中日のファンなのだけど、自分は巨人が好きなので肩身が狭いと言っていた。最近はみんないろんなチームが好きだけど、昔はもっと中日ファンが多かったとのこと。時間が来て、解散して、その足で僕は小学校へ行く。このコロナ対策のアルバイトは特に変わったことは起きない。いつも同じ。たんたんと時間が過ぎていく。朝2時間のウォーキングのようなもので、生活のリズムを一定に保つ効果があるように思う。帰ってきて10時半。そこから、自分用に一本スプーンを削る。毎朝のんでるインスタントコーヒーの粉をすくうのにいま使っている匙は短すぎると感じていたのでちょうどいい長さでちょうど一杯分のコーヒー粉がすくえるようなものを、と思って作り始めた。しばらくして、頭がいたくなってきた。しばらくのあいだ我慢して削っていたけれど30分くらいしてもう辛くなってきたので昼寝することにした。おおよその形ができ、ざっとヤスリをかけたところまでしかできなかった。また今度磨くことにする。2階の布団で1時間半くらい寝た。寝たら頭の痛みはなくなっていた。美香ちゃんがどこかへお出掛けしたいというので、近くの湖へ行ってみることになった。しゃんとした服装に着替え、車に乗り込み、道中のスーパーで飲み物やらお菓子やらを買い込んだ。いつもはそのスーパーの別店舗で買い物をしているのだけれど、店のレイアウトがいつもの店とその店で同じ過ぎてびっくりした、びっくりというか、なんというか、不思議な感覚。違う場所なはずなのに同じ光景。同じ通路、同じ棚、同じ商品…最後には店員さんまでいつもの店の人に見えてきてしまう。それでも、ふとしたところに微妙な差異があって、たとえば、卵の棚の10個入りと6個入りのパックの位置関係だったり、値下げ品のラックのラインナップが違ったり、みたいな所がちょっとだけ違ってて、きっとパラレルワールドって実際にあるとしたらこんな風なんだろうという気持ちになった。一瞬違う世界に来たみたいでなんか不安になる。そういう異世界みたいなものを舞台に何か書いてみようかなという風に思った。まぁ書くか分からないけど。パラレルワールドかもしれないという風な思いにとりつかれてしまった男の話。東へ、東へ、と車を走らせ、途中細い道に入り込み、住宅街を抜けて、また田園風景。田んぼの稲は緑が濃くなって、風にそよそよと揺れている。ほとんどの田んぼの苗は、僕らの田んぼの苗と比べると大きく、太く、立派に見えたけれど、いくつかの田んぼのではぼくらと同じくらいかな?と思えるようなものが植わっている田んぼもあってすこし自信がでてきた。湖に着き、車を停める。他には一台も停まっていない。隅に公衆トイレがあったが、チェーンでぐるぐるに巻かれていて使用禁止らしい。緩やかな土手を上り、湖面を眺める。湖の縁がコンクリートで固められていて、ぼくの思っていた湖とすこし違った。僕は湖が好きだ。そのおだたかな水面は海とも川とも違う安心感がある。できれば水面に触れられるくらいまで、水との境界は曖昧であってほしい。それが今回行った湖は板チョコレートみたいなコンクリートで固まっていて、緑色のアミアミのフェンスがあり、水面は自分のたっている地面から何メートルも下方にある。とても手が届かない。せいぜい石ころを投げ込めるだけだ。まぁ、とりあえず、湖の周りを歩いてみることにした。遠くで雷がなっている。家を出たときにはあんなに晴れていたのに。どこか座れる場所を探して、湖を眺めながら本を読んだり、絵を描いたりしようと思っていたのだけれど、なかなかそういう風に落ち着ける場所がなく、歩き続けていると、気がついたら車を停めた場所から湖の反対側まで歩いてきてしまった。草が伸び、あまり手入れされていない感じがする。途中ひとりのおじいさんとすれ違ったが他に人はいないようだった。そして、恒例のグリーンアドベンチャーがあった。グリーンアドベンチャーというのは、公園とかハイキングコースに置いてある木の名前当てクイズだ。日本中の公園に置いてあるらしく、僕も美香ちゃんもいろんな場所でこのグリーンアドベンチャーにチャレンジしている。東京にも千葉にもあったけど、まさか岐阜にもあるとは…。このごろいろんな木に触れているからか、あるいは、グリーンアドベンチャーの経験を積んできたからか分からないけれど、正解率がややアップした。イヌツゲ、朴、メタセコイヤ、キンモクセイ、アカマツ`…クイズの文字が書かれている板はもうだいぶダメージを受けているようで、文字や絵がかなり薄い。看板上部の札をめくると答えが書いてあるのだけれど、中には札が取れてしまって答えがむき出しになっているものもあった。ノンストップで僕らは歩き続けていた。時折、道端からザザッと何者かが逃げていく音がした。一匹だけヘビを見た。通路の脇にベンチがおいてあるのだけれど、じめっとしていて、とてもそんな所で休む気になれなかったので、歩き続けてきてしまったのだった。途中ひらけた場所で休憩した。もう湖を3/4周くらいしていた。ベンチに腰掛け、少しだけ本を読んだ。美香ちゃんはベンチに横になり、僕の膝を枕にして昼寝をはじめる。そのままトーベ・ヤンソンの「誠実な詐欺師」という本を美香ちゃんに読み聞かせる。僕らの他には誰もいなかった。オールレーズンを食べ、ビーノを食べた。カルピスをのんだ。まだ遠くで雷がなっている。心なしか冷たいような風が吹いてきた。雨が降ってくるといけないので車にもどった。その後は、もとの道を車でもどり家へ向かう。途中、「紅梅屋」という小さなスーパーに寄り道をしたけれど、二人ともおかしの食べすぎでお腹がいっぱいだったので、何も買わずに店を出た。家につき風呂を沸かす。湯船にお湯をためている間、美香ちゃんの絵をアクリルで描く。「なんかいつも老けて描かれるよね」と言われた。猫の絵を描こうと思っていたのだけれど、動き回るので難しかった。風呂には入り、晩ごはんを食べる。鶏肉とたまねぎ、エリンギ油揚げを炒めて、醤油と砂糖、だしで味をつけた。最後にちょっと○○ジャン的な調味料で辛めに味をつけた。本当はキムチを浸ける用のものらしいけど、こういう風にあじつけtおして使ってる。夏は辛いものを食べたくなるのは僕だけなんだろうか。布団を敷く。2階はもうずいぶん暑いので今日から1階で眠ることにした。川の流れる音を聴きながらぐっすりねむる。目が覚めたので、とりあえず書き始める。今日は何を書いていいか分からない。でも書き始めることがなによりも大事という風に思ってキーボードを叩く。昨日は何をしていただろう。小学校から帰ってすぐ、とりあえず注文があった木工キットの梱包と発送作業を終わらせる。パソコンが壊れたので、クリックポストのラベル印刷も一苦労だ。猫がこちらを見ている。朝、まだほの明るいこの時間、朝ごはんにはまだ早いが猫は「マァァー」と高めの声で鳴いている。そこら辺を2.3回行ったり来たりしてから、僕の膝にその小さな頭を強めに擦り付けたのち、階段をひとりで下りていく。猫のごはんを変えてからどのくらい経っただろう、3週間くらいだろうか、最近猫の毛並みが良い気がする。心なしか白さが際立っているような気がする。僕の中でアクリル画ブームが来ていて、このごろ毎日描いている。この1~2週間で30枚くらい描いていた。最近やっとこつがつかめてきたような感じがして、水分量の調節がいかに大切かが実感できた。水を絞りに絞ってガサガサくらいの感じで描くと良い。描き方は彫刻家のはしもとみおに学んでいる。前にもかいたけど、彼女のyoutubeがすごく勉強になるし、動画としても穏やかで、静かで、可愛らしくて、面白い。誕生日に動物園に行くことなった。調べると、ここから一番近い動物園は愛知の東山動物園なんだそうな。車で2時間くらいかかるらしい。動物園が好きで、僕は美香ちゃんと二人でよく動物園に行った。いつから僕は動物園が好きなんだろうと思い出そうとすると、意外と最近のことなんじゃないかなという気がする。たしか村上春樹の小説に、雨の日に動物園に行って、ライオンを見るみたいな話があったような気がするけど、それを読んだとき、僕はまだ「動物園」という言葉に風景の実感的なイメージが伴っていなかったという記憶がある。それを読んだのはいつだっただろう。大学の3年か4年か、もしかしたら大学院生になっていたかもしれない。その時には動物園についての具体的な記憶というようなものがあまりなかったようなことを覚えている。栗生先生の最終講義でも動物園の話があった。海外の動物園の話だ。どんな話だったかあんまし覚えていないけど、海外に行くと必ずその国の墓地と動物園に行くみたいな話だった。ホールの1席でその話を聞きながら、僕はやっぱり「動物園」という場所について、何ら実感的な感覚を持っていないという風に感じた。あるのは絵本でみたような2次元的な平面の図像。なんか今日は文章が進まない。もう動物園について書くことはやめよう。特になにかが書きたかったわけでもないのに無理にかいているような感じで、つまらない。僕はとにかく動物園がすきで、今度、動物園に行くのが楽しみだ、シンプルに書けばそういうことなのかもしれない。僕にとって動物園とは何なのかとか、本当にどうでもいい笑。今日はまだ、原稿用紙4枚しか書けていない。絵も文章もやっていると、「かく」という言葉の文字変換が結構むずかしい。「描く」と「書く」で交互に出てきたりするから、予測変換が混乱しているのがよくわかる。もういっそいつでもひらがなでかくようにしようかなと思う。ここ数日、おそらく今までの人生のなかで一番文章をかいているし、一番絵もかいている。とにかく量をこなすことで上達するというのは、たぶん中学生か高校生くらいの頃の僕のやりかただったわけだけど大学に入ってからはかなりアウトプットの量が減ってしまっていたような感じがする。多くの人がそうなんだろうか。思い返してみると、さっき僕は今が一番絵を描いているかもしれないと書いたけれど、高校生の時にはもっと描いていたかもしれない。実家にかえったとき、その頃のスケッチブックをみると、よくもまぁ飽きずにこんなにたくさん手を描いたなと思うくらい、自分の手を色んなポーズにしてかいたスケッチが出てきたことがある。たぶん、今、たくさん絵をかいているなとおもっているけれど、高校生のころの僕はいまと同じか、あるいはもっと多くの時間を絵をかくことに使っていたのではないかと。それが大学に入ってから描かなくなった。描かなくなった時期があったから落差で今がたくさんかいているように感じるだけなんだろうと思う。大学生の頃、僕はどうしても絵を書けなかった。絵を描きたいなという気持ちはあるのだけれど、何をかくかが分からなかった、何をかけばいいのか思い付かなかった。いま考えれば変な話だけれど、その時にはそんな風に思ってた。何をかいたらいいのか、そんなのは、何かを描いているうちにわかってくるものだ。今だったらそんなふうに考えられるのだけれど、その頃には何をかいたらいいのかわからないから描かないということの方が自然と感じていた。まず、絵を描くという行為そのものを楽しむことからしか、何をかくかとか、何を描きたいかとかいうことは浮かび上がってこないということが今ならわかる。とにかく描くべきだったんだろう。実際、絵を描こうと思って筆を手に取り、画面に向き合ったことが何度もあったけど、そのときの僕にはなにもかけなかった。理由は何をかくか考えてしまっていたからで、そのときの正しいこうどうの選択はとりあえずかきはじめることだった。文章に関していえば、間違いなく、いまが一番かいている。卒論や修士の論文を書いていた時期よりもずっと多くの文字を日々連ねている。こんなにたくさんの文章をかいていた時期はない。僕はずっと文章を書くということに憧れのようなものをもっていた。文章を読むのは好きだった。けど書けなかった。だいたい文章なんていうものは、書きたいこと、伝えたいことが先にあって、かきはじめるものだと思っていたから今までの書けなかった。このごろ毎朝、寝起きで文章を書くことを通して学んだことはやっぱりとにかく書き始めることなんだと思う。それは絵を描くことと同じ。内容なんてどうでも良かったりするんじゃないかと思う。何を書くか、どうやって書くかということは、ある程度、文章量をかかないと見えてこない。絵について当てはまることが文章にも当てはまるのかどうかわからないけれど、たぶん文章でもそうだ。きっと毎朝こうやって文字を入力し続けていると、言葉を自由に扱えるようになる気がする。書いている内容はなんでもいい。評価しない。とにかく書いていると文章の量が分かるようになる。けっこういっぱいかいたなとおもっても、いまの僕だと原稿用紙7.8枚だ。このごろ、いろんな人のいろんな文章を全文コピーして文字数をカウントしているのだけれど、それがけっこう面白い。長い文章だなぁとおもって数えても文字数で考えるとそう多くない。ちなみに今この文章はこれだけたくさんかいたような気がして原稿用紙7枚だ。毎朝10枚、というのが目標なのだけれど、最近朝寝坊することが多くてなかなか達成できずにいる。高校生の頃、鉛筆でとにかく何でもいいからかいていた無数の「ちょっと頑張った落書き」のようなものが、ものごとの上達には欠かせないものなんだということがわかったので、文章もとにかくそういうものを日々生み出しつづけてみる。そのうちいつか、書きたいことがみつかり、ことばを自由自在に操ってそれを表現できるようになるかもしれない。もうしばらくはつまらない文章を書き続けてみることにする。書き始めて1時間くらい経った。調子がいいと、1時間で10枚かける。もちろん内容はワケわかんないけど。とにかくいまの僕に必要なのは言葉というものに慣れることなんだと思うので、もうこれは、ただ量の話でしかない。なんでもいいから、そのときそのときに思ったこと、文字数を稼げるな、と思ったことをどんどんかいていく。さて、話がループしてきた。そういうとき、話題をかえれば、どんどんかけるということも分かってきた。何かについて書こうとするとき、書き始めはどんどんかける。話題によってどのくらい書けそう、みたいな感覚をつかめるように徐々になってきた。いや、まだまだ練習中といったところだ。けど、たくさん書けそう、あんましかけなそう、みたいなことがテーマごとにあるということは分かってきた。このテーマについてかけば、2.3枚にはなりそうだな、みたいな感じで、あ、このテーマなら1枚分とか、これをかけば5枚になるなとか、そういう風なアタリをつけられるようになった。というか、アタリをつけられるということがわかってきたという感じだろうか。思い出話は長く書ける。抽象度の高い話題、たとえば、さっきみたいな僕にとって動物園とは何なんだろうというような話は書けない。それは多分ぼくの技術の問題で、きっとそのうち書けるようになるんだろうと思う。さて、いま、話題を変えようとして変えきれなかったので、また話題を変える。こんどは話題をかえるということについてかいてみようかなと思う。これもまた最近の気付きなんだけど、話題はなんの脈絡もなく変えても大して気にならないということだ。どうせ誰もこんな文章を真面目に頭からお尻まで読んでなんかいない。誰もちゃんと読んでいないのだから、文章が飛んでいても、話題が急に変わっていても、自分が読み飛ばしたところで、なんかうまく話題がうまく転換したんだろうなと思ってくれる。ということに気がついた。こんな風に、改行もせず、段落も分けずに書いているとさすがに違和感を感じるかもしれないけど、それでも、「話題をかえる」とかとくに書かずにしれっと他のことを書き始めれば、なんかそれも読めてしまう場合が多いように思う。草刈りをしなきゃしなきゃと思いつつなかなかできずにいる。今日は少しでも刈ろうと思う。小学校から帰ってきたら、午前中は草を刈って午後にペンレスト用の製材をしようと思う。今日は雨が降ると思っていたけれど、案外降らないかもしれない。光の筋が山を照らし、山の低いところに靄がぷかぷかと浮いている。川の流れる音がする。さっき田んぼの見回りをするおじさんの姿が窓から見えたが、いまはもうどこかへ行ってしまった。部屋は散らかっている。取り込んだ洗濯物が窓際にかかっている。手編みの毛布、箱ティッシュ、脱ぎ捨てた短パンと黒いTシャツ、本が4冊、扇風機、アースノーマット、バッテリー、猫が入るための箱、脱ぎ捨てたパジャマ、使い終わった綿棒が2本、小さな手元用のライト、だいぶ汚れたトートバッグ。ファブリーズ、そんなものたちが床に散乱している。このあと、少し片付けをしようかなと思う。どうしてすぐにこんなに散らかるんだろうか、いつも不思議だ。さて、今日は早起きしたから10枚書けたらしい。今日はこのくらいにして、片付けを少ししてから絵を書こうかなと思う。こんな朝早くから携帯が鳴り、何かと思ってでると、さっき田んぼの見回りをしていたおじさんがキュウリを持ってきてくれて、玄関先に置いておいてくれたらしい。僕はキュウリが苦手なので、美香ちゃんが食べることになるだろう。昨日はズッキーニをもらった。あんまし食べたことなかったけど、ズッキーニはナスみたいな感じでおいしかった。ウリ科全般がダメという訳でもないらしい。食べ物の好き嫌いは面白い。さて、改めてこのくらいにしておく、今日は結局12枚書けたらしい。早起きは3文のなんとかってやつだろう。

修理に出していたパソコンが昨日帰ってきた。1週間から10日くらいはかかるものと思っていたから、だいぶん早く戻ってきた。二年前の誕生日、僕らは上野にいた。朝、まだ暗いような時間帯に起き、軽トラに乗り込む。普段と違う感じで書こうと思うとなかなか文章がすすまない。昨日は「量」ということについて考えてみたけれど、それだけではないというふうにもちろん思っていて、「質」のようなものにも僕は関心があって、なにかいい感じの文章でそれを書けたら、と思ってしまうのだけれど、朝起きて数分後から、そんないいものなんて書けないと改めて思い返したので、とりあえずかけることをかけるように書いていくといういつものスタイルに戻してみることにする。おととしの誕生日、僕は美香ちゃんと上野で過ごした。朝、確かまだ暗いうちに起きて、最寄り駅の駐車場に車を止める。あれ、違うかな、どうしたんだっけか、パスで行ったかもしれない。なんだか二つの記憶が混ざっていて、駅前の駐車場に止めて駐車代が思っていたよりも高く、手持ちのお金で足りなくて、夜中にコンビニまでお金をおろしに行った記憶もあるし、高速バスで東京まで行ったという記憶もある。どっちが正解なんだろうか。気になって書き進められないので、携帯で撮った写真を見返してみているけれど、何も残っていない。いや、確か、そう、駅前の駐車場に停めた気がする。そう行きは新幹線を使ったんだっけか。そんな気がする。どうしてそんなことをしたのかわからないけれど、そんな記憶がある。上野駅に着いて、美香ちゃんと合流する。そして、新宿か上野のヨドバシカメラでフィルムのインスタントカメラを買う。僕と彼女の誕生日は一日違いなので、この二日間を一緒に過ごして、それをフィルムで写真に記録して最後に現像してみたら面白いんじゃないか、という試み。やけに写真が残っていないなと思ったら、そういうことだ。フィルムで撮っていたからデジタルのデータが残っていなかったのだ。フィルムカメラを買ったあと、上野周辺をぶらぶらした気がする。国土交通省と書かれた赤いカラーコーンがいくつも並んでいた記憶がある。写真を撮りながら散歩したんだろうか。宿に着き、その周辺も散歩する。僕らはよく町を散歩する。散歩しながらおしゃべりし、写真を撮る。想定していたよりも遠くへ来てしまって、ぐったり疲れる、みたいなのがいつものパターンだ。タピオカミルクティーを飲み、夜は中華を食べた。宿のそばの中華屋。怒ったような口調で注文を取りに来る店員さん。かた焼きそばを食べた。翌日、すし勘で寿司を食べ、松戸の縄文博物館みたいなところに行った。甘く見ていたけれど、結構本格的な展示で面白かった。松戸が日本の中心だったらしい。とある展示で、縄文時代の村とそこで暮らす人々の暮らしを再現した模型があった。模型の脇にいくつかボタンが並んでいて、それを押すと解説の音声が流れ始める仕掛けだ。たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…というBGMが妙に頭に残ってそのあと、ずっとその音楽が頭の中で鳴っていた。松戸を散歩する。そこでもグリーンアドベンチャーをした。たん たか たんたん…たん たか たんたん…美香ちゃんが小さいころ遊んだ公園に行き、通った中学校の前を通る。夏の桜通りを歩き、春の桜が満開のころにはどんな風なのかを教えてもらう。UFOのことも教えてもらった。2年前のいくつかの断片的な記憶。僕はあんまり覚えていないのだ。過去に体験したことを、あまり。すぐに忘れるから、あとで思い出しながら書くということができない。だからすぐに書こうと思うのだけれど、ずっとそれができずにいた。2年くらいたつと、今書いたくらいまで、情報が減ってしまう。その日か翌日には文章として形にしておけばいいのかもしれない。何かきっかけがあれば、思い出せることも増える。例えば写真、そうそう、一番はじめに買った、インスタントカメラは、結局2人ともその2日間では撮りきることができず、そのまま、2年間放置してしまっていた。それをついこの間ようやく現像に出してきた。長い時間放置していたからかどうかわからないけれど、写真の大部分は青というか黒というかそういう色一色になってしまって、何も映っていなかった。いくつか美香ちゃんのいい写真が残っていた。松戸の公園で風を受け、笑顔でこちらを見る美香ちゃんや、昔よく遊んでいた公園のブランコに乗る美香ちゃん。もしかしたら、結局のところ、僕はそれら幾枚かの写真を通じて、その日の記憶を再構築しているだけかもしれない。猫gaokiagaru.maulu… tomizikakunakikaradawonobasu.abekoubouno「mikkai」toiuatamanookashiishousetuwoyonー0000000でいるのだけれど、その初期設定が面白いなと思う。主人公の男はとあるテープを聞きながらその中で起こったことをノートにまとめるという作業をしている。てーp6+うno6 猫が飛び上がって、キーボードを踏んでしまったので、文字が乱れた。なんか変な変換がされてしまった。テープに記録されていたのは男自身の行動を盗聴したもので、それを聞きながら、自分自身に起こったことを文章化していく作業だ。それはある男に依頼されているのだけれど、一つ注文があって、そのノートの中では男自身のことを「ぼく」とは書かずに「男」と書き、依頼主のことを「馬」と書くように、ということだった。それに従えば、例えば「ぼくは依頼主にサンドイッチを渡したあと、コーヒーを飲みながらすこし雑談をした」という文章であれば、「男は馬にサンドイッチを渡したあと、コーヒーを飲みながらすこし雑談をした」という風になる。主語を「僕」→「男」と変換するだけのことなんだけど、これでもしかしたら僕は何か物語をかけるかもしれないという風にさえ思った。これはコロンブスの卵かもしれない「男は○○と思った。」「男は〇〇と感じた」みたいな文章って僕はあんまし書いたことがない。思うとか感じるというのはいつも「僕」のすることであって、ほかの何者かが思ったり感じたりしてもいいんだ、というのは僕にとっては新しい発見だった。その人がどう思ったり感じたりしているのかなんて他人の僕からしたら分からないじゃないかという風に思ってしまうからそういう風に書けなかったのだけれど、今回この「密会」という小説を読んでいて、そうか、単に自分のことについて書いた文章の主語を「誰か」に変えるだけでいいんだ、それで小説になるんだ、という発見。自分で書く時には違和感のある文章であっても、読むときにはそれほど気にならないということが分かった。試しに今日のここまで書いた文章の主語を「僕」から「男」に変えてみる。「美香ちゃん」は「女」という風にかえて、ちょっと文脈的におかしいところは修正してみると次のようになる。

修理に出していたパソコンが昨日帰ってきた。1週間から10日くらいはかかるものと思っていたから、だいぶん早く戻ってきた。二年前の誕生日、男は上野にいた。朝、まだ暗いような時間帯に起き、軽トラに乗り込む。普段と違う感じで書こうと思うとなかなか文章がすすまない。昨日は「量」ということについて考えてみたけれど、それだけではないというふうにもちろん思っていて、「質」のようなものにも男は関心があって、なにかいい感じの文章でそれを書けたら、と思ってしまうのだけれど、朝起きて数分後から、そんないいものなんて書けないと改めて思い返したので、とりあえずかけることをかけるように書いていくといういつものスタイルに戻してみることにする。おととしの誕生日、男はその彼女と上野で過ごした。朝、確かまだ暗いうちに起きて、最寄り駅の駐車場に車を止める。あれ、違うかな、どうしたんだっけか、パスで行ったかもしれない。なんだか二つの記憶が混ざっていて、駅前の駐車場に止めて駐車代が思っていたよりも高く、手持ちのお金で足りなくて、夜中にコンビニまでお金をおろしに行った記憶もあるし、高速バスで東京まで行ったという記憶もある。どっちが正解なんだろうか。気になって書き進められないので、携帯で撮った写真を見返してみているけれど、何も残っていない。いや、確か、そう、駅前の駐車場に停めた気がする。そう行きは新幹線を使ったんだっけか。そんな気がする。どうしてそんなことをしたのかわからないけれど、そんな記憶がある。上野駅に着いて、男は女とと合流する。そして、新宿か上野のヨドバシカメラでフィルムのインスタントカメラを買う。その男と女の誕生日は一日違いなので、この二日間を一緒に過ごして、それをフィルムで写真に記録して最後に現像してみたら面白いんじゃないか、という試みだった。男の携帯の中にやけにその日の写真が残っていないなと思ったら、そういうことだ。フィルムで撮っていたからデジタルのデータが残っていなかったのだ。フィルムカメラを買ったあと、上野周辺をぶらぶらした気がする。国土交通省と書かれた赤いカラーコーンがいくつも並んでいた。写真を撮りながら散歩したんだろうか。宿に着き、その周辺も散歩する。彼らはよく町を散歩する。散歩しながらおしゃべりし、写真を撮る。想定していたよりも遠くへ来てしまって、ぐったり疲れる、みたいなのがいつものパターンだ。タピオカミルクティーを飲み、夜は中華を食べた。宿のそばの中華屋。怒ったような口調で注文を取りに来る店員さん。かた焼きそばを食べた。翌日、すし勘で寿司を食べ、松戸の縄文博物館みたいなところに行った。甘く見ていたけれど、結構本格的な展示で面白かった。松戸が日本の中心だったらしい。とある展示で、縄文時代の村とそこで暮らす人々の暮らしを再現した模型があった。模型の脇にいくつかボタンが並んでいて、それを押すと解説の音声が流れ始める仕掛けだ。たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…たん たか たんたん…というBGMが妙に頭に残ってそのあと、ずっとその音楽が頭の中で鳴っていた。松戸を散歩する。そこでもグリーンアドベンチャーをした。たん たか たんたん…たん たか たんたん…女が小さいころ遊んだ公園に行き、通った中学校の前を通る。夏の桜通りを歩き、春の桜が満開のころにはどんな風なのかを教えてもらう。UFOのことも教えてもらった。2年前のいくつかの断片的な記憶。男はあんまり覚えていないのだ。過去に体験したことを、あまり。すぐに忘れるから、あとで思い出しながら書くということができない。だからすぐに書こうと思うのだけれど、ずっとそれができずにいた。2年くらいたつと、今書いたくらいまで、情報が減ってしまう。その日か翌日には文章として形にしておけばいいのかもしれない。何かきっかけがあれば、思い出せることも増える。例えば写真、そうそう、一番はじめに買った、インスタントカメラは、結局2人ともその2日間では撮りきることができず、そのまま、2年間放置してしまっていた。それをついこの間ようやく現像に出してきた。長い時間放置していたからかどうかわからないけれど、写真の大部分は青というか黒というかそういう色一色になってしまって、何も映っていなかった。いくつか女のいい写真が残っていた。松戸の公園で風を受け、笑顔でこちらを見る女の写真や、昔よく遊んでいた公園のブランコに乗る女。もしかしたら、結局のところ、男はそれら幾枚かの写真を通じて、その日の記憶を再構築しているだけかもしれない。猫gaokiagaru.maulu… tomizikakunakikaradawonobasu.abekoubouno「mikkai」toiuatamanookashiishousetuwoyonー0000000でいるのだけれど、その初期設定が面白いなと思う。主人公の男はとあるテープを聞きながらその中で起こったことをノートにまとめるという作業をしている。てーp6+うno6 猫が飛び上がって、キーボードを踏んでしまったので、文字が乱れた。なんか変な変換がされてしまった。テープに記録されていたのは男自身の行動を盗聴したもので、それを聞きながら、自分自身に起こったことを文章化していく作業だ。それはある男に依頼されているのだけれど、一つ注文があって、そのノートの中では男自身のことを「ぼく」とは書かずに「男」と書き、依頼主のことを「馬」と書くように、ということだった。それに従えば、例えば「ぼくは依頼主にサンドイッチを渡したあと、コーヒーを飲みながらすこし雑談をした」という文章であれば、「男は馬にサンドイッチを渡し、コーヒーを飲みながらすこし雑談をした」という風になる。日記的な文章であっても、主語を「僕」→「男」と変換するだけのことであって、なんていうか、僕の中でコロンブスの卵的なことだったんだけど、これでもしかしたら男は何か物語をかけるかもしれないという風にさえ思った。「男は○○と思った。」「男は〇〇と感じた」みたいな文章って男はあんまし書いたことがない。思うとか感じるというのはいつも「僕」のすることであって、ほかの何者かが思ったり感じたりしてもいいんだ、というのは男にとっては新しい発見だった。その人がどう思ったり感じたりしているのかなんて他人からしたら分からないじゃないかという風に思ってしまうからそういう風に書けなかったのだけれど、今回この「密会」という小説を読んでいて、そうか、単に自分のことについて書いた文章の主語を「誰か」に変えるだけでいいんだ、それで小説になるんだ、という発見。自分で書く時には違和感のある文章であっても、読むときにはそれほど気にならないということが分かった。試しに今日のここまで書いた文章の主語を「僕」から「男」に変えてみる。「美香ちゃん」は「女」という風にかえて、ちょっと文脈的におかしいところは修正してみると次のようになる。


なるほど、どうなんだろうか、なんか変な感じだ。話はそう単純ではないらしい。今書いたのはだいぶん僕の言葉が合間合間にはいってしまっているから変なんだろうか。余計な部分を消してみるとこうなる。

修理に出していたパソコンが昨日帰ってきた。1週間から10日くらいはかかるものと思っていたから、だいぶん早く戻ってきた。男はさっそくそれを使って2年前のことについて書き始める。2年前の誕生日、男は上野にいた。駅に着いて、男は女と合流する。そして、上野のヨドバシカメラでフィルムのインスタントカメラを買った。その男と女とは誕生日が一日違いなので、この記念すべき二日間を一緒に過ごし、それをフィルムで写真に記録して最後に現像してみたら面白いんじゃないか、という試みだった。男の携帯の中にやけにその日の写真が残っていないなと思ったら、そういうことだ。フィルムで撮っていたから男の携帯の中にはデジタルのデータが残っていなかったのだ。フィルムカメラを買ったあと、彼らは上野周辺をぶらぶらした。国土交通省と書かれた赤いカラーコーンがいくつも並んでいる。写真を撮りながら散歩した。宿に着き、その周辺も散歩する。彼らはよく町を散歩する。散歩しながらおしゃべりし、写真を撮る。想定していたよりも遠くへ来てしまって、ぐったり疲れる、というのが二人のいつものパターンだ。駅前で流行りのタピオカミルクティーを飲み、夜は中華を食べた。宿のそばの中華屋。怒ったような口調で注文を取りに来る店員さん。二人はかた焼きそばを食べた。翌日、彼らはなじみの寿司屋で食事をし、松戸の縄文博物館みたいなところに行った。男はそれほど展示に期待していなかったのだが、結構本格的な展示だったため、結局のところ面白がっていた。その展示の中のひとつに縄文時代の村とそこで暮らす人々の暮らしを再現した模型があった。模型の脇にいくつかボタンが並んでいて、それを押すと解説の音声が流れ始める仕掛けだ。たん たか たんたん…。たん たか たんたん…。たん たか たんたん…。たん たか たんたん…。たん たか たんたん…。たん たか たんたん…。たん たか たんたん…。というその妙にリズミカルなBGMが頭に残って、そのあと、男の頭の中ではずっとその音楽が鳴っていた。松戸を散歩する。そこでもグリーンアドベンチャーをした。たん たか たんたん…。たん たか たんたん…。女が幼いころ遊んだ公園に行き、彼女が通った中学校の前を通る。二人は夏の桜通りを歩き、女は春の桜が満開のころにはどんな風なのかを話した。UFOのことも教えてもらった。これが男の覚えている2年前のいくつかの断片的な記憶だ。書いてみて思う。彼はあんまり覚えていないのだ。過去に体験したことを、あまり。すぐに忘れてしまうのだ。何事も。彼はあとで思い出しながら書くということができない。けれど、何かきっかけがあれば思い出せることも増える。例えば写真のようなもの。彼らがはじめに買ったインスタントカメラは、結局2人ともその2日間では撮りきることができず、そのまま、2年間放置してしまっていた。彼らはそれをついこの間ようやく現像に出してきた。長い時間放置していたからかどうか不明だけれど、写真の大部分は青というか黒というかそんな色で塗りこめられてしまって、何も図像らしい図像は映っていなかった。それでもいくつかの女のいい写真が残っていた。松戸の公園で風を受け、笑顔でこちらを見る女、昔よく遊んでいた公園のブランコに乗る女。もしかしたら、結局のところ、男はそれら幾枚かの写真を通じて、その日の記憶を再構築しているだけかもしれなかった。


なるほど、この方法は結構面白い。わかったことは主語を僕ではなく、男とか、彼にしようとすると、主語の出てくる回数が増えるということだ。「僕」が書く文章であればそうなんども僕、僕と書かなくていいけど、「男」についての文章だと、何度も何度も男、男、彼、と主語を明示していかないと変な感じになってしまう。でも、こういう、ある種の自動筆記というのは、初めて物語を書こうとするときにはとてもいい方法かもしれない。僕はいままで「僕」についての文章を書いてきた。その文章をおなじ要領で「男」についての文章として書き替えていく作業を行うことは物語る練習になるかもしれない。何もないところから何かを書き始めるのは結構ハードルが高いから、まず、そういうことから始めてみると、そのうちにかけるようになるかもしれない。書きたいことはいつでもあるわけではなく、そう思いたいと思ってもその時にそう都合よく思えるものでもない。だから普段の暮らしの中でできることは技術を手に入れることなんだと思う。何か、書きたい、とおもったときにかける技術があるとないとでは、全然話が違う。方法をもっていないと、その書きたかった気持ちはなかったも同然だったりするのかもしれない。なぜならその男は記憶力が悪いから。起きる。肌寒い朝。猫が鳴くので10グラムだけご飯をあげる。もうだいぶ明るいのに道路脇の電灯がまだオレンジ色に光っている。川の流れる音がする。猫が爪を研いでいる。新しい筆が届いた。ファン型とか扇型とか呼ばれる形の筆で、筆軸の先から毛がびゃっと扇状に広がっている形をしている。そういう形だと筆先に含まれる水の量がかなり少なくなるためか、あるいは数本ずつでまとまった筆先がまるで幾本かの細い筆を同時に持っているかのような機能を果たすためか、その筆に絵の具を含ませて紙の上をなでると細い細い何本もの平行線が描かれる。ちょうど栗の木の板の上で猫が眠り始めたので、その筆を使ってちょっと描いてみる。これは便利だ。例えば動物の毛並みを表現するときなんかに使える。画材屋でこういうタイプの筆を見たことはあったけれど手には取ってみないでいた。使ってみるとこれがないともう描けないかもしれない。朝、ナスと椎茸を塩こしょうで焼いただけのごはんを食べる。トイレに行き、二人して二階へ行き着替える。僕はいつもの白い長そでのシャツと緑色の長ズボンにした。ズボンはもともと美香ちゃんのものだったのだけれど、白いペンキが大胆についてしまったので、最近は外へ行く時には僕しか履かない。一階へ降り、廊下に転がっている色々なものを飛び越えながら風呂場前の脱衣所へむかい、皮ベルトを拾い上げる。8時ごろに家を出て、ゆず商品を配達しながら一日中市内のあちこちを運転して回る。車内では満島ひかりのオールナイトニッポンゴールドを聴いていた。これまで、配達の時には音楽を聴いていることが多かったけれど、僕は何かしらの会話というか言葉というかそういうのの方がすきだなと思う。いつもの配達では、朝、僕が配達する商品を用意し、美香ちゃんがラベルやらその日にやるべきことを確認したりするという分担で準備するのだけれど、その日はその逆で準備したら、ラベルを一種類印刷し忘れて不動滝から事務所までそれを印刷しに戻ったりなんかしていたらだいぶ時間をロスしてしまった。どうも、必要なものを過不足なく抜け漏れなく準備するというのができない。何度も確認したと思っても、するっと何かしらが抜けてしまう。この「どこどこ」というものを書き始めて2週間くらい経った。いや、そのもととなるスマホのメモから考えると、1か月半くらいが経っている。本当は一つのテキストファイルで切れ目なく文字がならんでいるようなものにしたいなと思ったりしていたのだけれど(実際そういうデータをパソコン内に作成しているけれど)、実際にnoteで公開するときにはあまり文章が多すぎるとアプリが落ちてしまうようなので、日々書いたものを小分けにしてアップしていくという方式に変えてしまった。HPでは全文が連結された完全版が読めるようになっている。noteで公開するときに、初めのうちタイトルを「2021.6.18」みたいな感じで、書いた日の日付にしていたのだけれど、それは僕の書きたかったものとはちがうよなと思い始めたので、その日書いた文章の中の適当な1フレーズを抜き出してタイトルにすることにした。例えばこれまでのだとこんな感じ。「タルト生地がぼろぼろくずれるのは」「住宅街を抜けて」「ズッキーニはナスみたいな」なんとなく日付を書いておくよりもいいんじゃないかなという気がした。朝、起きると何かが違うと感じた。何が違うのだろう。寝息、寝息、隣で眠る妻の静かな寝息が部屋中に充満している。そこに空腹な猫が割り込んできて、室内の均衡を破る。ふにゃあぁーーーーと長く鳴き朝食を要求する。朝4時半。まだ早すぎるよ、と猫の額を軽くなぜ、男は布団の上でごろんと回転し、天井を見上げる。時間は早いがもう明るくなり始めている。いつもと同じだ。けどなにかがおかしい気がする。なんだろうか、と考えをめぐらすけれど、男にはそれが何なのかわからなかった。もしかしたら、いつもと違うのは自分自身なのではないかと思い始め、男は寝返りを打ち、布団に入ったまま首をぐるりと回してみる。目をパチパチと開閉してみる。なんだろうか、別に変わったところはない。熱もないし、取り立てて体がだるいというわけでもない。天井を見上げ、しばらく何も考えず、目を閉じてみる。深呼吸をする。猫はあきらめて何処かへ行き、部屋にはまた例の一定間隔の寝息が充ちている。なんだろうか、このいつもと違うという感覚は考えるのだけれど、結局、その原因を見つけ出せないまま、再び男は眠りに落ちていく。6時半。携帯にかけておいたアラームが鳴る。それを聞き、猫も飛び上がってすかさず鳴き始める。長い、長い、長い鳴き声だ。男は起き上がり、階段を下りていく。猫が後から追いかけてきて、そして抜き去って階段を下りて行った。小さなお尻がふるふると揺れている。途中、男が立ち止まっていることに気づいた猫は、お尻をこちらに向けたまま上階の方を見上げ。、目をくりくりさせながら、みゃあ…と今度は短く鳴いた。キッチンスケールに猫の皿を置き、そこへいつもの餌をはかり入れる。はかっているそばから猫が顔を近づけてきて食べ始めようとするので、男は手で払いながら、ちょっと待って、まてって、とつぶやいた。すると猫はちょっとだけ皿から距離を開け、おとなしく座り直し、パラパラと皿に盛られていく粒たちを眺めている。濃い、かつおだしのような匂いが男の鼻を刺激した。その刺激は同じように猫の鼻にも届いたらしく、急にそわそわし始める。我慢できない、というような感じで立ち上がり、あたりをうろうろし始める。ちょっと勢いよく盛りすぎて、多めに皿に乗ってしまった。余計な分を男が袋にもどしていると、たまらず猫は「おい、何をもたもたしてるにゃ」とでもいうような感じで大きめの声で、長めに鳴いた。はかり終え、皿を持ち居間へ移動すると猫も一緒についてくる。いつもと同じだ。毎朝のこと。今朝のは気のせいだったか、あるいは、そう感じたことそれ自体も夢だったのかもしれない。男はそう思い始める。電気ポットに水を入れスイッチを入れる。スイッチがオレンジ色に光り、ゥゥゥゥゥ…と小さな音を立て始める。そう、いつも通りだ。ふと、ダイニングテーブルの上にぶら下がったランプシェードに目が行く。あれ、これは・・・。男は混乱する。違う。いつもと違う。男は今度は明確にそう感じた。ちょっと違う気がする、なんてものではない。昨日の晩まで、そこにはイケアで買った「BÖJA」がぶら下がっていたじゃないか!。妻と二人、ここへ越してきたときに買った竹で編んだランプ、それがない。男は胸のあたりがきゅっと締まるのを感じた。鼓動が早い。代わりにそこにあったのは、たぶんそれもイケアのものと思われる、黒いスチール製のモダンな感じのする照明だった。変えたのだろうか、相談もなく?、だいたい昨日の晩はBÖJAがぶら下がっていたじゃないか。本当だろうか、本当に昨日の晩、食卓にはBÖJAがあったのだろうか、疑い始めるとなんだか記憶があいまいな気がしてくる。考えてみると、食卓の上のライトをまじまじと見たわけでもない。改めてその食卓を眺めてみると、なんだかすごく自然な感じというか、馴染んでいる、という感覚があった。ライトに触れてみると、傘には薄くほこりが積もっている。いつからここにぶら下がっているのだろう。いや、でもさすがに変わればすぐ気づくのではないか、いや、電球の色が変わらなければあるいは――そんな断片的な思考が頭の中でまるでラムネの泡みたいに膨らんだ。泡はまとまり、瓶からあふれそうになった瞬間、「おはよう」と後ろから声がした。男はプールで溺れているのを引き上げられたような感じがした。思考の沼から引き揚げられたのだ。「どうしたの?ぼうっと立って」妻はそういい、お湯が沸いたみたい、コーヒーいれる?と続けた。「ねぇ、このライト」男はそこで言葉を区切り、長めの息継ぎをした。「いつからこれだっけ?」なるべく、平静をたもった感じで、何でもないようなこと聞くみたいな感じで男は聞いてみた。妻は笑い、いつって・・・ここへ来たときからでしょう?二人でイケアに買いに行ったじゃない….だから5年くらいになるね。バクバクと心臓が鳴る。男はなんて答えたらいいかわからず、ただひとこと、うん。とだけやっと発声できた。男の歯切れの悪い会話の感じから、何かを感じ取ったらしい妻は、どうしたの?と再び言って、心配そうな顔で男の顔を覗き込んだ。「うん」男はまたそう繰り返した。釈然としないまま、男は朝食を摂り、コーヒーを飲んで歯を磨き、着替える。ネクタイを締めて会社へ向かう。出かけ際、妻が見送りにくる。いつもと同じだ。そこにいるのは、男の愛した女であって、猫もかわいがっている奴だ。いつもと変わらない。おかしいのは僕なんだろうか。やっぱり釈然としないまま、男は家を出た。駅へ向かう道中、男はこの街にあふれている「変化」ということにとらわれてしまっていた。まるでディズニーランドへいって、隠れミッキーを探していると、園内の色々なものがミッキーマウスに見えてきてしまうような感じに似ている。あの看板が変わった、あの工事が終わった、いつも同じ車両に乗っているあの人がいない、車掌の声が違う気がする。そんな風にいつもと違う何かを探してみたのだけれど、どれも男には都合よく見つけ出した変化でしかないということはわかっていた。しかし、あのランプはどうしたものだろう。男は一日、もんもんとした時間を過ごした。振り返ってみると、男にとっての見込みがたい変化というのは今朝がたの食卓の照明器具一点であった。どうしても、受け入れられない。なぜだ。なんであれがぶら下がっているのだろう。自分の勘違いだろうか。もともと、あれがかかっていたのだろうか、いや、そんな筈は・・・・。こんな考えが頭のなかをぐるぐる渦巻いた。考えないようにしようと努めたが、ハムスターが滑車を回ってしまうように、水が低い所に流れていくように、眠る前にどこかへ行っていた猫が気づいたときには足元で寝息を立てているように、自然と考えは食卓の照明器具に至ってしまうのだった。男には今日という一日が永遠に続くかのように長く感じられた。時計を見るとまだ2時間と経っていない。とてもじゃないけれど、仕事になんて集中できなかったので、男は具合が悪いと申告し、早退した。幸い今日はそれほど予定が詰まってはいない。男は駅へ向かう。ビルの間を歩いて抜け、歩道橋を渡る。いつもと変わらない風景だ。駅前にはコンビニ、牛丼屋、ハンバーガーショップ、交番があり、喫煙所がある。でも、考えてみれば、こんな時間帯のこの場所の風景を眺めたことはほとんどないということに気が付いた。人の流れが朝のラッシュ時と比べるとだいぶ穏やかだ。男は改札を抜け、電車に乗り込むなんとなく、家に帰る気がしなかったの自宅とは反対方向の千葉行きの電車に乗る。秋葉原で山手線に乗り換え、上野で降りた。平日でも上野公園には人がいて、なにか休日めいた雰囲気がある。美術館には行列ができている。レンブラントが来ているらしい。男は文化会館のカフェでコーヒーを一杯飲み、動物園まで歩いた。一日のんびりと過ごした。絵をかき、文章をかき、本を読んで過ごした。先日ゆずの木に付いていたのを生け捕りにして飼っていたあおむしは、今朝がた見たときにはまだ蛹だったのに、昼すぎ、いや夕方になっていただろうか、ふと気が付くと、羽化して、立派な蝶々に変身していた。薄い羽、細やかな模様の入った薄い羽が紙細工のようで美しい。芋虫から、蛹、そして蝶という劇的な三段変化。知識として知ってはいたけれど、蝶という虫はなんて鮮やかに、軽やかに、軽薄ともいえるくらいに軽々と、何の後腐れもなく変容するのだろう。ちょっとした感動である。そして外に放つ。ひらひらと雨の中を舞い上がり、そして見えなくなった。昼寝をし、買い物に出かけた。帰ってくると、注文していた草刈り機のヘッド部分が届いていた。明日、付け替えてみることにする。レタスとハムの炒めものと、間引き人参のスープを夜ごはんとして食べた。今回、にんじんは初挑戦だけど、なんかうまく育ちそうな気配がしている。品種の問題なのかわからないけれど、普段スーパーで買う人参と比べるとセリのような香りが強い。美香ちゃんは香りのする系の草があまり得意ではないので、次回はもう少し品種を調べてそういう香りの少ないものを育てられたらいいなと思う。肥料もなにも上げずに草むしりもほとんどしないで育っているので、たぶん自然農にちかい様な環境で育ったといえるんだろうけど、そういう環境で育ったにんじんは味が濃い、というような話を聞いたことがあるので、もしかしたら、あのセリみたいな香り、というか味というのがもしかしたら人参本来の味であり、香りなのかもしれない。安部公房の「密会」を読み終わり、トーベ・ヤンソンの「誠実な詐欺師」を読み始めた。「密会」はすごい小説だ。なんていうか、安部公房の中でも、かなり癖が強いというか、えぐい話になっていて、消化しきれない、という感じ。猫の絵をかく。生き物だから、と緊張せず、建築物を描くときと同じように、おちついて、じっくり観察して、おでこと顎の先を何対何で分割して、縦と横の比率はどうで、目鼻はどの位置で、ということを冷静に着実にやっていけばそれなりにかけるということも今日わかった。使わずに放置してあった、ケイカル板に黒板スプレーを吹き付け、枠をつけてクロッキーの練習用の黒板を作った。さっき久々にインスタを投稿した。つぐはるを書いたスケッチのうまくかけたな、という感じの下一枚をアップした。投稿にはこんな文章をつけた。「久しぶりに紙を買い、絵の具を買い、筆を買って、このごろはどうした訳か絵を描く日々です。特に生き物を描くのが楽しくて、毎日、飼い猫をモデルに何枚もスケッチしています。2次元的な製作がはかどる一方で、木工の方はというと、正直に言ってあまり時間をかけていません。でも木工から離れているという感覚はなく、むしろ自分がやりたいと思える木でのものづくりに近づいているという感覚さえあります。もしかしたら、ここ一年くらいずっと興味があった木彫への道が開けてきているということかもしれません。」恵那に引っ越してきてから、一年半、ずっと暮らしの道具をということで製作をつづけてきていたけれど、とういうものを正直、僕たちが作ってうることの意味が正直あんましよくわからなくなってきたので、正しい方向に進み始めたということなんだろうか。自分たちで使う道具を作ることは楽しいし、喜びであるのだけれど、それを販売するくらいなら、もう買い手自身が、自分たちで作ればいいんじゃないかな、なんていう風に思ったりもしている。そういうこともあっての木工キットだったりもする。パンが焼けた。様子を見にいき、追加で3分焼くことにした。ひとつつまみ食いしたけど、おいしい。卵を表面に塗って焼くとどんな感じになるのかが分かった。この頃の絵を描きたいという欲求は、きっと準備体操のようなものなんじゃないかなという風な感覚が僕の中にある。何に向けての準備なのか、というとそれは、きっと木彫の世界に入っていくためのものなんじゃないかなと思われる。描けないものはたぶん削りだすことができない。昨年の夏、そう、今からちょうど一年くらい前、ほんの遊びで、桜の木を削りだしてカタツムリの置物を作ったのだけれど、それが意外と周りの人々から褒めてもらえていて、自分でもそういうものを作るのは楽しいなという風に感じていたのだけれど、なんとなく、そういうものづくりに向き合う気分になかなかなれず、木彫っていいなと思いながらも、そういう制作に時間を割かないで一年が過ぎてしまった。なをやから、またAIのデータセットをつくるアルバイトをしないかと誘われたのだけれど、断った。いままでの僕だったら、目先の金に釣られてやるよーと気軽に受けてしまって、自分のやりたいことに時間をさけなくなってしまっていただろうと思う。そうやっていろんなときに声をかけてもらえるのはとてもうれしいのだけれど、今の僕に必要なのは、お金よりもやりたいと思うことをやるための時間だ。行動の選択を間違ってはいけない。それほどやりたいと思わないことに時間を使わないようになってきたのは良い兆候ではないかと思う。ジャガイモを掘り、田んぼの転がしをした。ジャガイモ畑には蚊がプンプンと飛び回っていて、体中の至るところを刺された。全部掘り起こしてもバケツ一杯分だった。全体的に小ぶりである。大した世話をしていないので、欲張ったことは言えないけれど、欲を言えばもう少し量がとれたらな、という感じ。来年はちゃんと土壌のPHとか調整したり、肥料もちゃんとあげてみようかと話した。結局、今日も草刈りをしなかった。明日必ず。ジャガイモを掘り終え、一度家に帰る。ジャガイモの重さをはかってみると、だいたい7キロくらいだった。蚊に刺された箇所に梅酢を塗り、今度は田んぼへ向かう。あんなに小さかった苗もだんだん大きくなってきている。一部だけ植えた頂き物の苗の成長と比べてもそれほど遜色はない。このまま順調に大きくなってほしい。上の田んぼも下の田んぼも南北方向にだけ一回ずつ転がした。田んぼの底には苔が生え、雑草もかなり生えていた。オタマジャクシが少しだけ泳いでいた。泥に匂いがあまりよくない。田植えしてから3週間くらい経ったけど、これが初めての転がしだ。本当はもう少し早くやるべだったのだろうけど、あんまり苗が小さいということもあって、しばらくやらなかった。吉と出るか凶と出るかはわからない。昨日作った黒板で30分ほどクロッキーをした。自分の手を描いたが、結構難しい。黒板なので何度でも気軽に気楽に描けるので、作ってよかったと思う。毎日少しでもクロッキーすることにしたい。習慣にするのがいいんだろうと思う。木彫も始めた。以前材木屋さんで買って、たいして使わないまま置いていたヒノキの塊をノミで斫っていく。作業机に木塊を固定できるように全ねじボルトとナットでクランプのようなものを自作した。改良の余地はあるけれど、いまのところ不都合はない。さて、何を作ったものだろう。木の塊を前にすると。僕は困ってしまう。何を作ろうか。どうしようか、ノミを手に持ったまま、どうすることもできなくなってしまうのだ。それが僕が木彫に興味を持っていながら作り始められないでいた主な理由だった。でも最近の僕のやっていることを援用するだけでいい。つまり、とにかく彫ればいいのだ、ということを思い出し、とりあえず、ノミで削っていく。何を作っているのか、自分でもよくわからないけれど、とにかくノミを叩いて、形を探っていく。ノミ跡があまりきれいではない。ノミの研ぎが甘いのだろうか。ドンドン、ガンガン、削り進める。何か具体的なイメージを彫り進めたわけではないので、自然、出来上がってくるものも何ら具体的なものではない。ただ、形の面白さ、曲線のきれいさみたいなものを味わうような抽象的なものになればいいなと思う。慣れない作業だからか、すぐにノミを持っている左手の手首が痛くなってくる。これも習慣化することが有効だと思う。抽象彫刻だから、終わりが明確ではないけれど、毎日1時間くらい削ってみようかなと思う。それで1週間後にできていた形を完成という風に決めておこうかなと思う。具象的な作品を作れるようになるのはもう少し時間がかかると思う。しばらくは木を彫り進める感触自体をたのしみつつ、1週間に1体何かしらの作品としてまとめることを続けていこうと思う。絵の方は引き続き身の周りのものを描き続けることにする。田んぼのなかにガラス片が落ちていて、足の裏をすこーしだけ傷つけた。気を付けた方がいい。夜ごはんに、さっそくとってきたジャガイモを使った。鶏肉とジャガイモで肉じゃが的なものを作った。美味。昨日、割と遅くまで起きていたので、朝に更新できなかったので、夜に書き進め、更新する。今日はずいぶん昼寝をした気がする。大したことを書いていないけれど(いつものことだけれど)、日々の目標である10枚に達したらしいので、今日はこれにて。9時半に布団に入り、目が覚めたのは2時だった。気が付くと、足元の床で猫がちょこんと姿勢正しく座っている。飲みかけの炭酸水の残りを飲む。川の音がする。いつもと同じ音だ。猫がトイレに行き、小水をした。そろそろトイレ砂を変えてやりたい。そのあと、足元の方へ寄ってきて、ミャウ、と目をくりくりさせながら鳴く。何を伝えたいのかわからない。机の上に飛びあがり、画面をふさぐ。おなかがすいたのだろうか、餌の袋をバリバリをやり始める。仕方ないので1グラムだけ、ほんの数粒だけご飯皿にのせてやり袋を台所へ隠す。朝、目が覚めると商品が2セット売れていた。もうナイフの残りが少ないのだけれど、あいかわらず三木章からは何の連絡もない。小学校から帰ってきて、玄関先のシロツメグサの花を摘んできた。片手で握りしめられるくらいの量だ。それを水でざっと洗ってから瓶に放りこんだ。ちょっとだけ甘いような香りがする。そしてその瓶を水で満たして窓辺のちょっとだけ暖かそうな場所に置いておいた。3、4日が経って、おもいだしたころに見てみると、瓶の中の水は白く濁り、水面に小さな泡が出ている。開けるとぷしゅっと空気の抜ける音がする。匂いは、何とも言えない、甘いような苦いような不思議な香りだ。ちょっとお酒のようでもある。もうよさそうだな、そう思って、また別の煮沸消毒した瓶を用意する。そこへその液体と小麦粉とを1:1の割合で入れ、ゴムベラを使ってよく混ぜる。どうなるかはわからない。成功なのか失敗なのか、はたまたどちらでもないのか、でもまぁ、いい。これは実験。蓋を閉め、また、例の、ちょっと日当たりのいい場所に置いておく。じゃがバターを食べた。新じゃがの味噌かんぷらも作った。夜ごはんは味噌かんぷらの残りの甘い味噌を隠し味として入れたカレーを食べた。ナスがおいしい。少し食べすぎる。カレーを作ると調子に乗っていつも食べすぎてしまう。何枚か絵を描いた。一枚は以前撮ったつぐはるの写真をみながら描いた。描いていると猫が近寄ってきたので、7、8枚、実際のつぐはるを見ながら描いた。実物を見ながら描いた最初の一枚がすごくよく描けたと自分では思う。このごろ、布団に入って目をつむると、何かの絵らしき像が瞼の裏側に張り付いて見えることがある。どこかで見たことのあるような絵な気もするし、そうでない気もする。今日見た絵は、ピンク色の背景、に女性の横顔が抽象化された線画で描かれた絵だった。ピンクというよりも、くすんだ紫色だろうか。そういう絵。この間は、すし屋のカウンターのようなものがある室内。そのカウンターの向こうに白い板前さんの服を着たタコが二人(?)並んでいて、席には客が一人、店の床にはマンホールのような穴が一つ空いていて、そこからタコの足が出ている。全体的に淡い色調。パステル調といってもいいかもしれない。明度の高い、黄色、緑、紫が印象的。このあいだ、高校時代の友人が死んだ。美術部で仲のよかった奴だ。絵がうまくて、卒業後、一浪して美大に行った。卒業してから、特に連絡を取っていなかったのだけれど、この間、訃報のお知らせが回ってきた。どうして死んだのか、どのように死んだのか、僕は全然知らない。どうして急にこんなことを書き始めるのか、自分でもよくわからない。もしかしたら、瞼の裏側に張り付いていたのは、彼の絵なのかもしれないなんてことを思ったりしたのだろうか。僕の知っている彼の絵とは少し違うような気がするけれど、どうなんだろう。訃報を聞いて、彼の名前をグーグルで検索してみた。色調は明るく、形はあいまいに解体されていた。その絵のイメージに近いのかもしれないと思えてきた。特に2枚目はそんなイメージの絵のような気がしてきた。たぶんそれは大きめの油絵だ。F30くらいの絵。いつか描いてみようか。下絵だけでも残しておこうか。描きはじめ、いや、もしかしたらこの文章が残っていればいいような気がする。これで十分ではないかと思い、描くのをやめた。チケットを買い、ゲートをくぐる。ぷらぷらとあてもなく歩く。しばらく歩き回って、気が付くと男の目の前にはライオンがいた。ふてくされたような顔で伏せている。たてがみはほつれた布切れのようで少し汚れているような感じだった。時折、その長いしっぽをふわっと宙に持ち上げる。最頂点で一瞬とまったかのように感じた直後、すぐに重力を思いだして、再びぺたりと地面に戻る。ライオンは時折そんなことを退屈そうに繰り返している。男はそれを眺める。びっくりするくらいなんの感情も湧いてこないということに男は戸惑う。しかしその一瞬の戸惑いも、コップ一杯の水の中に醤油を一滴たらしたようにゆらゆらと揺らめきながら男の頭から通り過ぎていく。「今朝の」はいったい何だったのだろう。そして思考は再び今朝のランプシェードへ戻っていく。ペタン、ライオンのしっぽが強めに地面を叩いた。男が反射的に一瞬注意をそちらへ向けると、ライオンと目が合った。その瞳は澄み切っていて、何の迷いもない様だった。そうだ、まず状況を整理しよう。男は少しだけ冷静さを取り戻したような気がした。朝起きると、ランプシェードが変わっていた。それで、、、、それで?と男は思考をさらに進めようとしたが、そのあとには何の考えも続かなかった。朝、目が覚めるとランプシェードが思っていたものと違っていた。それだけ。考えてみれば、それだけのことだ。いやしかし、いやしかし、何かがおかしいだろう。照明器具なんて、どんなものだって大差ないさ、と飲み込んでしまうことは男にはできなかった。いつから?妻は「はじめから」と言っていた。「はじめから?」いやいや、俺は確かにBÖJAを選んだはずだ、あの日、あの時イケアの店内で。さて、どういう話なんだろうか、これは。またしばらくライオンを眺め、そして、そうだ、と思い立って携帯電話を開き、クラウド上に保存されている過去の写真をさかのぼり始める。けれど、どれだけさかのぼってもそれは見つからない。ダイニングの照明が映りこんだ写真は一向に見当たらない。結局、そのまま、そこに保存されている写真の最初の一枚までたどり着いてしまう。それは海の写真だった。まだ沼津に住んでいたころの、漁港を撮った一枚だ。僕はそこから一枚一枚、もっと注意深く、慎重を期して写真をチェックしながら現在に向かってチェックしていくことにした。(主人公を男、という風にして、書いていたけれど、慣れていないからかやっぱり少し書きづらいので、ぼくという一人称で書いていくことにしようかなと思う。)その作業を始めてすぐ、僕は自分の心が凪いでくるのを感じだ。過去を見返し、こんなこともあった、あんなこともあったと思い返していると、心が穏やかになってくる気がした。ライオンは立ち上がって、伸びをし、檻の中をくるくる回り始めた。猫だな、僕はそう思う。写真を順にみていく。動物園。上野だ。桜が咲いている。イギリスに行ったときの写真。ロイズ・オブ・ロンドンのメタリックな外観の写真が出てくる。そして大英博物館。さらに順を追って写真を見ていく。大学の卒業式。入社式、日々の生活の記録。池袋のペンギンがいるバー、亀、新宿で見た映画のポスター…。しばらく更新できなかった。毎日少しずつは書いていたのだけれど、なかなか書き進められなかった。とりあえず10枚、という目標はどうしたのか。なんでもいいから内容はなんでもいいからとにかく書くということを忘れてはいけないと思う。すくなくとも朝のこの時間は。頭を悩ませて書く創作は、別の時間を設ければいい。更新しないの?と美香ちゃんに言われた。なにをカッコつけていい文章にしてから公開しようとしてるの?と。こんな文章の更新を待っているとのこと。それはとてもうれしい。全部読んでなくてもいいから更新を待ってくれる存在がいる。それだけで書く意味がある。彼女は僕のたった一人の読者。猫に起こされ、目が覚めた。ご飯をいつもの半分だけあげる。昨日はあまりよく寝られなくて、なんとなくぼーっとして、動けなかったので、少しだけペンレストの材料の切り出しをした後、布団の中で過ごした。光に包まれて眠るのは嫌いじゃない。何か夢をみた。思い出せないけど。携帯を開くと絵が売れていた。あのパソコンが壊れた日、パソコンの画面とにらめっこして美香ちゃんが過ごした1日に描いた絵。「仕事」というタイトルをつけて販売していたのだけれど、それが売れた。1000円分の商品が売れました、となっていたので、何かなと思ったら絵だった。うれしい。絵が売れるのはうれしい。前に長野でマーケットに出店していろんなものを売った時にも絵が売れた。スプーンとか小皿も買ってもらえた時も、それはもちろんうれしいのだけれど、絵が売れたときはそれとは違う感覚がある。描き続けよう、そういう気持ちになる。いや、それはなんか違う気がする。なんだろう。気持ちを決まった型の言葉の中に押し込めているような感じがする。なんていうか、認められたんだなっていう感じ。その買ってくれた人がどういう気持ちで買ってくれたのかはわからないけれど、その創作物に対してお金を払ってくれた、というのは、なんていうか、僕の中では認められたんだなって感じがする。それはたぶん絵にはそんなに明確な機能というものがなくて、ただ存在するだけでしかないからじゃないかなという気がする。ただ存在している。そういうものの存在を認めているという風に感じる瞬間だ。なにかの役に立つわけではないけど、そこに在る。そういうものを生み出して、その存在の価値をちゃんとわかってくれる人がいるのなら、僕は作り続けられる気がする。僕の感覚だと、あのページで今売っている絵の中で、あの絵はそれほどよく描けたものではないような気がするのだけれど、なぜあの絵が選ばれたのだろう。そういう選択の差みたいなものは面白いと思う。僕と美香ちゃんは結構選択の癖のようなものが似ていると感じる。二人でいると、なかなかそのことに気が付けなくなってしまう気がする。蛍光色の車とかは絶対買わないし、あとはなんだろう、具体的にはすぐに思いつけないけど、誰が買うんだろう、というようなものが、世の中ではいろいろ売られてるような気がする。きっと売れるから売っているんだろう。そういう当たり前のことを忘れてしまう時がある気がする。無意識のうちに、なにか普通のようなものを作りだしてしまう。そういう風に思う時がある。それをあまり押し付けないようにしようとは思うのだけれど、無意識のうちにそういう風になってしまう時というのが、きっと人には誰しもあって、まぁ、この話はそうならないように気をつけようね、という所にしか着地しないわけだけど、なんか今、そういうことが頭をよぎったので書いておくことにしようかなと思う。ポケモンに例えると僕はヌマクローなんだそうだ。なんか見たことあるような、ないような種類のポケモンだったけど、確かに似ているような感じはある。だいぶ初めのうちからそう思っていたらしい。僕は美香ちゃんのことを「ムチュール」だと思っていた。僕はポケモンの名前があまりわからないのだけれど、テレビで時々ポケモンが流れていたからか、姿形だけわかるポケモンが結構いる。ムチュールはそのうちの一体だ。名前が思い出せないので、記憶を頼りにメモ帳にスケッチをして美香ちゃんに見せた。伝わらなかったようで、あれ、もしかしてこいつはポケモンじゃないのかは?とか思い始めたのだけれど、いろいろ調べて、結果「ムチュール」だと判明した。そうわかってから絵を見ると、確かにそれはムチュールのようなそうでないような絵だった。小学校へは夕方いった。気づいたらもう12枚になっているらしい。後でどこかで切り分けて更新することにして今日はまだ書けそうなので書き続ける。まだ工事は続いている。床の材質は全部のトイレ変更になるらしい。それに伴って掃除の方法が変わるらしい。どんな風にやるのがいいと思うか、といろんな人に別々のタイミングで聞かれた。帰りがけにコンビニのポストに絵を投函した。車を走らせていると、雨が降ってきた。笠置峡のところの風景が見たことないような雰囲気になっていたので、車を停め、写真を撮った。いい写真が撮れた。釣りをしている人がいる。光がカーテン状になって水面に降りている。明るい感じがするけれど、雨が降っている。ついさっき、その写真をツイッターにアップしたのだけど、その投稿には誤字があった。雨がふると書きたかったのに雨がるるになってしまった。雨がるる。なんかかわいい音の響きだ。雨がるる。るるる。るるん、雨がるる。ふる雨るるる。雨がるる。スプーンのキットを買ってくれた人が、完成品の様子をツイッターに投稿してくれていた。いい感じにできている。また買ってくれるとのこと。楽しみだ。木の表面が黒っぽい字がしたのが気になる。刃物に触れて変色したのだろうか。ペーパーをあまりかけなかったのだろうか。あとで、どうにかして伝えられたらいいなと思う。まだ生っぽい栗の木だったから、しっかり乾燥させてから、やすりをかけるときれいになるよと。そういうことが何も言わなくても伝わるようなテキストにしたいところだ。家に帰ってきて、絵の具と紙を注文した。あと、モデリングペーストを頼んでみた。キャンバス布を実家からもってきているので、それを張って、少し大きめのアクリルの絵も描きたいなと思っている。あとは額縁も作りたい。それをどういう風に一日の中で、あるいは1週間の中で配分するか、考えどころである。昨日は木彫はやらなかった。代わりにペンレストの切り出しを少しだけやった。スプーンキットの材料もぼちぼち切り出さないといけない。今日は少しそれをやっておこうかなと思う。彼女が最近引きこもっているののには何か理由があるのだろう。それに薄々とは気が付いていたのだけれど、あまりちゃんと話さないでいた。それについて話した。人にあまり会いたくない。電話にも出たくない。そうして引きこもっていると、そのことに後ろめたさを感じてしまって、いっそう引きこもりが加速する。そういう悪循環。そういうこころの動きはよくわかるような気がする。そんなの気にしなくていいんだと、思い込もうとしてもあまり意味はなく、そう思えればいいんだけど、なかなかそうは思えないものだ。人にどう思われてもいいから、好きに生きたらいい。そういう風に思っているの筈なのだけれど、その通りに生きていくのは結構難しい。自意識が過剰なんだろうか。ほんとうは誰も僕らに対して大した感情は抱いていなくて、別にどうってことのないことなのだろうか、よくわからない。いろいろと先延ばしにしてきたことがある。オーディオも作っていないし、稲の苗も借りたまま。店をもうやらないということもまだ伝えていない。なんか面倒なことを先のばしにしてしまうのをやめたい。できないことを引き受けるのもやめたい。どうせ途中でやりたくなくなるのだから、分たちだけでやりたいことを形にしていくのがいい。頼まれごとは基本断る。そういう風に生きられたらいいなと思う。期待に応えようとしないこと。そしてそもそも期待されないようなふるまいをするということ。どうなんだろう。期待できない人と思われたらそれもまた生きづらいのだろうか。たぶんそうなんだろうなという気がする。美香ちゃんは今日金髪にしてくるんだそうだ。これで16枚。ちょっと長いけど、ひとつながりの記事として公開することにする。ビワの実を拾った。小学校の角の所に1本の小さな木が生えていて、それが実をつけていたのだ。ずっと何の木かな?とは思っていたのだけれど、ふと気が付いた時には淡いオレンジ色をした実をつけていた。そうか、こればビワの木だったのか、と僕は眺める。木自体は小さいのだけれど、たくさんの実をつけている。そして僕は木の根元のあたりを見渡し、地面に転がっている実を3粒拾った。表面の短い産毛がの猫の額のところの毛のように柔らかだった。甘いような香りがする。何のために拾ったのかというと、食べるためではない。種を取り出して庭に植えてみるのだ。美香ちゃんがビワを食べたいとこの間いっていたので、庭に植えて、毎年食べられるようにしてやろうと思ったのだ。皮をむいて、いたんでいなそうな場所をちょびっとだけ齧ってみる。まだ未熟なような感じがしたけれど、それは確かにビワだった。実をほじくると中から小豆のような赤茶色の種が出てきた。梅の種みたいなのを想像していたけれど、思っていたよりも小さな種だった。ビワを最後に食べたのはいつだろう。カップにさらしを敷き、種を置いて、種が半分つかるくらいまで水をいれる。こうしておくと芽が出るらしい。芽がでたら植え替えて、8~10年したら実が採れるようになるらしい。また気の長い楽しみが生まれてしまった。この拾ってきた3粒のビワで10年楽しめる。いや、実をつけたらそのあとも毎年この時期になればビワを楽しめるわけだから、それはもう、一生楽しめることになる。つくづく楽しいことをするのにお金はかからないなという風に思う。去年、梅の種と柚子の種を育苗ポットに入れて、いつ芽がでるのか、まだかまだかと楽しみに待っていたのだけれど、「何を植えているの?」と近所の人たちに聞かれ、梅と柚子、と答えると、それは無理だよと笑っていわれた。何年かかるかしらないの?と。そういわれて、僕は何となく、恥ずかしいような気持になって、植えた種を畑にばらまいてしまった。芽が出てもたぶん、草刈りの時に刈り取られてしまうだろう。今思えば、そんな言葉気にしないで育て続ければいいじゃないかと思うのだけれど、なんとなく、その時はもういいや、みたいな気持ちになってしまった。梅の実はまたいつかチャレンジしたい。きっと芽は出るし、そのうち木になる。無理、というのは何が無理なんだろうと思う。柚子も梅も種からは育たないのだろうか、もう、今の柚子や梅の実には種から増える能力がないのだろうか、じゃあ、種ってなんなんだ。打ち棄てて、しばらくしてそんなことを思う。たぶんそんなことはないだろう。種は殖えるためにあるものだ。ちゃんと条件をそろえれば、芽が出て、育っていくはずだ。自然はしたたかなものだと思う。ちゃんと生き抜く術を自分自身の中に持っている。スーパーやコンビニで売られ、どんなに飼いならされたような風を装っていても、その中に「野生」のようなものを隠し持っている。葉物野菜は種ができる前に大半が収穫されてしまうけれど、それも戦略なのだろう。レタスも白菜もキャベツも絶えることなく、生き延びている。人間の方が利用されているのだ。そういうしたたかさ、野生のようなものはあらゆる自然物の中に身を隠しているのだ、ということが、今の場所に越してきて、畑で野菜を育て、田んぼをやって、猫を飼い、木を削って、料理をしているとわかるようになってきた。野菜もそう。木もそう。稲もそう。その中に荒々しい野生のようなものを隠している。どんなに花がきれいでも、いや、花がきれいであればあるほど、その中にはより凶暴な野生が潜んでいるような気がする。猫もそう。かわいさの中にそういうものが確かにあるように感じるし、人間だってそうだと思う。ビワの木を切り倒したことがある。大きな木だった。会社の寮の裏手に大きなビワの木が生えていて、それが隣地にはみ出してるとかなんとかで、管理が面倒だから切ってしまおうということになり、みんなで切った。あれはたぶん僕の初めての体験だった。木を切り倒すという現場に立ち会った初めての体験だ。どん、と地響きがして、その木の一生が終わった。枝の先にはいくつものオレンジ色の実がついていた。お稲荷さんを作った。結構手間のかかる料理で砂糖をたくさん使う料理だな、と思った。つくり方はこんな感じだ。まず、油揚げの油抜きをする。沸騰したお湯に入れ、強火で10分くらい落し蓋をして煮る。煮汁を捨て、そこに、だしと砂糖を入れてまた8分煮る。この時も落し蓋をする。8分経ったら、しょうゆを入れ、火を弱火にして、また煮る。今度は弱火で30分だ。これもなんて気の長い楽しみなんだろう。だしと砂糖、しょうゆの甘い香りがする。もう、お稲荷さんの香りだ。タイマーをかけ、本を読みながら待つ。匂いが漂ってくる。我慢できなくて煮汁を少しだけなめる。お稲荷さんだ。そこにはお稲荷さんがいる。僕はそう思った。米が炊けた。本当は少し硬めに炊かないといけないらしかったのだけれど、うっかり普通に炊いてしまう。もしかしたら、いつもよりも少しだけ柔らかいくらいだったかもしれない。次につくる時には気をつけないと・・・。ボウルにアツアツのまま取り出し、酢と砂糖を混ぜたものをかける。すぐに扇ぎながらさささっと混ぜて酢飯の完成。さらしをかけて粗熱が取れるのを待つ。そうこうするうちに上げの方もいい感じだ。にじるがだいぶなくなっている。火を止め、こちらも冷めるのを待つ。待っているあいだに、畑に行って水をやる。人参がだいぶ大きくなっている。空心菜ももう少しでいい感じになる。去年のサトイモが変なところから芽を出しているのに気が付いた。揚げを対角線で切り、三角形にして、やぶかないように気を付けながら内側と外側をひっくり返す。何枚か破けたけど、無事に全部開けた。酢飯の方もいい感じ。柚子の果汁をすこしだけ入れ、揚げの煮汁を手に付けて、米をつかみ、一口サイズに丸める。揚げに詰め込む。あまい香り、これは間違いなくおいしい。脳に直接届く感じだ。全部詰めて、完成。破れてしまったのをひとつ味見。おいしい。大好きなやつだ。翌日の昼ごはんに出先で食べようとタッパーに詰めた。今日は朝起きるのが少し遅かったので、目標の10枚には届かなかったけれど、なかなかスムーズにかけた。キーボードをたたくペースがかなり一定で、さて、何を書こうか、と困る時間がほとんどなく、文字を入力し続けた。いい感じだと思う。さて、そろそろ出かける準備をしないといけない。昼ごはんには昨日のお稲荷さんが待っている。ちょうど配達の仕事を終えた頃、雨が降り始めた。短い時間さっと降り、そしてぴたりと過ぎに止んだ。ずっと運転して、疲れたので家帰ってからしばらく昼寝をする。配達の途中で、隣に座っている美香ちゃんが「あ、ビワがなってる」というので、見ると、本当だった。僕らの家の畑なのだけれど、家から遠いので、今年は草刈りしかしていない畑の隅っこに大きなビワの木があった。橙色の実がたくさんなっている。どうして去年気が付かなかったんだろう。昼寝を終え、雨もやんで、日差しが戻っていたので、ビワをもぎに行こう、ということになって、バケツ片手に畑まで歩いていくことになった。遠い、といっても全然歩ける距離だ。散歩がてら歩いていく。それは、先日、小学校の角のどころで見たものよりもだいぶ大きいビワの木だった。樹高はどのくらいだろう、てっぺんまででいうと、5メートルくらいあるだろうか。いやそんなにはないかもしれない。でも大きい。よく熟した橙色のビワの実が一箇所につき5,6個まとまって、それが木全体に明かりを灯すように点々となっていた。手の届くところの実をもいで食べる。甘い。熟していて、実を取るときに触れた他の実が1つ、地面に落ちていった。食べた実からは大きな種が出てきた。この間のビワの種とは全然大きさが違う。たぶん体積的に考えると8倍くらいあると思う。そう、イメージの中にあったビワの種はこんな感じ。と思った。イメージとしてはカシューナッツくらいの大きさだ。手の届くところの実をどんどん取っていく。産毛がふわふわしているものもあれば、実の表面がつるんと、ツルツルしているものもある。この違いはどうして生まれるのだろう。実はとりきれないほどあった。この間、種を育て始めたけど、なんかその必要ないんじゃないかという気がした。これだけとれる木がもうすでにあるとすると・・・。まぁ観察したいので育ててみるけれど笑。手の届く範囲のものを粗方とった。上の方にはまだまだ綺麗そうなのがいっぱい枝先にくっついている。美香ちゃんが木登りをして、それを取ってくることになった。僕が行ってもよかったのだけれど、美香ちゃんがやるきだったので、僕は「落ちないでね・・・」と下でバケツを片手に見守ることにした。その心配とは裏腹にするすると登っていく美香ちゃん。僕は美香ちゃんがもいだ実を受け取りバケツに入れる。上の方のみはきれいだ。ふわふわして、実も大きい。もっと上にいけばまだまだあるったけれど、これ以上取れても困ってしまうんじゃないかと思って、まぁ、適当なところでやめておいた。家に帰って量ったら大体3キロくらいとれたらしい。家に帰ってまた、いくつか生で食べた。おいしい。なんて贅沢なんだろうと思う。この間、ゆずの木も植えたし、畑には栗の木が3本生えている。秋は栗と柚子で十分。あとは春先にブルーベリーとイチゴとかがあれば最高だなと思う。夏にスイカもいいかもしれない。一袋、綺麗そうなのを選んでお隣さんに持って行った。町の草刈りの仕事を代わりにやってほしいと言われ、4000円もらった。家に帰り、ビワジャムを作り始めた。まずは皮むき。これが大変。そして種と種のまわりの薄皮むき、これも大変。そして砂糖をまぶし1時間ほど放置、その間に風呂に入る。風呂から出て、少しして煮詰め始める。まずは果汁だけで煮る。新鮮だったからか灰汁は全然でなかった。すこしトロみがでてきたかなと思ったら火をとめ、果実を入れ、また煮る。根気強く煮込んでいく。昨日今日とどれだけガスを使っただろう。甘い香りがする。実の部分の重さの68%くらい?グラニュー糖を入れた。こげないようにかき混ぜながらコトコト煮込む。途中少し味見をする。種をさっとゆで、種の薄皮も同時に剥いておいた。後で香りづけに使うつもりだ。杏仁みたいな香りがした。どのくらい煮込んでいいのかわからなかったので、調べると、コップ一杯の水にジャムの液を垂らして、その液体の水中での広がり方によって見分けられるということが分かった。試してみるとちょうどいい感じらしかったので、種と、レモン汁がなかったので、柚子の果汁とを入れてまたしばらく煮た。先ほどと同じ方法ですとんと、コップの底までジャムの液が落ちていくまで煮込んだ。火を止め、瓶に入れる。蓋をして逆さにしてテーブルの上に置いておいた。美香ちゃんがジャムと同時に作ってくれていた晩ごはんを食べた。ジャガイモ、エリンギ、お麩、たまねぎ、コジケイのハムの塊、そんなのを昨日のお稲荷さんの煮汁で煮込んだもの。おいしかった。そうそう、配達の途中の昼ごはんとして、昨日作ったおいなりさんを食べたのだけれど、いい感じだった。なんか、運動会みたいだった。お稲荷さんは冷たくなっていたほうがおいしい。保冷剤をもってきて、冷やしておいて正解だった。今度、誕生日に動物園に行こうという話になっているのだけれど、その時にもお稲荷さんをお弁当としてもっていくことにしようと思う。あとは唐揚げとか、だし巻き卵、そのころには庭で育てているプチトマトも食べられるようになっていくことだろうと思う。いっぱい作ってもっていくんだ、と想像すると今からワクワクする。ジャムを作り終え、もう結構今日はくたくた。9時ごろに布団に入る。目覚めると1時半だった。睡眠時間は4時間か、少し短い気もするけれど、ぱっちり目が覚めたので、起きて、この文章を書き始めることにした。眠くなったら昼寝をすればいい。このごろnoteで何人かの人をフォローしてみた。タイムラインに流れてきた人の短い物語を読んだ。その文末に何か小説を書けるアプリ、みたいなのの紹介があって、なんだろうと思ってその解説のページに飛んでみると、どうも、質問項目に回答していくと、物語の大枠的なところが整理される、というもののようだ。ためしに使ってみる。不思議なもので、質問の項目が決まっていると、何やら物語が生まれてくる。なるほど、と思う。物語というのは、場所、状態、転換、結末という4つがそろうと、それらしくなるらしい。まぁ、そんな単純なことでもないのだろうけれど、これもコロンブスの卵かもしれない。これが起承転結っていうやつなんだろうか。起承転結ってあんましよくわからなかったけど、場所があって、そのに誰かがいて、その人は何らかの状態にある。そういうものをまず設定する。そして、その状態というのを何か「スコシフシギ」みたいな感じにしておく。そういう状態を一個設定してしまう。とにかく何かを置いてみる。そこに何かが起こり、決着する。そういう四段階を経ると何か物語らしきものが生まれる。なるほど、システマチックに書くとそういう風に物語というものは作れるらしい。その4段階を何回か繰り返してみたり、入れ子的な構造にしたりすれば長編になるということか。そんなにシステマチックに機械的に話が進むわけではないだろうけれど、そういう風に書いていったらたぶん物語は死んでしまうのだろうけれど、物語を書き始められないでいる僕からしたら、確かにこれは一つの方法としてアリなんじゃないかという気がした。僕にはまず方法が必要なのかもしれない。方法を決め、とにかく量を作る。それはこの文章も同じだ。まず書くということを習慣にしようと思ってかいているこの文章はとにかく書くということを目的にしていて、内容なんて二の次だったりする。それでも、何かしら反応があったり、美香ちゃんが読んでくれていたりする。本当は誰も読まないだろうなと思いながら書いているので、一人読者がいれば十分だ。儲けもん、というやつだろう。このスタイルで僕はいろんなものを生み出していけるだろうと思う。30歳目前でこれに気づいた。たぶんこれから僕の人生はさらに充実していく。作るものの質がどうなるのかはわからないけれど、とにかく、作れる。そういう方法を僕は知ったのだと思う。まずは仕組み、方法、手法、みたいなものを作る。型といってもいいかもしれない。これは何かを僕がやろうとするときの第一歩として、覚えておこう。何かをやろうとして、困ったら、動き始められなかったら型を探す。型を作る。システマチックに作品作りをしていけるような方法、手法を考える。それができたら、それを使ってとにかく量を作る。そうすると、だんだん慣れてきて、もっと違う感じのものも作れるようになる。バリエーションというのは勝手に生まれてくるものだから、僕はとにかく数を作るということに集中すればいい。これが今の僕の知っていることだ。たぶんこれは、僕の人生の手法になりうる型だと思う。まだまだ改良が必要かもしれないけれど、とりあえず、これでやっていく。これならやっていけそうという感じがある。さて、いまは2時41分だ。書き始めて一時間しないで、目標の10枚に到達しようとしている。調子がいい。今日はまだまだ書けそうだ。日が昇ってくるまでにはまだまだ時間があるし、今日は書けるだけ書いてみようかと思う。今日書いていておもうのは、どれだけかけるかは、どれだけ密実した時間を生きているかに依存するということ。今の僕のスキルでは、何もなかったなぁ、という一日を書けない。たぶん能力が上がっていけば、書けるようになるのだろうけれど、今日はいろんなことがあったなぁ、という一日の方が今の僕には断然書きやすい。毎日いろんなことをして過ごすようにしたい。このごろ、オンラインで結構注文をしてもらえていて、本当に本当にうれしい。飛び跳ねるくらいうれしい、というか、本当に飛び跳ねている。4日連続で注文が入っていて、思っていたよりもナイフの減りが早くて、もう右利き用のナイフの在庫がなくなってしまった。追加の注文をしてから2週間くらい経つけど、いつ届くだろうか、明日問い合わせてみようと思う。この調子でいけば、かなりいい感じだ。毎日好きなことをして過ごして、お金にもこまらない、そんな状態を作れるかもしれない、という手ごたえがある。まぁ、ぼちぼちやっていくつもりだ。さっきの4段階の型でちょっとかいてみようと思う。というか携帯で書いたのがあるので、それを整理しながら書き直してみようかなと思う【場所】気が付くとそこは図書館だった。【ちょっと不思議な状況】背表紙に自分の名前が書いてある本がある。中身は白紙。持ち帰って暮らしてみる。日々あったことが記録されるようになる。【何か】本が先行しはじめる。そのとおりに日々が過ぎていく。メッセージが届き、話をしたいといわれる。オンラインで話をする。僕は「彼」と話した。文章を書けと言われる。そして、誰かの名前が背表紙に刻まれた本が届く。それは決定稿だ。パソコンにデータが送られてくる。それは一つの長い長いテキストデータだった。その人の毎日が書かれている。執筆は基本的に自動書記だった。高度に発達したAIが書いているらしい。基本的にはそれを眺めるのが僕の仕事らしい。そして、時々「何か」を起こす。それが仕事だ。報酬が魅力的だったので、引き受けることにする。ということは、主人公は最初の状態でお金に困っている感じにするといいかもしれない。しばらくは眺めていることにする。基本的に何もしなくていいといわれていたし。文字に濃淡があるということがわかる。濃い部分は本に印刷されていく。なるほど、これが決定稿ということの意味だ。とすると薄い部分はまだ起こっていないことだ。そして薄いグレーの文字はまだ編集可能ということになる。一箇所書き換えると、先は変わっていく。例えば、着ていく服を変えると、昼ごはんに食べるものが変わる。僕は少しずつ文章をいじるようになっていく。その因果関係は不思議で、白い服をいせてみたら、昼にカレーを食べなくなった、みたいにわかりやすいものもあれば、朝寝坊をさせたら、○○が変わる、みたいに因果関係が不明なものもあった。〇〇というのはいまちょっと思いつかないので、些末な部分でもあるしいくらでも考え付きそうなのでちょっと仮置きにしておく。ある日、その担当している人の身に「何か」が起こってしまう。濃い黒字の進み具合を考えると、あと何日くらいでそれが起きそうである。どこかの部分を書き換えてそれを回避したい。いろいろ書き換えてみるけれど、結局そこへ至ってしまう。僕は何度も試行錯誤を繰り返す。この辺までで【何か】のパートは終わりにしたい。物語の中にも「何か」が出てくるし、型としての【何か】もあるからわかりにくいけれど、括弧の形で区別したい。【結末】なかなかその本の筋書きを変えられない僕、そこで思い出す。何か相談があればいつでも、と言われていた。なんでそれを思い出さなかったのかというと、僕はその人を信頼していなかったからだ。好意的な感情が沸いてこなかったから、それでも、その人に相談したくなった。それほど困ってしまった。それに対する彼の意見は僕とは全然ちがう。彼は、何度試してもそうなるのだとすれば、それは定めなのだという。定めを変えることはいいことなのか、僕は彼と口論する。自分とは真逆の考えだった。家に帰って執筆をつづける。相談はなんの役にもたたなかった。やっぱり、この問題は自分だけで解決しないといけない。書き換えるべきはもっと前の部分なのだということがわかる。いままでは、ある程度、黒字から離れた部分を編集していた。それは、まだ編集が効くからだという理由だった。もう、黒文字が迫ってきていてその余裕がなくなってくきた。ちょっと状況が好転する。僕は寝ずに書き続ける。ごはんも食べずに書き続ける。黒文字はどんどん迫ってくる。どんどん書くけれど、追いつかれる。そして、僕のかくスピードと黒文字がリンクする。ああ、追い越されると思ったとき、危機を乗り越える。どうやって乗り越えたのかはわからない。けれど、乗り越えたらしい。自動書記はそのまま続く〈完〉の文字はまだ出で来ない。そこで僕は意識を失う。目が覚めると朝だった。彼女の人生に日常が戻ったらしい。寝ていたけれど、危機は脱したようだ。グレー部分が増え、どこまでも続いているようだった。あるところまですすむと、また、処理中、というように小さなわっかがくるくると回っている。【その後の物語】メッセージを受け取る。彼からのメッセージだ。話がしたいという。応じるか迷ったけれど、応じることにする。この世界についての話を「彼」とする。世界は変えられるのだろうか。すべては何者かによって巧みに計算されている。あらかじめ決まっているわけではないけれど、それは、計算の結果最適と答えが出たからそうなっただけであって、奇跡でもなんでもないということ。すべては何かにコントロールされている。作者のネットワーク。彼の正体は僕の作者だった。僕は彼の描いた筋書き通りに動いているに過ぎないし、彼もまた、別の何者かによって動かされているのである。その全貌を知っているのはAIだけ。いや、AI自身もわかってなんていないのかもしてない。それはただ、計算を処理しているに過ぎないのかもしれない。僕はまた、僕の生活を続ける映画を見ながらカップラーメンをすする。しばらくは、執筆活動をしなかった。もう大丈夫だと思ったし、自動筆記に対する考え方も少し変わった。といような感じ。なんか文章が、物語が書けそうな感じがしてきた。この筋に沿って書き始めてみようかなと思う。これはなんなんだろうか、SFなんだろうか。すべてAIによって自動筆記されている世界。自分で選択しているように見えて、実は何者かに選択されている世界。それは現代的な問題かもしれない。何かいい物語が書けるかもしれない。時刻は3時33分だ。16枚描いたらしい。一日に書いた文章量では一番多い日記になった。もはやこれは日記なのかどうかわからないけれど気にしないことにする。でもこれで16枚か。と思う。文字数でいうと6429文字だ。坂口恭平の一日30枚ってすごいなと思う。まぁ書けないこともないような気はするけど、それを続けていけるのはすごい。僕も修業が必要だ。これに続けて、さっきのあらすじをもう少し文学的というか、いい感じの文章につつ書き進めれば、たぶん30枚はいけるんだろうけれど、もう今日はちょっと文章かくのはもういいかなって感じがする。昨日のビワジャムを少し舐めてこようかな。今日はパンを焼こうかなと思う。この間から育て始めた、シロツメクサの酵母もいい感じになってきているので、それをもう少し増やしてそれでも食べてみたいなと思うけど、とりあえず今日はまたイーストのパンを焼くことにする。あと、そうそう、こうやって毎日書き散らした文章の最後に何か定型の文章を付けたらいいんじゃないかなという風に思っていて、それを書こうと思っていたんだった。いま思い出した。今日書いてしまうことにしよう。最後までお読みいただきありがとうございました。今日はここまでです。この文章は「どこどこ」という一連の文章の一部分です。「どこどこ」というのは、毎日毎日、僕が思ったことをなるべくそのままに書き連ねた文章で、どこから読んでもいいし、どこで終えてもいい、というようなコンセプトで書き始めたものです。通称「どこどこ」です。こちらのページで全文が連なったものが読めますので、興味があればぜひ!改行もせず、章立てもせず、とにかく毎朝10枚書くということを日課に続けていきたいと思っています。正直に言うと内容なんてどうでもいいという気持ちでとにかく毎日毎日原稿用紙10枚をコンスタントに書き続けようと思っています。なんで10枚なのかというと、村上春樹が毎日書く文章は一日10枚、小説でもエッセイでも10枚ということを聞いたからです。僕も毎日10枚、とにかく書いてみようかなと思います。朝の1時間か2時間をかけて。意味の通じないところがあったり、書いている内容が全然面白くないということがあるかもしれません。それは当然で、今の僕には内容に興味がないからです。いや、それは言い過ぎかもしれません。いい文章を書きたいと思ってはいます。でも、そういうのは自分の好きな時にかけるというものではないということがこの「どこどこ」というのを書き始めてみて、なんだか最近わかってきたような気がします。僕にできることはとにかく書き続けることであって、その中で時々いいことも書けるかもしれない、という風な感じです。いつか、僕は誰かにとって大切な一冊となるような本を作りたいと思っています。いつかけるかはわかりません。もちろん書けないかもしれません。それでも何かを書き続けてみようかなと思っています。あんまりお金がないので、いろんなアルバイトとか、ちょこちょことした雑用のようなことをしないといけないかもしれませんが、とにかく毎朝の10枚を積み重ねていこうと思います。サポートしてくれたらものすごくうれしいです。時々、だれかが100円でも500円でも支援してくれたらたぶん僕は一生書き続けられると思います。コンビニでジュースを買う100円をぜひ僕に!上品ぶってお金くれといわないでいるとなかなかお金はもらえないということも最近わかってきたので、書いておきます。お金をください笑。そのお金で僕は書き続けたいと思います。あと絵を描いたり、木工をやったりしているので、そっちの製作も文章と同じくらい頑張りたいと思っていて、そうすると自然と時間が足りなくなってきてしまいます。くだらないアルバイトややりたくない仕事はなるべくやりたくないので、お金がもう少しあったらなぁと僕はいつも思って過ごしています。なので、良かったらぜひ、サポートをお願いします。本当に。コンビニでジュース買うくらいなら僕にぜひ。まぁ、半分は冗談なので、あまり本気にせずに!では、また明日書きます。部屋は甘い香りで充ちている。もいできたビワを使ってマフィンを作る。第一弾、もいできたビワの皮をむき、種を取り出してから、刻んで生地に混ぜる。ほのかなビワのあまみ。第二弾、先ほどの生地に先日作ったビワジャムを入れる。よりビワの味を楽しめる。ちゃんと甘くて、僕はこっちが好きだ。第三弾として、プレーンを焼く全部で36個のマフィンができた。自分たち用に取り分けた後、普段お世話になっている方々へのお返しにした。ビワがすごく好き、という方がいたので、もう一回ビワの木に登って摘んできた。猫は窓辺で川の流れを見ている。朝食を食べ終え、気分も落ち着いたらしい。床には何枚もの絵が散乱している。抽象に向かっていて、一日に何枚も生み出している。だんだんと、紙がもったいないような気がしてきたので、紙はA4のただのコピー用紙を使うようにした。これらは一枚500円で売ってみるか、あるいは何かを買ってくれた人におまけ的な感じでつけてもいいかもしれないかななんて思う。最近いろんな所でSUZURIというのを目にするので、僕も描いた絵をアップロードしてグッズみたいにしてみた。結構面白いなと思うけど、ほしい人はたぶんいないだろうなとも思う。自分用に欲しいだけ。借りていた稲の苗トレーを洗って返すつもりだったけど、家にいっぱい余ってるからなにかに使って!と言ってくれたのでありがたく頂戴することにした。子供たちがかわいい。今日は何を書こう。昨日はいろんなことがあったような気もするのだけれど、あんまり書く気にならない。男は空腹だった。気持ち悪くなるくらい。いつから何も食べていないのだろう。水だけはまだ出るのでかろうじて口にしていたが、それだけだった。胃の中はその水で薄まった胃液で満たされて体が重い。とてつもなく強い脱力感でベッドに張り付いたみたいだ。この前筋を考えてみた物語を書きはjめてみたのだけれど、なんか難しい。でも書く。①目が覚めた。枕元で猫が長く鳴く。まだ朝が早いというのに、餌を求めている。男は立ち上がらず、そのまま天井を眺め続ける。おとこは目覚めているのか、それとも自分はまだ浅い浅い眠りのさなかにいるのか分からなかった。今日は何月何日だろう。力が入らない。空腹が過ぎてもう腹が減っているのかどうか、男にはよくわからなかった。仕事をやめた。何日も何日も男はこうして一日を過ごした。急にのどの渇きを感じた。なんとかして立ち上がることができたので、台所で水を一口のんだ。胃の中は薄まった胃液で満たされている。残しておいたビスケットのかけらを齧り、猫に餌をやる。さて、どうしたものだろう。そろそろ働かないと、そう思うのだけれど、そんな気力も体力も自分には残されていないような感じがした。もう手遅れなんだろうか。皿に乗った粒をカリカリと噛んでは飲み込む猫の背中をなでる。猫は食べるのをやめない。舌を使って粒を口の中に運んでいる。男も横から一粒、手で摘まんで食べる。かつおの香りがするが、味はほとんどしない。でも食べないよりはましな気がしたので、猫が一粒食べる度、男も一粒食べた。カリカリ、ぼりぼりという咀嚼音だけで彼らはつながっていた。そして最後の一粒を猫が食べ終えると、部屋には沈黙が訪れた。②目が覚めた。白い。そこは白い部屋だった。天井も壁も、床も、その空間のすべてが白い。男はそう感じた。柔らかな光が光源もなくその空間を満たしている。壁や天井自体が光を発しているように感じた。その白い空間の中に浮かんでいるような感じがして、心地よく、男はしばらくその空間に身を任せていた。。みゃう…耳元で猫が短く声で鳴いた。その声でふっと魂が体の中に戻ってきたような感じがして、それで男はもう少しはっきりとあたりを見渡すことができるようになったのだった。部屋の輪郭がすこしだけくっきりしたような感じがした。男はその白い部屋の床に直接横になっていた。床は硬い材質でできていた。目地は一つもない。長い時間そこで横になって眠っていたというような感覚が男の中にはあったが、体のどこにも痛みを感じない。空腹感もない。死んだのだろうか。猫と一緒に死んだんだろうか。そんな考えが一瞬男の頭をよぎる。空間はどこまでも続いていた。空間は今現在も広がり続けているのかもしれなかった。男は立ち上がる。砂漠に立っているのかと思った。あるいは宇宙空間に放りだされた宇宙飛行士はこんな感じだろうか、と空想した。その白い空間には、無数の小さな黒い点が並んでいた。墓だろうか。男は空間に浮かぶ無数の点に向かって歩き始める。猫も後からついてきた。床は冷たくもなく、温かくもなく、足の裏にはただ物体に触れているという無機質な感覚だけがあった。近づくにつれその点のような物体は一枚の板きれだということが分かってきた。さらに近づくと、それは宙に浮かぶ一台のタブレット端末だった。男が手を伸ばし、指先で画面に触れると、相変わらず黒い画面ではあるが、白い文字が浮かびあがってきた。それは日本語の文章だった。改行も段落わけもせず、それは、ただただ書き連ねられた一連の文章だった。上下にスクロールしても、いつまでもどこまでもその文字が途絶えることはなかった。「・・・・ちょうど配達の仕事を終えた頃、雨が降り始めた。短い時間さっと降り、そしてぴたりと過ぎに止んだ。ずっと運転して、疲れたので家帰ってからしばらく昼寝をする。配達の途中・・・・・」これは日記だろうか。そこにはどこかの誰かの、何の変哲もない日常が記録されていた。一人の人間の暮らしが、細かいような、ざっくりとしたような感じで書き連ねられている。そう、それはまさに日記のような文章。一日の中のある事柄は詳しく述べられているが、暮らしの中にある、当たり前の事柄、例えば、トイレに行ったとか、水を飲んだとか、そういう、暮らしの中にある当たり前の事柄については一切書いてない。程よく省略され、その一日がその一日として完結した一つの物語のような文章だった。それはまさに日記であって、書き手によって、意識的か無意識的かはわからないが確かに編集された一日だった。画面をスクロールして、また別の個所を読む。「・・・・お稲荷さんを作った。結構手間のかかる料理で砂糖をたくさん使う料理だな、と思った。つくり方はこんな感じだ。まず、油揚げの油抜きをする。沸騰したお湯に入れ、強火で10分くらい落し蓋をして煮る。煮汁を捨て、そこに、だしと砂糖を入れてまた8分煮る。この時も落し蓋をする。8分経ったら、しょうゆを入れ、火を弱火にして、また煮る。今度は弱火で30分だ。これもなんて気の長い楽しみなんだろう。だしと砂糖、しょうゆの甘い香りがする。もう、お稲荷さんの香りだ。タイマーをかけ、本を読みながら待つ。匂いが漂ってくる。我慢できなくて煮汁を少しだけなめる。お稲荷さんだ。そこにはお稲荷さんがいる。僕はそう思った。米が炊けた。本当は少し硬めに炊かないといけないらしかったのだけれど、うっかり普通に炊いてしまう。もしかしたら、いつもよりも少しだけ柔らかいくらいだったかもしれない。次につくる時には気をつけないと・・・。ボウルにアツアツのまま取り出し、酢と砂糖を混ぜたものをかける。すぐに扇ぎながらさささっと混ぜて酢飯の完成。さらしをかけて粗熱が取れるのを待つ。そうこうするうちに上げの方もいい感じだ。にじるがだいぶなくなっている。火を止め、こちらも冷めるのを待つ。待っているあいだに、畑に行って水をやる。人参がだいぶ大きくなっている。空心菜ももう少しでいい感じになる。去年のサトイモが変なところから芽を出しているのに気が付いた。揚げを対角線で切り、三角形にして、やぶかないように気を付けながら内側と外側をひっくり返す。何枚か破けたけど、無事に全部開けた。酢飯の方もいい感じ。柚子の果汁をすこしだけ入れ、揚げの煮汁を手に付けて、米をつかみ、一口サイズに丸める。揚げに詰め込む。あまい香り、これは間違いなくおいしい。脳に直接届く感じだ。全部詰めて、完成。破れてしまったのをひとつ味見。おいしい。大好きなやつだ。翌日の昼ごはんに出先で食べようとタッパーに詰め・・・・」と、男はそこまで読んで、気が付いた。そこに書かれていたのは男自身の日記だった。男は鼓動が早くなるのを感じた。ここに書かれているのは、自分のことだ。確かに覚えている。いつのことかは定かでないが、確かにそんな一日があったということを。男には身に覚えがなかった。このような文章を残した記憶はない。しかし、これは確かに自分が書いたというようにしか男には思われなかった。そこに書かれていたのは自分の物事の感じ方そのものであったし、ほかの誰も知らないであろう極めてプライベートな事柄まで細かく書かれていた。もちろん、男には自分でそれを書いたという記憶はない。男は画面をスクロールし、文章をさかのぼる。時々、つまみ読みをすると、無数の記憶のかなたに飛ばされていたかすかな記憶が記録として残っていた。時々、よく覚えているエピソードもあった。みゃあ、と猫が足元で鳴いた。振り返ると、そこには一羽の鳥が音もなく羽ばたいていた。結構無理やりだったけど、なんとか今日も10枚分書いたらしい。今日は結構苦戦した。まぁ、取り合えず朝食にしよう。今日も書く。昼に書いたり、朝に書いたり、夜に書いたりしているけれど、今は昼だ。どんな時間帯に書くかということが、どんな文章になるかということと関係しているように感じる。今日は何について書いた文章になるのか、今の僕にはまだわからないけどとにかく成り行きに任せて書き始めてみようかなと思う。小学校から帰ってきて、美香ちゃんがパンを食べたいというので捏ねた。いまは、一次発酵中だ。一回目はとりあえずこのあと昼食の時に食べる用にイーストで、2回目はこの間玄関先で摘んできたシロツメクサから起こした酵母を使って実験してみている。熱いのでイーストの方はすぐに膨らむと思うけど、シロツメクサはどうなるか未知数な部分が多い。でも、昨日、元種を瓶の真ん中らへんまで増やしておいたものが瓶からあふれかえるくらいまでは膨らんでいたので、生地を膨らませる力は十分だと思う。問題は味がどうなるか、という所だと思う。もう6月が終わる。今日は夏の陽気だ。昨日、お隣のおじいさんに梅の木を剪定してほしいと頼まれた。やったことないけどいいかと聞いたら、それでいいというので、今日の午後にでも少し行ってこようかなと思う。このごろは忙しかった。仕事がというわけではなくて、梅やら枇杷やらをどうにかしないとどんどん傷んでしまうので、それらをジャムにしたりなんなりで時間が結構かかってしまった。まぁ楽しくてやっていることではあるのだけれど。そのうえパンまで焼いて、いつ仕事してるの?という感じではあるのだけれど、なんとなく、のんびり暮らしていて、家計的にはどうしてかはわからないけど、どうにかなったりするので面白い。まぁ、正直なところ、もう少しお金をゲットしたいところではあるのだけれど、それを得るために自分の今の暮らしを損ないたくないという気持ちが強くある。いつか、実家からもってきていたキャンバスがあるので、木枠を作ってキャンバスをつくろうかなと思う。このごろ思いついたのは、とにかくスケッチをA$のコピー用紙にどんどん描いてみて、その絵を下絵にして、というか、そのスケッチから受けたインスピレーションでキャンバスに何かを描く、そういうやり方について考えている。キャンバスを前にして、なにを描こうか、と困ってしまわないようにするためのアイデアだ。文章については、とにかく、どんどん書いていくということがだんだんとできるようになってきた。今日の文章もなんの脈絡もなく、とりあえず、思いついたことを書き連ねているだけだけれど、取り合えず手が止まることはない。今日はこの調子でいえば、1時間もあれば目標達成かもしれない。この文章は手を動かす練習だから、内容はなんだっていいと思って書いている昨日は少しだけブログの記事も書き始めた。そっちの方の文章はなるべくわかりやすくためになるような事柄を書いていきたい。昨日の日記では少しだけ、物語のようなものを書いたけど、とりあえず10枚、という日課であるこの文章の中ではそれはやらない方がいいかもしれない。物語を書こうとすると、やっぱりどうしても、手が止まりがちで時間がかかってしまう。物語版のテキストファイルを作ってそこに書いていくのがいいのかなという風にも思ったけれど、書いている間に気が変わってきた。この文章は全部ごちゃまぜにしよう。物語だって、とにかく書くようにしよう。ひどい出来だってかまわないじゃないか。最近の僕の一つの気づきというか、こういう方針で行こうと決めたことの一つとして、「自分で自分の作ったものを評価しない」というものがある。自分で書いた文章、自分で描いた絵、自分が作った木工品、それらすべてに対して、良いとも、悪いとも思わず、ただ、大切に扱う、ということがものを作り続ける秘訣なんじゃないか。とにかく作ったものはみんな公開してしまって、その出来がどうとか、内容が面白いとかつまらないとかそういうことはどうでもいいんだという態度で行こうと思う。でないと作り続けられない気がする。さて、何を書こうか、描いた絵をたくさんスキャンして、クリアファイルに閉じた。そして、すべてオンラインショップに一枚1000円で出品した。風景やら人物やらいろんなものが描いてある。抽象画もある。いま、自分はいままでで一番絵を描くという行為そのものを楽しめていると思う。まだ書き終わっていないけれど、そろそろパンの様子を見てきた方がいいかもしれない。暑いのでふくらみが早いかもしれない。切り分けて、成形してきた。やっぱりふくらみが早い。パンを作れるようになったのはすごくうれしい。この半年くらい結構頑張ってパンを作るようになって、暮らしが豊かになったような気がする。パン屋さん的なこともして、数をつくることにもそれほど抵抗がなくなった。パン屋さんとしてパンを売ることはすぐにやめてしまったけれど、それで得たものはすごく多かったような気がする。去年はじめて、米づくりをして、何とか収穫できて、これから毎年なんとかたぶん続けられそうな気配がしている。裏作で小麦をできたらいいななんて最近は思ってる。米と小麦で、なんとかたぶんいま僕たちが借りている田んぼの広さで二人、何とか暮らしていけるようになるはずだ。そんなに遠くない将来には。畑もいままではただ何となく、種をまき、苗を植えて、勝手にそだったものを収穫していただけだけど、これからはもうすこし手をかけてやろうと思っている。なんだか、今日は本当に何を書きたいんだか、、、というような感じだけど、まぁ、そんな日もあるでしょう。美香ちゃんが図書館で借りてきた、ケアを開くシリーズの「居るのはつらい」を読み始めた。まだ読み始めたばっかりだけど、面白そうな雰囲気がある。美香ちゃんが読み終わってから僕も読んでみようかなと思う。あと、そう、ゆず組合のオンラインショップを作るのもこのあとにやろう。やればすぐに終わることは早めにやってしまおう。あと額縁も作りたい。絵をオンラインショップに出しているけれど、思うのが、壁に飾った雰囲気の写真があった方がたぶん売れやすいんじゃないかなということ。大きさのイメージもつかみやすくなるし、額込みでこんな感じの室内になるんだなということをわかってもらうために自作の額縁を作ってみようかなと思う。もし可能なら。絵と額縁とをセットにして販売とかもできたらいいなと思う。手間を考えるとあんまりやりたくなくなってしまうだろうか。わからないけど、とりあえず、一つ額縁を作ってみようかなと思っている。ローマ人の物語は相変わらず読み進めていない。最近は小説を読んでいる方が面白く感じる。その中に描かれた現実とは違う世界のようなものに浸って楽しんでいる。朝ごはんは納得豚のハムを焼いたのと、目玉焼きを食べた。納得豚というのは確か、うろ覚えだけど、高山の方の特産豚で納豆を食べてい育った豚だった気がする。その豚のハムなのだけれど、それが結構おいしい。柚子が練りこんであるのだけど、それもまた良くて、美香ちゃんも僕も気に入っている。それと目玉焼き、そして白米。あと納豆も食べた。そんな朝食だった。味噌汁は作るのが面倒だったので作らなかったけど、なんか旅館の朝ごはんみたいでよかった。旅行に行きたいなと思う。コロナの状況がいまいちわかっていない。オリンピックの選手は来ることになったらしい。なんだかなぁという感じだけれど、7月からはお店もやらないつもりだし、ほとんど出歩かない僕らにしてみればあんまり関係ないことかもしれない。世の中、なんかおかしなことが平然とまかり通るようになってしまったようで、なんか、気が重くなってしまうのだけれど、僕は僕なりの暮らしを淡々と続けていきたい。ものを作り続けて、文章を書き、絵を描いて一日を終える、というように暮らして生きた。ここ数日、美香ちゃんと政治の話をする時間が増えた。僕も政治に無関心というわけではないのだけれど、どうしていいかわからない。このままの世の中でいいのかというと、全然そういう風には思わないのだけれど、自分がその世の中のなかで何ができるのかとか、そもそもどういう方向に進んでいくのが正しいのか、いまいちはっきりしない。いろいろ歴史の本やらなにやら読んだりして、現在の社会というものをもっと大局的に見たいと思う。ローマ人の物語をもう一回読み始めようか。僕にとって政治とはなんなんだろうか。政治について語るということが結構難しい時代なんじゃないかなという気がする。Twitterなんかのやり取りをみているとそこにはまっとうな議論なんてほとんどなくて、どこの誰だかわからない人が極論というか、あいての上げ足どりをしあって、罵倒しあってて、本当に無意味というか、虚しい感じがする。政治について、世の中の在り方について、本当に必要なのは互いに尊重しあいながら考え方をすり合わせていく地道な作業をしなきゃいけないのだろうけれど、そういうことは結構難しいことのように感じる。というかたぶん無理。ただ消耗して、疲れていやな気分になるだけだと思う。僕は政治がどうなろうと、世の中がどんな風になろうと、自分の好きなように、自由に暮らしていけるようなしたたかさを身につけたい。そんな風に考えてしまうのだけれど、それは、自分勝手なんだろうか。何者にも奪われることのない何か、のようなものを自分の中に蓄えていきたい。それは例えば思考のようなもの。あるいは感性のようなもの。さて、なんかつらつらと書いていたら10枚に達したようなので、今日はこんな感じで。そろそろパンの2次発酵も終わっているはずだ。お隣のおじいさんに頼まれて庭木の剪定的なことをやった。庭師さんの手伝いに少し行ったことがあるとはいえ、こんな風な剪定なんてやったことないので、見よう見まね、というか、ちょっと切ってみてどんな風にしたらいいのかを探りながら美香ちゃんと二人で切り進めた。わかったことは、木と木の間には隙間があった方がいいということ。そして、足元はすっきりさせた方がなんかいい感じになるということ。松の下の方にあった太めの枝ものこぎりで切り落としてみた。素人がそんなことしていいのか、とも思うけれど自分たちの感覚を頼りに霧進めていくと、おじいさんも「見違えたねぇ」と言って褒めてくれたのでたぶんそういうことで良かったんだろうと思う。途中、首すぎにパラっと水が滴ってきたと思ったら、少し雨が降ってきた。それほど強くなかったので、切りすすめていると、そのうちにほとんど降らないまま止んだ。チョキチョキ鋏で切っていく感じと、ちょっとやればあっという間にきれいに整った感じになるのが楽しい。美香ちゃんも結構楽しかったらしくて良かった。お小遣いをもらい、少し話をする。もっとお話をしたいけれど、おじいさんは耳が少し遠いのでなかなかコミュニケーションが取れず、なんかもったいないなと思う。といって、近づいて話すのもこのご時世にはやっぱり止めておいた方がいいだろう。田んぼとか畑のことをもっと聞いておきたいし、この辺の昔の様子なんかにも興味がある。おじいさんにナスときゅうり、甘納豆、首まですっぽり布で覆うタイプの日よけの帽子(未使用)をもらって家に帰る。美香ちゃんとなんかゲームっぽい感じだよね、と話す。人に会い、何かを頼まれ何かを得る。剪定なんてやったことなかったけど、家周りの全然お手入れされていない木々なら、あれくらいで十分だろうと思う。こうやってスキルが身についていくなら、それはもはやゲーム以外の何物でもないように思えてくる。風呂に入り、商品の発送とちょっとしたものを買いにスーパーに行く。玄関をでると、なんだか、夕日でオレンジ色で明るいのだけれど曇っている、みたいな不思議な感じだった。とても強い光源の光が、薄い半透明の膜を何枚も透過してきたような感じの光だった。「雨降るよ」美香ちゃんがそうつぶやくと、すぐにざっと降ってきた。なんか、お百姓さんか、漁師さんみたいだった。晩ごはんはおじいさんにもらったナスでマーボーナスを作った。昼食には自家製のパンを焼いて食べた。自家製のビワジャム、梅ジャムをつけて食べる。最高に贅沢だろうと思う。このペースで食べていくとすぐになくなってしまいそう。作るのは大変だけど、いっぱい作っておいた方がよさそう。パターをつけたり、あんこをつけたり、いろんなものをつけてパクパク食べてしまった。結構たくさん焼いたつもりでも、すぐになくなる。僕が一回に捏ねる量だと、なんだかんだ二人で一日でほとんど食べきってしまう。シロツメグサのパンもいい感じに膨らんでいたので、切り分けて成型した。ダイニングの机の上を整理し各種洗い物を済ませた。Twitterでいろんな人が話しかけてくれる一日だった。だんだんあかるくなってきた。そろそろパンを焼こうか、昨日の夜から2次発酵させているパン生地もいい感じなはずだ。シロツメクサから酵母が起こせるなんて言うのは驚きだ。話で聞いて、玄関先のシロツメクサをひとつかみ、少し洗ってから瓶に放り投げ、水に浸して、砂糖をすこし入れておくとそのうちブクブクと泡が出てくる。はやくどんな味なのか試してみたい。猫が鳴くので、美香ちゃんが起きてしまった。ご飯をあげてくれたのだけれど、あんまし食べないまま、鳴きまわっている。何が不満なのかいまいちわからない。昨日は絵を描かなかった。木彫もしていない。パンに時間を使いすぎた感がある。2回分捏ねて、やいたから当然かもしれない。今日は歯医者に行かないといけない。田んぼの転がしもしたい。小学校から帰ってきたら、午前中に転がしをして、午後にはすこし木彫をすすめようかなと思う。キャンバスづくりと額縁づくり、には手を付けられないだろうという気がする。財布がもうボロボロなので、革で手作りしたいけれど、それもしばらくは始められないだろうと思う。12時から16時までで絵と木彫をやろう。5時だ。今日は早起きできた。3時半だ。日課、というものを設定してから、僕は早起きができるようになった気がする。たぶんこれまでもそれくらいの時間に一回起きていたということなんだろうと思う。その時間に一回おきていても、何をするかと決めてないからもう一回眠りに入ってしまって、必然的に2度寝状態になってしまって、あさ、起きるのがつらくなってしまっていたのだろう。二度寝は本当に僕の体質に合わないんだということが分かった。一番最初に目覚めたときにパッと起きてしまって、そのまま文章を書く。それが一番いい感じ。携帯のロック画面には僕の毎日のスケジュールが書かれている。それを見れば、いま、自分が何をするべきなのかがわかる。そういう方式を導入してから、結構毎日楽しく、充実して暮らせているような気がする。山下達郎のサンデーソングブックというラジオをこのごろ結構聞いている。それが意外とおもしろくて、意外、というのも失礼な話なんだけど、山下達郎は美香ちゃんが流しているのを僕が隣で聞いているだけで、歌のイメージはあったけど、人物のイメージが全くなかった。なんか、軽妙、という感じ。さらっと流すみたいなのが面白い。お便りは読むけど、曲のリクエストには答えません、みたいなのとか、質問にも答えない、みたいなのが軽い。それがいいなと思う。流れてくる曲も僕は聞いていて心地よいように感じる。あんましうるさくないのがいいと思う。たぶん今日で、このどこどこ、も10万字に達するのだろうと思う。文字数をカウントするのに、あるWebサイトを使っていたのだけれど、それで数えられる上限文字数がたぶん10万文字なので、もうそれを使って総文字数を数えられなくなってしまった。noteとかの最大文字数って何文字なんだろうか、「どこどこ」として、ひとつながりの文章としてnoteで公開しているのだけれど、それもアプリだと落ちてしまって記事が開けない状態になってしまった。ブラウザ版で開くか、猫の皿の方のブログ記事として公開している方はまだ開けるみたいだけど、それもいつ開けなくなるかわからないなと思う。結構長く書いてきたように感じるけれど、本にしてみたら、10万時で167ページくらいなんだそうだ。本として考えたら薄い本だ。このままとりあえず一年間は続けてみたいなと思う。何文字になるのか、そのころにはどうやって数えたらいいんだろうか。まぁ、いいや、毎日10枚という小分けで考えていこう。もうだいぶ明るい。BBKINGのなんていう曲かはわからないけれどそれを聴きながら書いている。BBKINGという名前は聞いたことがあったけど、曲は全然聞いたことがなかった。何か文章を書く時には無音よりもわからない言語で歌われた音楽を聴きながらの方がリズムに乗ってどんどん書いていけるような気がする。たぶん聞く音楽によっても書かれる文章は変わってくるだろう。どこどこの全文をグーグルドキュメントに張り付けてみた。めった動作遅いけど、というか落ちたけど、それで文字数を数えると14万字とかになっていた。もうなにが正しい文字数なのかわからないので、淡々と毎日10枚というペースだけを考えて書いていこうと思う。さて、手が止まってしまった。小腹がすき、昨日焼いたパンを食べる。全部食べたら怒られるだろうか、とりあえずひとつ残しておく。そろそろ、オーブンの予熱を初めておこうか、そう思って。オーブンの中で2次発酵させておいたパン種をみてみると、めっちゃ膨らんでて隣同士つながっていて、丸パンのつもりだったけど、ちぎりパンになりそうだ。本当は2回に分けて焼いてちょうどいい量なので、一枚の鉄板にのっけいぇ焼くのは無理なんだけど、それはわかっていたけれど、2回に分けて焼くのが面倒だと横着するとこうなる。まぁ、自分たちで食べるものだから、いいかなと・・・笑。シロツメクサなんて、ただ、の雑草、あるいは王冠みたいなのをつくるものとしか思っていなかったけど、こんなにパンを膨らませるちからがあるなんて驚きだ。もうじき予熱も終わる。230度で20分にセットしてみた。もうじき、やっと、シロツメクサのパンを試せる。楽しみだ。どんな味、どんな香りがするんだろうか。今年の夏はなんか寒い気がする。朝晩は夏だというのに寒くて毛布にくるまってしまう。ここ最近の夏が暑すぎたんだろうか、それとも今年は特別に寒いんだろうか。植えたピーマンはほとんど大きくなっていない。それはこの差憂さが原因だろうか。ナスもあまり元気がない。去年はみなかった虫が野菜についている。ピーマンは小さいけれど実のようなものが付き始めている。はやく夏野菜を食べたい。いつものようにコロナ対策の消毒の仕事をしていると、携帯が振動し通知がきた。「商品が購入されました」やった、やった、とウキウキしながら仕事を終え、家に帰って確認すると、売れていたのは絵だった。しかも9枚。1枚1000円で売ってるから9枚で9000円だ。時給800円台の仕事をしている僕からすると、それはめっちゃありがたいことで、実に10時間以上分のお金をもらえたことになる。いまのところ生活にお金が足りないというわけではないので、このお金はほとんど全部、また絵を描くための画材を買うのに使われると思う。絵が売れてうれしいというのは、単にお金が手に入ってうれしいということ以上の意味が僕にはあるように思える。少なくとも木工品が売れるということとは僕にとって意味合いが少し違うように感じる。「機能性」のようなものの有無と関係しているのだろうか。機能のあるものも、もちろん売れればうれしいのだけれど、買われたのはあくまで「機能」であるという感覚が僕の中にはある。絵の場合は売れたのはその絵の機能とか、効能のようなものではなくて、そのもの自体の価値だという風に僕自身が思えるから、絵が売れるのがこんなにうれしいのではないかと思う。買ってくれた人はどんな気持ちで買ってくれるのだろう。単純に絵を気に入ってくれたのか、それとも、僕を応援しようと思ってくれたのか、どちらにせよ、僕が描いた何かに対してお金を払ってくれた、というそのことだけで、僕は絵を描き続けていけるような気がする。僕はこのごろ、自分が描いたもの、作ったものに対して自分自身では評価しないように極力努めているので、描いたものはすべてオンラインショップに公開しているのだけれど、意外なものが売れたりするので面白い。意外なものというのは売れると思わなかった、というような絵のことだ。それは良いとか悪いとかいうことではなしに、「なんか売れなそう」というような絵、うまく言えないけどそんな絵がある。それはその絵を評価してしまっているのだろうか。うまく言えないけれど、たぶんそういう見方を僕は自分の絵に対してし続けるのではないかなという気がしている。それは評価というよりも鑑賞のような方法なのかもしれない。評価せずに鑑賞する。だいたい売れそうな絵が売れていくわけだけれども、それに紛れ込むようにして売れなそうな絵もたまに売れていく、何かの間違いのように。売れなそうな絵が売れていくということが僕は何よりもうれしくて、それは、あぁ、好き勝手に描いていいんだ、という風に改めて思いなおすことができるからだ。日々、でたらめに、適当に、まじめに描き続けてさえいれば、時々こんな風に買ってくれる人がいるらしい。よいものといのは狙って生まれるものではなくて、無数に作ったものの中にちらほらと偶発的に生まれるものだという意識がある。そして、そのよいものというのは人それぞれで、ある人にとってはこれがよくて別のある人にとってはまた別のものがよかったりする訳だから、僕に大切なのは何か定まった何かに向かって製作するというよりもとにかく数を作るということなんだと思う。絵の値段が安すぎるといわれた。けれど僕はそうは思わない。確かに相場のようなものと比べたらだいぶ安いのかもしれないけれど、僕の感覚ではそんなに安いとも思わない。なんせ、自分の自信作というわけでもないからだ。今書いているこの文章と同じだ。とにかく楽しみながら描いているだけで、本当はそのまま放置して、資源ごみに出してしまってもいいようなものに値段をつけて売っているのは、むしろなんというか詐欺に近いような行為な気さえしている。もし仮に、絵がどんどん売れるようになったとしても、今のような絵、安い紙に安い絵の具で描いた絵は、一枚1000円くらいで売っていくと思う。とにかく僕は枚数を描けるので、その値段でどうにかなっていってしまう。もちろんそのすべてが売れるわけではないけれど、自分で選別したり、自分が納得できるものにするのにかかる負担がないので、この方が製作を続けていくことができる。一枚の絵にじっくり向き合って、それなりの値段で売るというスタイルの人は結構すごいことをやっているなと尊敬する。まぁ、それも人それぞれだ。絵を梱包し、お手紙を書いていると、その途中に絵がまた一枚売れた。同じようにうれしい。夜、また2人買ってくれた。今度は大学の時の同級生だ。結局、一日で12枚売れたらしい。本当にありがたい。発送を終え、昼寝をして、起きて、歯医者に行った。待合室には患者が4人。くだらないテレビをやっている。本をもってきておいてよかった。この間きた時にはそのテレビを見るしかなくてしんどかった。名前が呼ばれる。僕の番が来た。まずレントゲンを撮りたいというので小部屋に案内される。窓のない、3畳ほどの部屋。普通の蛍光灯の照明なはずなのだけれど、その部屋の明かりはものすごく黄緑色がかっているような感じがした。白いアームの先に黒いレンズのついた機械の横の黒い小さな革張り椅子に座らされる。原始のロボットの胴体パーツのようなエプロンを肩から掛けられる。口を開き、硬い何かを咥えさせられる。係りの人は出ていき、その部屋で僕は一人だった。すごく一人になった気がした。外の世界と隔てられたところへ来たみたいだった。音はなく、他人の気配もなかったが、黒いレンズが僕の顎をじっと見つめている。時間が止まったようだ。墓の中はこんな感じなのかもしれない。人間は死んだらどうなるのだろう。なんかこの感じエレベーターと似てる感じがするけど、まったく別物な気もする。エレベーターは動いているけど、この箱は動かない。だんだん息苦しい感じがしてきた。窓がないけどこの部屋って換気されているのかな、なんてことをぼんやりと考えていた。口の中に硬い何かを咥えさせられ、動くことも禁じられた僕は、自分がガス室に閉じ込められているような感覚になった。動悸がする。なんとなく息苦しい感じがする。動きたいけど、動いてはいけないといわれた。僕はもしかしたら、閉所恐怖症なのかもしれない・・・。外光の全くないその部屋の壁はいまや一面真緑のように見えた。ここは手術室かもしれない。ふとそんな感じもした。たぶん実際の時間としては、あっという間、たぶん1分とかそれくらいなはずなのだけれど、僕の実感としてはここまで書いたくらいの長い時間だった気がする。宇宙飛行士の訓練室もこんな感じなんだろうか。ロシアの宇宙飛行士のテストで真っ暗な音のない部屋に閉じ込められて、2時間経ったら出てくるように、とかそんなのがあったらしいけど、こんなところに2時間は普通の神経じゃとても無理だという気がする。ガチャと扉がひらく。小部屋に時間が戻ってきた。席に案内される。荷物を足元に置き、椅子に身を預ける。しばらくして、目の前のモニターに人間の顎のあたりの透視図が現れた。顎の肉の中に何本も歯が埋まっている。イギリスの古代の遺跡みたいだと思う。表に出てきているのは歯のうちの半分くらいのようだった。血管も見える。これをみても僕には僕の歯がどういう状態なのか全くわからない。椅子が倒される。白い天井を見上げる。口をあけると奥歯の方でチクッとした。どうやら、これはやるらしい。麻酔をかけられた僕の右側はどんどんしびれたような感覚になった。口をゆすいで、と言われ、そうするけれど、水が横の方からだらっと唾液とともに垂れてしまう。再び天井を眺める。医者がちいさく一言、削るね、とつぶやくとドリルをゴリゴリ当て始める。時折、神経に直接触れられるような痛みが走る。あの痛みが僕はどうも苦手だ。麻酔が効いていないのだろうか、なんか結構いたい。僕は太ももをつねって意識をそちらの痛みに向かわせようとするのだけれど、どうもうまくいかない。歯の痛みにはかなわなかった。削り終わると、なにかしらの液体のようなものをそこに塗り、その穴を埋め始めた。ゴムのような匂いがした。紫色の光を当てられる。時折、耳元でピッ…ピッ…、ピッ…ピッ…というような電子音がした。身動きせず、その無機質でまっしろな天井を見上げていると、なんだか自分がなにかしらの精密機械になったような感じがした。たぶん、パソコンとかの中に入っている基板って、こんな気持ちなんだろうと思う。ゴリゴリ削られ、削り屑が口のなかに飛び散る。水をかけられると同時に管で排出される。時々鋭い痛みがする。僕は太ももをぎゅっとつねる。歯医者は苦手だ。気づくと、医者は溶接用のマスクをしていた。口の中の一部を合金に取り換えるとのこと、切り開かれ、ドリルで穴をあける。切粉が口の中ではねていた。続いて黄色と緑のコードが口の中に放り込まれる。先端がとがっていて、チクチクといたい。ビニールの感触がとてつもない異物感を感じさせる。吐き出してしまいたいけれど、そうする自由は僕にはなかった。医者は半田ごてを手にしている。棒の先端から白い煙が出ている。顔に近づいてくる。近づいてくるにつれ、肌に触れる空気の温度が上がっていくのを確かに感じたが、棒が口の中に入ったころには不思議と熱さを感じなかった。麻酔が効いているのだろうか、それとも、もう、僕は機械の体になってしまったのだろうか。噂で聞いたことがある。機械化された人間は痛みを感じなくなるらしい。痛みを感じないから、自然と身体の扱いが雑になり、機械の体がいかに生身の体よりも丈夫にできているとは言え、細かな故障を頻発するというような事例がこのごろ増えているとのことだ。口の中で特殊ねじを締める音がカチカチ、カチカチとする。そしてまたピッ…ピッ…、ピッ…ピッ…という電子音。どうやら通電を確認しているらしかった。医者が席をはなれた隙を見計らって、僕は舌を使って問題の個所を探ってみる。金属の塊があった。ひやりと冷たく、表面は不気味なくらいツルツルしていた。そこからコードが2本出ている。先ほどの黄色と緑のコードだろう。歯から飛び出て歯茎の中に埋まっていた。医者が戻ってくる。こんどはプラスティックの透明カバーだ。なるほど、まだ、仕上げのカバーをしていなかったのだなと思った。また、紫色の光をあてられた。口から鼻に向けて接着剤のような匂いが通り過ぎていく。はい、口をゆすいで、と言われる。顔の右半分が重たいような気がした。はい、これでしばらく様子を見ましょう、と言われた。席を立ち、待合室の席に座る。そこにはまた数人の患者がいる。みんな適当に互いに距離をあけ、椅子に座り、携帯をいじる者もいれば、テレビを見ている者もいる。みんなマスクをしている。その下にあるのは生身の皮膚だろうか、それとも新素材の超合金だろうか。皮膚は皮膚だとしても、その中身はなんだろうか、もうだれも、自分自身、自分の体のどの部分がもともとのもので、どこが人工的な素材のものなのかわかっていないんじゃないかなという気さえする。名前が呼ばれ、会計をすませる。1440円だった。あれだけの作業量にしては、安すぎるように感じる。きっと足りない分は政府が負担しているのだろう。かなり巨額の予算が割り与えられているようだ。人間の体がそっくり機械に入れ替わるにはどのくらいの時間と手間がかかるのだろう。車に乗り込み、家に着くころにはもう完全に僕は何をしに出掛けていたのかを忘れていた。晩ごはんのこんにゃくのピリ辛炒めもおいしく食べられた。

猫に起こされた午前4時。目はぱっちり覚めている。男は文章を書き始める。水も飲まず、カラカラの喉で。トイレにも行かず、下腹部をぱんぱんにした状態で。男はボブ・ディランの1963年のアルバムを聴く。昨日の雨が真っ黒な濁流となって川を下る。男は車を運転していた。景色はまわる。そこは黒い川の上だった。窓ガラスに貼りついた風景は、墨で描いた絵巻物のように霞んでいる。遠近法なんてない。今日は雨が降っている。今日どころではない、このごろずっと。何日降り続いているか、僕は知らないし、他のだれも知らないだろう。昨日の天気のことならまだしも、一昨日のこととなるともう誰も覚えてはいない。集団的な記憶喪失。もうだれも何も覚えていない。ここはそんな場所だ。僕は風に吹かれている。強い、強い風の最中にいる。車の中にいながら、家の中にいながら、風を受けている。男はパソコンに向かい、キーボードを叩く。でたらめな文章だ。脈絡のない文章が続く。誰もかももう何も覚えていない。そこには今しかなく、長い長い黄昏の時が続いている。昼下がり、立体駐車場の地下2階で僕は眠る。座面をほどとんど水平まで倒し、ハンドルに足を乗せて眠る。ぐっすりと眠った。それは深い眠りだった。無人島に流れ着いたロビンソン・クルーソーもこんな風に木の上で眠ったのだろう。目が覚める。それは、黒しかない世界だった。黒い絵の具だけで、墨汁だけで描かれている。濃淡もなく、無数の線が交差し、重なりあっている。線は震えながら走り、完全な直線で世界を分断している。すべてがありのままに描かれていた。男はキーを差しエンジンをかける、歪んだ遠近法の中を軽バンが走る。流れゆく風景は線の集まりだった。黒い紙に引かれた無数の線の集積。それは紙の上で揺らめく無数の黒い糸だ。巻き取られ、黒い塊になって僕らを追いかけてくる。その線には太さがなかった。思考の世界にしか存在しない何かだった。それは何かを縛っている重さのない鎖だった。そのままハイウェイに乗って4つの車輪は別々の速度で南へ向かう。すべてがバラバラな方向に向かいながら、その上に乗った小さな箱は一つの方向に流れていった。濁流にのまれそうになりながら、それでもすぐには沈まず、それでも確実に沈んでいくのが感じられた。箱の中には水が流れ込んでいる。もう箱の中は濁った珈琲牛乳のような液体でほとんど満たされている。滞り、入れ替わることのない、何かの体液だ。体液が止めどなく流れ込んでくる。箱は破裂しそうなほどブヨブヨと膨らんでいるけれど、それは止まることなく、加速しつつ入り込んでくる。そのまま車は濁った川の流れに逆らいながら走り続けた。空気は汚染されている。車の中は何かよくわからないその液体で満たされている。呼吸はできないが、汚れた空気を肺に取り込むよりはよっぽど良い。西へ向かう。そして北へ。ハンドルを一度も切ることはない。男はハンドルを引っこ抜いて窓の外に投げ捨てた。もう必要がないからだ。ブレーキのペダルも捨てた。アクセルさえも必要がなかった。それは一本道だ。けれど、何度も同じ風景が現れてくる。その道は一本道。道路は例の線で真っ黒に塗り込められている。そこについた。北の果てまで走ってたどり着いたのは南の丘の上だった。コリーナ・コリーナ。コリーナの丘、そうみんなに呼ばれているちいさな丘だった。そこからは何もかもが見渡せた。この世界の隅々まで自由に見通すことができた。そこには自由があった。自由という二文字の中に全てがあった。でもあるのはその二文字だけで、その他には何もない、そういう風に言うこともできた。人はたくさんいたが彼らは何も持っていなかった。両手は空っぽで、家もなく、服も着ていない。乾燥した土地である。みんな黒い鎖につながれながら、自由に生きていて、穏やかで、幸せそうな顔をしながら、音楽を奏でている。その音楽は頭の中でだけ流れていた。それぞれの頭の中で鳴り、それぞれの両方の耳から黒い線となって流れ出ている。機械はそれを巻き取っていた。機械はそれを巻き取るための機械だった。ハーモニカの音がなる。ギターが細かな音を連ねている。それらはすべて一本の線となって、空に黒い線を描く。女は車の助手席から降りてくる。北の国から来た少女!北の国から来た少女!と取り巻きたちが歌う。僕もシートベルトを外し、サイドブレーキをかけて車から降りる。キーは差したままにしておいた。そこには何者もいなかった。すべては黒い無数の線の集合だった。みな口々に噂している。三度目の戦争の話だ。もういちど戦争が起きる。皆恐れながら歌っている。その丘からはすべてが見通せた。この世界のすべてを見通すことのできる窓だったけれど、見えるものに手出しできる者は誰もいなかった。それは見ることができ、理解することができたけれどそれに対して何もできることはなかった。巨大な巻き取り装置は回り続けていた。2つの大きな車輪が対になって、回り続けている。回転は加速し続けた。川は汚れ、濁り、空気は黒い立方体となって地面に転がっている。その立方体もつなぎ目をほどいてみればまた一本の切れ目のない黒い糸だった。それには始まりも終わりもなく、気づいた時にはもう巻き取り装置に巻き取られていた。僕たちは歩き始めた。電話が鳴った。ジョン・F・ケネディーからだった。すぐに来てくれ、彼はそう言う。電話を切って僕らは歩く。太さのない黒い線の上を並んで歩いた。それは太さがないが確実に踏みつけることのできる線だ。くっきりと網膜に張り付いて消えることのない線だ。風が吹いている。また、電話が鳴った。今度は”戦争を統べる者たち”からの電話だった。何かを言っていた。彼らは何かを言っていた。電話機から黒い線となり、機械に巻き取られる一本の線の中に溶けこんでいく。電話を切って僕らは歩いた。空中だった。強い風は吹いている。僕らの支える無数の黒い線の集合はピンと張力を保ちながら、風に揺れているが、その風の正体もまた、無数の黒い線の破片だった。破片は線となり、本流に合流した。そこは砂漠のようだった。僕らが歩いているのは丘の上だった。熱くもなく、寒くもなかった。そこは丘のてっぺんだった。どれだけ歩いてもコリーナの丘の一番高いところだった。丘は移動していた。七つの物悲しい森を抜け、12の霧の深い山の脇を抜けた。墓場の入り口で青い目をした少年とすれ違った。そうしてたどり着いたのはやっぱり、コリーナの丘だった。丘の上で足踏みをながら、世界を一周して丘に着く。雨が降る。強い強い雨だ。また電話だ、今度はエリザベス・テイラーからの電話だ。無言だった。その世界にはもう音はなく、すべて一本の黒い線だった。降る雨ももちろんすべてがつながっている。地面に到達した瞬間にはすでに機械に巻き取られている。僕らはその機械を目指して歩きつづけた。路地裏ではピエロが泣いていた。顔を白く塗ったピエロだった。そのピエロの顔だけがこの世界で唯一の白だった。この世で唯一の黒くないものだった。僕はポケットから、刺したままにしておいたはずの車のキーを取りだし、ピエロに渡した。彼はもうほとんど黒い一本の線だった。白い顔だけが真っ黒な背景の中に浮かんでいる。目は黒い穴となって向こう側が透けていた。気づくと僕ももう既に一本の黒い線に取り込まれていた。単なる一本の線の中のひとつの結び目だった。体内を何かが流れている。一緒に車を降りた”北から来た少女”はもうどこかへ消えていたがその一本の線のどこかに居るということを確信できた。少女はその線自体でもあった。彼女は黒い一本の線であり、僕でもあった。世界でもある。僕らは巻き取られるようにして歩いた。機械に向けて歩き続けた。虹がかかっている。それは黒い線だけで描かれた虹だった。線の密度の違いで描かれた細密な虹だった。巻き取り装置はもう、手が届きそうなくらい近くにあったけれど、同時にものすごく遠かった。僕たちは相変わらず小さな丘の上にいた。そこから一歩も動いてはいなかった。群衆が僕らを取り囲んで歌っていた。その自由の叫びはやはり太さのない。黒い一本の線となり、機械に巻き取られていく。黒い線で描かれた黒い月がその様子をずっと見守っている。僕らは川の中を歩いた。黒い無数の線が流れる川だ。突然、ひどい疲労感に襲われる。立ち止まり、上を見上げる。上を見上げるが顔は微動だにしなかった。その世界には上なんてものはもうなかった。上も下もなく、右も左もない。ただ、生み出すところと巻き取るところだけがあった。始まりがあり終わりがある。始まりは終わりであって、終わりもまた始まりだった。それは一本の黒い川のようだった。歩くのをやめると僕らの足元の、もう僕ら自身でもあり同時にもはや”あなた”でもある黒い線はジュータンのように波打ちながら、僕たちを機械の元まで運んだ。それは巨大な水車だった。黒い線となった一本の水を受けてそれは回っていた。人々は歌い続けていた。ギターを弾き、ハーモニカを吹く。僕らは二人で歩いてきたつもりでいたけれど、丘ごとそっくりそのまま連れてきてしまっていたのだった。みな、何も気づかず歌い続けていた。よくみるとその巻き取り装置は非常に小さなものだった。流れは機械にどんどん近づいた。近づけば近づくほど、その機械は小さくなっていった。着いた。僕たちがその場所に着いたとき、そこには何もなく、乗り捨てた車が一台止まっていた。そこは立体駐車場であり、そこは相変わらず丘のてっぺんだった。振り返ると、そこには巨大な巻き取り機械が遠くに見えた。黒い線がは逆回転を始めた。耳から止めどなく線があふれだした。世界はベルナール・ビュッフェの絵のようだった。僕らは風に吹かれ、同時に風自身であった。吹くものであると同時に吹かれるものだった。車に乗って巻き取り装置を目指した。何度か試みたけれど、結果は同じだった。その機械は近づけば近づくほどに小さくなって、そこにたどりついた時には姿を消していた。何度繰り返してもそんなことが繰り返された。その試みは一瞬のうちに始まり、一瞬のうちに終わった。始める時にはもうすでに終わっていた。始まりはいつも終わりよりもあとにあった。終わってから千年経ってそれはやっと始まるのだった。僕たちはみな、目的地を旅立ち、始まりの地に着いた。それはいつもコリーナの丘の上だった。そこが始点であり終点だった。僕は隣に立って歌う男の耳からあふれ出している線をつかみ、そのうえを歩いた。線は巻き取られているが頑張って走れば、巻き取りの速さよりも早く移動できた。僕らはその場所で走り続けた。耳の穴をくぐった先は男の頭の中だった。そこには真っ黒な線の原材料が無数に転がっていた。それらもまたやっぱり黒い太さを持たない線だった。僕らはそこを移動した。そして、着いた。そこには巻き取り装置があった。その機械は巻き取りながら黒い線を吐き出し続けていた。そこは世界の根源であり、目的地であった。始まりの場所であり、物語の終わりだった。尽きることなく、線はあふれた。僕らは男の頭の中を立ち去り、入ってきたのと反対側の耳の穴から外に出た。出た先はまた男の頭の中だ。もう、どこに行くとか、どこに向かうとか、そういうことに意味はないのだった。僕はその線を使ってものを生み出せるということに気が付いた。なんでも作れた。その黒い線だけで、何でも。知っているものであればそれこそなんでも生み出せた。拳銃だって、ナイフだって、椅子だって家だって、服だってパソコンだって、車だって、雨だって、森だって、空だって、赤も白も青もつくれた。虚無や愛、自然、自由、何でも作れた。たくさんたくさん作ってみたけれど、それでもここ、コリーナの丘の上にはやっぱり何もなかった。すべてのものが生まれると同時に滅びたのだった。色、というものも作ったけれど生み出した色もよく見ればやっぱりみな同じ黒い線だった。けれど、みなその線が本当は色とりどりなのだということを知っていた。それは見たことがあったからだ。過去という未来に見たことがある。いつかするであろう体験を思い出しながらみなその線の本当の色を見ることができた。僕は鋏をつくり、僕の頭の先の線を切ってみた。パチン。世界の始まりだった。同時に終わりでもある。ここでは対になるものはすべて同じものだった。それらはすべて同意義のもので、読み方が少し違うだけだった。どこかでハーモニカが鳴っている。

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